人類はなぜ「22」を超えられないのか
その夜、私は鮮明な夢を見た。それは余りにも鮮明過ぎて、決して忘れることができない。夢の題名は「人類はなぜ22を超えられないのか」というものだった。この夢はあまりにもインパクトが強く、信じがたい内容だった。
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夢の中に降りて行くと、大きな湖が見えて来た。私は湖に浮かぶボートに乗っている。そこから少し離れた湖の上に一隻のボートがあり、そこには8組の親子からなる父親と子どもの16人が乗っていた。
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「あのボートはもうじき沈みますよ」、と誰かが言う。
私は早く知らせなければと思ったが、あっという間にボートは沈んでしまう。
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そこで視点が切り替わり、私は上空からそのボートの状況を見ている。私は湖の上空と水の中という、多次元的な視点を同時に持っていた。ふと気がつくと私の隣には、臨死体験の際に出会った人がおり、同じ位置から今眼下に起きていることを説明してくれた。
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「水中で起きていることに注目しなさい」とその人は言った。
目を水中に転じると、湖の中はまるで地獄絵図のようだった。
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水中で8組の親子が網のようなものに絡まっている。彼らはまるでクモの糸のようなものに手足を絡み取られもがいている。しかし、もがけばもがくほどより一層絡まっていく。もう時間がない! 早くほどいて脱出しなければ溺れ死んでしまうだろう。
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そのうちに8人の父親たちは、自力でクモの糸から逃れることができた。そして我先にと自分の子どもを助けようとしている・・・・。
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上空から全体の様子を俯瞰(ふかん)して見ると、8組の親子たちは輪を描くように散らばっており、しかも実の子どもは父親から見て一番遠く離れた所にいる。互いに対角にある遠い位置にいるのだった。
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目を転じると、自分の一番近くには、よそのうちの子どもが苦しそうにもがいている。だからすべての父親が、一番近くにいる子どもを助けたら、全員が助かるだろう。
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しかし、自分の子どもを助けるために、一番近くにいる子どもを踏みつけて湖底へ沈めている父親がいた。それを見たその子の父親が自分の子どもを助けようとする。同じくそれを見た他の父親たちも、近くにいるよその子どもには目もくれず、よその子どもを踏みつけて、自分の子どもを助けようとしている。
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その様子はまさに地獄絵図のようだった。
子どもたちは溺れ、一人また一人と湖底へ沈んで行く。その中で一人だけ、自分の子どもではなく、一番近くにいるよその子どもを助けようとする父親がいた。
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その父親の子どもは、よその父親に踏みつけられて湖底へと沈んで行く。子どもの目は真っ直ぐに父親に向けられている。父親に見捨てられた子どもの悲しみと、自分の子どもを助けることのできなかった父親の悲しみが、波のように私に押し寄せて来た。
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なぜこんな悲惨な夢を見せるのだろうか? 私は夢の中で怒っている。
しかし冷静に考えてみると、なぜこの夢に登場するのが母親ではなく父親なのかという疑問が生まれた。この夢は母性ではなく父性というものについて語ったものなのか・・・。
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次の瞬間、よその子を助けた父親と、湖底に沈んだ彼の子どもが一緒に、高いところに引き上げられて行くのが見えた。二人は手をつなぎ、空高く昇って行く。
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「見よ、これが人類が22を超えられない理由である。
ここにいたすべての父親が、自分の一番近くにいた子どもを助けたならば、すべての子どもたちは助かっただろう。16人のうち誰一人死ぬことはなかった。簡単なことだ。
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しかし一人の父親が自分の子どもを助けることを優先するために、よその子どもを突き放した。それを見たその子の父親が自分の子どもを助けようとした。それを見ていたほとんどの者が、ある意味で平常心を失い、我先にと同じ行動を取ったのだ。
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ここで注目するべくは、最初に、他者を蹴落としてでも自分の子どもを助けようとした者は、全体の中で一人しかいなかったこと。そして他人の子どもを助けたのも、全体のうちの一人でしかない。残りの6人がどう行動するかで、人類の未来は大きく変わるんだよ」
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「なぜ、こんな惨(むご)たらしい夢を見せるのですか?!」
私は怒ったようにその人に言った。
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「これは本来の父性のあり方、宇宙的な父性について説明した夢である。人間は女性であろうと男性であろうと、自らの内に父性と母性を宿している。だが家族が一番大事だとか、自分の身内だけ良ければいい、自分だけ助かればいいと思っているなら、人類はいつまで経っても22を超えられないだろう。
