大道は甚だ夷(たい)らかなり
而(しか)るに民は径(こみち)を好む
我をして介然(かいぜん)として知ること有らしむれば、
大道を行くに、
惟施(ただななめ)なからんことを是れ畏る
老子 道徳経 第五十三章
先日、久しぶりに、
仙台駅前に行ってきたんですね
仙台はまだ自然が多くていいんだけれど、
〝 都会 〟という文明の失敗作、
いや、都会が今の文明を象徴しているのなら、
今の文明が失敗作なのでしょうねッ
常に〝 新しいもの 〟で塗りつぶしていく、
つぎはぎだらけの砂上の楼閣
人々は、本心の光を掴まず、
いずれ消えゆくネオンの光に群がる
生命の法則(大道、調和)から外れ、
この世界のすべてが天から与えられていることに、
気付かず、感謝せず、その恩に報いようとしない、
それで美衣美食にふけっているものはみんな、
老子から言わせれば、すべて盗んだ華、盗夸(とうこ)なのだ
老子ならそう言うでしょうね、
私はそんなこと言いませんよッ
老子は聖人の生き方、真人の生き方を教えていて、
その〝 道
〟に乗らない人や世界を、
厳しく戒めている人だから
まぁ当たり前なんすよね
大道(生命)を忘れて、
人間は肉体であるという誤解、
肉体界だけがすべてであると勘違いしてしまったところから、
この世界の不和が生まれ、
今でも人間が三界(迷い、無明界)の低い世界から抜け出ていない、
不幸や不調和、無知の原因になっているのだから、
あんたたち、いつまで宇宙の法則から外れて生きてんの、
平和な世界を、一人一人が求めているんでしょう?
だったら法則に乗らなきゃ、
法則から外れた分、それを直そうとして、不幸や病気、
あるいは自然の不調和が引き起こされていくんだから
あったり前のことでしょう?
それにはあーしよう、こーしようという、
思慮分別、小智才覚をなくして、
天のままにすべて為せ
それを無為にして為せといっているんだ
って、伝えたわけなんですよ
ところがですよ、
前に紹介した本、「 パワーかフォースか 」 に、
天に思考を放棄すること この行為が、
意識レベル 850 と示されていた
世界の意識レベルは207そこそこ、
日本人は400そこそこ
誰がそんな狭き門をくぐれますか
まずその門が高すぎて、
誰も届かないし、そんな道があることすら知らない有様ですよッ
聖者・賢者たちが通る、あるいは目指していく道なんですね
それか、すべての人間としての経験を終えて、
皆が仕上げとして通る道なんです
小我を越えて、大我に生きる
いずれは人間が人になるために、通る道なんだけれど、
昨日、都会を観てきて、
而(しか)るに、民は径(こみち)を好む
天と地には未だ大きな溝があって、
その溝を埋めるため、橋をかけるために、
今までの聖者・賢者たちの生き方や、働きがあったんです
老子はその中でも特に高い神人で、最高の境地を説いているんですね
人間たちよ、
いずれ消えゆくものを掴んで、追い回してなんになろう
あなたたちの命は永遠に続くものなのだ
この世界だけがすべてではないのだ
大道は、甚だ夷(たい)らかなり
命を輝かせる道は、穏やかで、平らかで、
何ら障害や摩擦がない、天下泰平の道なのだ
この道を歩けば、世界に不調和はなくなるのだよ
肉体の生活も、
自然法爾にすべて整ってくる道なのだ
しかしあなたたちは、未だその法則を知らず、
肉体の頭脳だけで事を為そうとする、
小さな道に迷い込んでしまった
その天と地の差を埋める方法を、
〝 祈り
〟といい、
まだ人間だけじゃ天と繋がり切れないから、
その天と地の橋渡しとして、
一人一人の守護の神霊たちや、
肉体を持った聖人たちの働きがあったんです
天と地の差、
今までのような、人間だけが良ければいいという社会は、
この先どうなっていくのでしょうか?
自分だけが良ければいいという生き方は、
今の社会で、どう現れてきているでしょうか?
そんな生き方を続けて、径(こみち)に入り込んだ生き方で、
この先どうなっていくでしょうか?
改めていく時が来ているんですね
だから、もう一度、今までの聖人・神人たちの生き方を見習いなさいよ、
ガイドたちの、あなたを守り導かんとする働きに、
感謝して生きなさいよ、
大自然、天(大道)に生かされていることに、
感謝して生きなさいよ、
それに気付いて、人間の小さな生き方を改めないと、
これからもっと大変なことになりますよ
法則にそろそろ乗んなさいよ、
っと言って、
老子さんも〝 平和の祈り
〟の大光明の中で、
その圧倒的な光を輝かせているわけなんです
平和の祈り
あるところに、
我が光明在り
天を信じて歩け、
天道は甚だ夷らか、
天下泰平なり
世界が平和でありますように