〝 自分 〟っていう想いがあるから、
そこに〝 執着 〟が生まれ、
これは俺のもんだ、俺の人生だ、俺の金だ、俺の家族だ、
〝 所有 〟という思い違いが生まれ、
迷いが生まれ、不平や不満が生まれる
みんなそう、そんな個々人の想いが、
個々人の運命となり、国家や世界の運命となって、
今や人類はどこに向かって行進を続けているのか、
このまま行けば、〝 崖 〟に向かってまっしぐらッ
〝 自分 〟ってものがなくなればいいんですよねッ
みんな不思議なことをやっている
いつのまにか、
この肉体が自分だと想って生きているんですね
何度も何度も生まれ変わり死に変わりを繰り返して、
肉体を纏って何度も現れていく内に、いつのまにか、
この肉体だけを自分だと勘違いしちゃって、
肉体のことしかわからなくなっちゃって、
今に至っている
肉体が無くなったって、また霊界に行って働くんですよ
ほんの数十年、身に纏って過ごすこの肉体というものを、
己のすべてだと想い違えてしまっている
肉体は地球から与えられたもの、
命は天から与えられたもの、
自分のものなどこの世界に一つもないのです
だから〝 肉体の想い 〟ってものを、
一遍どこかに捨ててしまわなければなりません
〝 我 〟がないだけ、その人は行い円満の、
人格が高潔な人
我があるだけ、〝 人間 〟ってこったねッ
あるいは人間どころか、動物(猿やチンパンジー)以下な人たちもいる
本能のままに生きているのが動物でしょッ
人間は自分で自分の運命を創れる〝 創造性
〟があるだけに、
本能のままに生きていたらお粗末なのです
中には人の迷惑を考えないで、〝 我がまま 〟に生きている人や、
残忍な〝 悪魔の化身 〟みたいになっている人もいる
〝 我 〟があるから
〝 我 〟があるだけ、その人はたいした人ではない
〝 我 〟が100%無くなるまで清め切った人を、
神我一体の人という
人を観る時は、
そーいうもので判断していったらいいですね
そーすれば、その人の本質が観えるから
〝 我 〟がなくなってくると、
その人は〝 本心
〟の光がそのまま流れる、
天の使い良い器となっていきます
その人が〝 頭 〟であーだこーだと思い煩う分だけ、〝 ノイズ 〟となり、
本心の響きがそのまま現れてくるのを阻害する
邪魔なんですね
〝 我 〟がッ
人間の方で考えるのではなく、
天にすべてを任せて、天の御心のままに、
天の響きのままに、流れてくるままに、
この肉体が動くようになってくるのです
自然法爾、空即是色の人
理屈は簡単なんですよ
方法も簡単です
天にすべてを任せて生きればいい
ところがそうなるまでに、
どうしても〝 時間 〟がかかるのです
〝 我 〟を取り去るために、
皆さんはこの肉体界と、霊界を行ったり来たりして、
心身を磨いているのです
いずれはこの肉体界も、
神我一体の人たちが当たり前に地上を歩く時が来るでしょう
しかしそうなるまでに、人間はどうしても、
〝 我 〟を取り去るための苦難の時期を越えなければなりません
それが今の時代であり、これからの100年間なのです
今の世界の在り方では、
この先100年と持たないことは、
誰の目で観ても明らかです
それでもまだ、
人々は〝 我 〟を通そうとしているのです
楽に超えるのは無理かもなァ~ッ
今年はすさまじい結果となるでしょうね
当たり前ヨ
自然の流れに、従って動いていないのだから
逆行してしまっていたら、グイグイしっぺ返しが来る
この世界は、〝 我 〟を通して生きていかれる世界ではないのです
そのことを、学ぶ時期に来ている
個人レベルでも、世界レベルでも
個人の〝 霊性
〟が未熟だから、
〝 自我 〟を脱却できず、分離意識が生まれ、
人々は自分たちだけの生活を想い、
挙句の果てに、人類の滅亡の片棒を担いでしまっているのです
〝 我 〟は、守護の神霊たちが全力を挙げて取り去って下さっています
全力で清めて磨いて下さっている
しかし肉体の、私たちの意識の方で、
その働きに感謝して、想いを向けている程度に応じて、
いくらでもその〝 時間 〟を短縮することが出来る
波動調整のための〝 苦難 〟を、いくらでも和らげることが出来る
人間の日々の心がけ次第で、
この先の運命はいくらでも変えられるのです
いずれは人間一人一人が、
それぞれ自分たちだけで、この世界の〝 法則
〟に乗れるように、
磨いて磨いて磨いて下さっているのです
簡単に乗るか、痛い目を見て乗るか
〝 我 〟を放棄する
自分たちだけが良ければそれでいい、
そんな未熟者は、どんどん痛い目を見ていくでしょう
法則に乗れば、何の痛い目も見ずに、
平々凡々と人生が送れるのです
その道を、ガイドスピリットへの感謝の道として、
世界平和の祈りの道として、
ここに示しておきます
世界が平和でありますように