人もし我に従ひ来らんと思はば、
己をすて、己が十字架を負ひて、我に従へ。
己が生命(いのち)を救はんと思う者は、これを失ひ、
我がために、己が生命をうしなふ者は、之を得べし。
マタイ伝十六章二十四節
以下すべて、肉体身に把われる想いをすべてすてて、
永遠の生命(天)に全託しなければいけない
人がもし、この地球世界全部を自己のものとしたとしても、
自分の本体である、
永遠の生命を失ってしまったら、
これほどの損失はないのだ、
と説きつづけているのであります
肉体身やそれにまつわる損得などは、
百年とは保たないのであります
しかし、永遠の生命を得たる者は、
永遠にその生命を輝やかし得るので、
肉体界の智慧や富など問題にならぬ、
大きな智慧や富を得るのであります
この世に現在、己が十字架を負って、
天(真理)に従ってゆく人がどれほどあるでしょうか
肉体の生命や、肉体生活の損得を一切考えないで、
真理のためだけ、
天のみ心のためだけに働いている人が、
どれほど存在するでしょうか
天の世をこの世に現わそうとするためには、
まず自己が永遠の生命を現わすことが大事なのであり、
天のみ心と一つになることが大切なのです
イエスにしても釈尊にしても、老子にしても、
すべて最高の境地を説いているのでありますし、
そうした聖祖は、みずからはその境地になりきっていたのでありますが、
その境地というものになりきれる人は、
そう数多くはないのです
そこで、法然や親鸞のような易行道を行じさせた人もでてきているわけなので、
各人その器量に応じて自己の道を進んでゆく必要があるのです
聖書講義 より
そこで私は、
各人を専属で守り導いている、
ガイドの神霊たちに、
自己の運命をすべて任せ切る人生を選び、
今に至っているのです
己をすて、とは、私なら言いません
今の時代は、個人の神性が花開いていこうとする時代に入ってきているのですし、
個々の個性が尊重される社会が、早くこの世界に現れてほしいと願っている
しかしその根底には、
一人一人が〝 生命の本源(source)
〟と繋がり、
今までのような〝 一人一人がてんでバラバラな生き方 〟ではなく、
この宇宙の法則に則った、〝 一つの調和
〟に向けた歩みを、
〝 私たちはこの星の一員である
〟という意識の下での歩みを、
足並み揃えてしていってほしいと願っている
そのために今までの聖賢たちの生き方があり、
今ではガイドスピリットとなって、
一人一人を導いていく存在となっているのです
一人一人が、天(自己の内面の神性)にすべてを任せて生きれるのなら、
それに越したことはない
しかしその道を通ろうとすると、
この世界ではまだ苦難の道となってしまいます
なので一人一人の、肉体の生活も大切にしつつ、
それでいて各自の天命に繋がっていけるような、
〝 天と地をつなぐ道
〟として、
その人を専属で守っているガイドたちに繋がって生きていく道を、
私は勧めているのです
あッどうもッ
紫ちっくな空を撮ってきましたッ
このアートフィルターいいよねッ
電信柱も絵になるわッ
天の響きを伝えることに専心せよ
そんな声が聞こえてくるような空でした
己をすて、確かにそれは真理のことばで、
自己のすべてを天にすて切った時に、
その人の真の天命が開かれ、
各自のガイドスピリットたちや、かつての聖賢たちと一つの生き方が出来るのですが、
その任せ切るということが、この世界では大変なことなので、
任せ切るまでに様々な苦労や苦難があるのですが、
それらを突破して、すべてを天に任せ切る心境になれれば、
真の安心立命した人生が開けてくるのです
それは永遠の生命に則った生き方で、
この肉体界の人生だけではなく、肉体がなくなった後も、
霊界の上層、あるいは神界にまで還り、
その人は各自の天命の道を全うする、
光り輝いた生き方が出来るのです
まぁそう難しいこと言わないで、
真の〝 幸福
〟を得たいのなら、
素直に守護の神霊に感謝して生きるのが一番いいってことです
世界が平和でありますように