道の口より出ずるは、淡乎として其れ味(あじわい)無し
之(これ)を視れども見るに足らず
之を聴けども聞くに足らず
之を用うれば既(つ)くす可(べ)からず
老子 道徳経 第三十五章
道というもの、真理というものは、
何も超特別な行為の中にあるのではなく、
平々凡々たる日常茶飯事の中にあるのであります
例えていえば、
日々こうして私共が生活していられるのは誰のおかげか、と云いますと、
先ず肉体の諸機関がそれぞれの分野において、
その定められた働きをつづけているからであります
そうなりますと、
心臓さんありがとうございます、
肺臓さんありがとうございます
腕さん足さん、
すべての筋肉さんいつもつつがなく働いていて下さってありがとうございます
という感謝の心が湧いてでても、これは不思議ではありません
次に感謝しなければならぬのは、
水であり空気であります
自由に水が得られ、何の代償もしないで空気を呼吸していられることは、
何んと感謝しても感謝したりない程の有難さです
こうしていちいちありとしあらゆるものごとを取り上げて考えてみると、
何一つとして感謝せずに受けられるものは無いことがはっきり判るのですが、
これが生れた時からの眼に見えぬ、
手に触れ得ぬ自然界からの贈りものなので、
殊更礼を云う気にならぬのであります
淡乎として其れ味無し、
というところなのでしょう
老子はそうした人間の心をよく知っていたのですが、
自己の教えを引き下げて教えるようなことは絶対にしないで、
大生命の根源につながる人間の生き方を説きつづけているのであります
淡乎として味無き言葉を、
深い味いとして心に沁みて受け止めているかな、
そうした人々が何人あるかなあ、
とじっとみつめているのです
大道は言葉そのものではない、
之を用うれば既くす可からず
之を行為として現わした時に妙々として人々の心を打ち、
人類の道を光り輝かせるのであります
先ず自らの肉体身に感謝せよ
大地に水に空気に感謝せよ、
すべてのものへの感謝行を第一にして、
自らの第一歩を踏み出し、第二歩を踏みしめてゆく、
という平凡にして非凡なる感謝行の生活を、
その道を歩まれる方は第一にして頂きたいと思うのであります
この感謝行の中から、
天との一体化が巧まずして為されてゆくのです
老子は行為の人であり、
私も行為をもって尊しとしている一人であります
感謝の行為と愛の行為こそ、
この地球人類を平和にする基本的な行為です
そして、この感謝の行為と愛の行為とを一つにしての行為が、
平和の祈りなのであります
世界が平和でありますように、
という祈り言葉と、
守護神、守護霊への感謝の言葉、これこそ、
やがて世界の平和を導き出す、
大事な大事な祈り言なのであります
老子講義 より
今の人間社会に欠けているのは、
こうした〝 自然への感謝
〟だと想うのです
自然、地球への感謝がない、
それは未成年が、生かして下さっている親への感謝がないのと、
同じではないでしょうか
まだ人間の進化レベルは、
その程度なのではないでしょうか
自然への感謝、これは昔の日本人なら、
誰しもが持っていたもの
また、八百万の神様と言って、
道具から何から、すべてのものには神様が宿っている、
命が宿っているという信仰が、
昔の日本人にはありました
西洋文化が入ってきてからでしょうか
今の社会は、自然への尊敬を忘れてしまった
自然に、天に生かされていることを忘れてしまって、
〝 自分の力で生きている 〟と、人間は想い上がってしまった
それが今の自然環境の乱れや、
自然の法則から外れかかっている、人間社会の無軌道な在り方の、
原因なのではないでしょうか
もう一度、人間の在り方を、
本来の在り方に還したい
私たちは何に生かされているのか、
こうして私たちを生かして下さっているものは何なのか、
命を与えて下さっているすべてへの、尊敬を、感謝を、
想い出していかなければならない時期に来ているのです
人間至上主義はもう終わりッ
これ以上の身勝手な生き方では、
もうこの先の未来がない
本来の生き方、自然と調和した生き方に還る時です
それは一人一人の意識から、
また老子の言うように、
一人一人の生き方から始まってくるのです
生かして下さっているすべてへの感謝、
私もこれを書いていて、どれだけ日頃の生活の中で、出来ているだろうか
忘れがちな人間の生き方だと想うのです
それでもそんな自分を省みて、
多くの時間を、自然への法則に乗せようと、
祈り心を響かせて生きようとしているのです
一遍に法則に還そうと想っても無理かもしれない
しかし少しずつ、日頃の心がけが、
やがては大きな感謝一念の生活へと、
立ち還っていくのではないでしょうか
いずれは人類すべてが還らねばならない、
人としての本来の生き方
自然と一体の生き方、天と一体の生き方に、
誰もが易しく成れる道として、
感謝一念の祈りの道を、
平和の祈りの道を、
私は老子と共に、
老子に導かれて歩いているのです
淡乎として味無き言葉を、
深い味いとして心に沁みて受け止めているかな、
そうした人々が何人あるかな
平和の祈りの道は、
老子と共にある、
無為に至る道でもあるのです
過去記事 : 十牛図(じゅうぎゅうず) 悟りへの段階を示した、古の中国の禅図
世界が平和でありますように