この地上世界、肉体世界ってのは、
本心開発の場所なんですね
〝 我(が) 〟を無くす修行の場なんです
自分さえよければいい、
自分の家族、自分の地域、国さえよければいい、
そういう想いは、自然の摂理に反した想いなので、
やはりどこかで、捨て去らなければならなくなってくる
自分やその周りの人たちだけが得をすればいい、から、
すべての人たち、この世界に生きるすべての命が、
調和して生きられるように、奉仕する。
そんな意識のシフトを、アセンション、
その昇級試験を、最後の審判という
人間から人に進化する時代が、今なのです
〝 我(が) 〟がなくなることが進化の道
別に変な事言ってないでっしょッ?
それは常識的にも、
〝 我がまま 〟な人は子供ですよねッ
〝 我(が) 〟が無くなっていくだけ、大人になる
〝 我(が) 〟が無くなっていけばいくほど、
その人の人格は高くなり、
高潔になっていく
自我をすべて投げ出して、
神我のままに生きた人、
〝 天の響き
〟をこの地上界に現した人を、
神我一体の人という
愛と調和、平和の響きのままに生きた人
神我一体の〝 我 〟は、
〝 個我 〟ではないんですね
肉体の想いで、〝 あーしようこーしよう 〟
〝 あぁした方がいいんじゃないか、こっちの方が得なんじゃないか 〟
そーやって肉体の頭で色々と考えることを、〝 自我 〟という
あるいは、〝 あれがほしい、これがほしい 〟
〝 我欲 〟ですよね
物欲、金銭欲、色欲、権威欲、自己顕示欲・・・
みんな自我
そーいうものを、すべて取っ払って、
スッキリと想いが〝 空っぽ
〟になった時に初めて、
人間は真の智慧、力、能力が現れてくるのです
神人は、戸を出でずして、以て天下を知り、
牅(よう)を窺(うかか)わずして、以て天道を見る。
神人は、行かずして知り、見ずして名(あき)らかに、為さずして成る
なぜ神人は、家を一歩も出でずして、
世界のことがわかるのでしょう
インターネットでッ?
今ならそれもわかりますが、
これが書かれた、老子のいた時代に、
なぜそんなことが出来たのでしょう?
神人にはそれが出来たのです
この世界ではまだ、
肉体が人間のすべてだと信じられています
しかし人間の体は、そんな小さなものではなく、
大別すれば、肉体、幽体、霊体、神体と、
波長の違う体を貫いて生きている生命体なのです
肉体の頭脳ですべてのことを考えている、一般の人たちと違い、
神人はすべてを、〝 神体の頭脳
〟で考え、判断し、物事に当たっているのです
〝 天の響き
〟がそのまま、
その人の全人格、全行為になっているのです
神人は、今ここにいながら、
世界の響きを直覚し、
またこの肉体を通して、天の光を地に流し込んでいる
神人がそこにいるだけで、
人々は清められ、場の響きは整えられ、
天の理想をこの地に下ろす、
大きな働きを成す器となるのです
〝 我(が) 〟がなくなるとはそーいうこと
かつての神人たちはみな出来ていたのだから
私たちもその道の上にいるのです
何千年、何万年もかけて、
磨かれているのです
綺麗な人になるために
だから50、60年くらい生きたって、
てんで子供のような人もいる
一方では、20代で、もう〝 神性
〟を現している人もいる
何が違うの?
魂の年齢が、きっと二桁くらい違う
磨かれた魂は、
この世界にプラスになるような生き方を選ぶ
また〝 個我 〟を持ちながら、
〝 全
〟の中に己の人生を投げ入れて、生きていく人もいる
かつての偉人たち、聖人たちの歩みのように
家庭の中で、職場の中で、
人を通して、環境を通して、
その人は自然と磨かれていく
生かされていることに感謝し、
己を先立たせず、和の中で生き、
人知れず、人々の幸せを願う者
そういう人を、神我一体の人、
ライトワーカーという
そんな、天地を貫いて生きる、真人たちが、
平和の祈りの中から、たくさん現れてくることを願って
世界が平和でありますように