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あの父親を見よ。彼は我が子を助けられなかったことを悔やみ、悲しみにくれていたが、彼と彼の子どもは魂の高次の世界へと引き上げられた。それが清き魂の行き先である」
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夢の場面が変わり、そこは大きな広間になっていて天井が高く、白い壁が印象的なヨーロッパ風の建物だった。そこにはどこかで見たことがあるような懐かしい人々が集まっていた。いろいろな時代の、歴史の教科書や何かの本で見たことがあるような人たちで、いろんな民族がおり、聖人や聖者と呼ばれた人たちもいるようだった。
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子どもたちや負傷した戦士たちの傷を癒し、奉仕のために生涯を捧げた人たち、国境を越えた緊急医療チームのような人たちであり、彼らの瞳には永遠の輝きが見て取れ、それはめったに会えないような精神性が高い人たちのように見えた。
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そこに、先ほどの湖のボート事故で、よその子どもを助けた父親とその子どもが招かれており、参加者に紹介されていた。そこにはボートに乗っていた残りの7人の子どもたち全員が招待されていたようだった。長老がその親子に近づき、白い小さな花で調合した飲み物を手渡した。
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父親がその飲み物を口に含むと、頬がバラ色に染まり、瞳が一段と輝き出し、そのオーラはこの会場にいる聖者たちと同じくらい輝き始めた。父親から飲むよう促された子どももその飲み物を口に含むと、はじけるような笑顔になり、今までの恐怖や悲しみがすべて消え去って行くように見えた。
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子どもは他の子どもにも飲み物を回し、子どもたちは飛び跳ねて喜んでいた。会場にいるすべての人々が、この親子と子どもたちに温かいほほ笑みと拍手を送っていた。
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「実のところ、おまえは誰を助けたわけでもない。
愛する者を失ったわけでもない。しかし、この世界の目撃者として、そしてこれを正確に伝える記録係として、おまえはここに招かれている。さあ、この飲み物を飲んでみなさい」 私は長老から飲み物の入ったコップを受け取った。
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それは木をくり抜いて作ったコップのようで、何とも言えない木の温かさと、香りがあった。コップの中には白い小さな花びらが浮いている。その幾何学的な美しさと高貴な香りに、我を忘れてうっとりとしてしまう。
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そしてコップに口を近づけ、一口飲んだ瞬間に、世界が輝き始めた。目に映るすべてのものが内側から輝きを放っている。テーブルも椅子も床も壁も天井も、テーブルの上の果物も、果物が盛られた籠(かご)も、すべてが反射する光ではなく太陽のように輝いていた。
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それにしても、こんなに甘くておいしい飲み物は、今まで一度も口にしたことがない。この飲み物を飲むと、体が喜び、心が喜び、魂が喜んでいる。それどころか宇宙が喜んでいるのがわかった。こんな飲み物を一度口にしたら、この世のどんなものも口にすることが出来なくなってしまうだろう。これは大袈裟な表現ではなく、一口喉を潤すだけで、百年は何も食べずに生きて行けそうな気がした。これは神々の飲み物だと思った。
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「コップの底に小さな実があるから、それを舌の下に入れてみなさい。実は噛まないでしばらくそこに置いておくように」とその人は言う。私は言われた通り、コップの底にある黒い実を口に含み、舌の下に置いた。するとバニラのような甘い香りが口いっぱいに広がり始めた。実の数を舌の先を使って数えてみると、全部で48個あった。
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「48個?」
「その通り。甘露は48の実からできているんだよ。48の麗しき結実は、やがて麗しきものの種となる」
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「よく聞きなさい。おまえは誰かを批判したり裁いたりするのではなく、それぞれの立場をより深く理解するように努めることだ。たとえば湖に落ちた8組の親子だが、16人の立場をそれぞれ理解すること。
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常に全体を俯瞰することが大切である。しかも全体を俯瞰するだけに留まることなく、16人の一人ひとりのところに降りて行きなさい。そして一人ひとりの心の奥を理解するように努めることだ。
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皮肉なことに人が本当に守りたいものは、自分から一番遠くに離れているものだ。しかし目の前にいる、見知らぬ誰かのために、惜しげなく手を差し伸べる時、結果的には遠くにいる大切なものも一緒に救うことができるんだよ。
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さあ、現実の世界に戻り、目の前にいる他人の子どもを救ったために、自分の子どもを助けられなかった無念の父親に伝えてあげなさい。魂の世界ではこのようなことが起きているのだということを」
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辻 麻里子氏の夢によるメッセージ
zeraniumの掲示板 : http://872913.jugem.jp/?eid=219