さらば愛知ッ
いつか必ず、またの日を!
修行の際は、いろいろと現世的にも障害があった。
しかし、私を支えたのは、
私は絶対悪いことをしていなかった、
人のため国のため、
人類のためにどうぞお使い下さい、
と投げ出した私の生命を神さまは絶対悪くするはずはない。
もし悪くするならば、
この世界には神も仏もないということだ。
そんな世界ならばこっちからおサラバだ、という気持だったよ
如是我聞 より
少し緊張してきましたッ
これからのことで
また前に進むしかないと、
腹を決めて
肉体には、
自己防衛本能ってのがあるじゃないッ
肉体を守らなければってやつ
あれがやっかいなんですよッ
〝 イエス・キリスト
〟のように、
最初から〝 霊体
〟に近い波長の体を持った人なら、
簡単に肉体を投げ出せたのかもしれない
〝 天の御心のままになさしめ給え
〟と、
肉体を捧げた人だ
しかし私たちは人間だから、
やっぱり自分を守ろうとする本能が出てくる
〝 生死を超える行の世界
〟には、
長い年月を経ても遂いに飛びこみ得なかった祇陀(ぎだ)の心は、
消極的な平安のみを求めて今日にまで至ってしまったのである
真実の平安というものは、
想念の根柢をみ仏の中に任せ切らない以上は、
得ることの出来ないものであることを、
齢五十になるまでの長い仏道生活においても、
彼には悟り得ないことだったのであろう
小説 阿難 より
〝 思考 〟はやっぱり、
色々と計算して考えるわけですよね
そこから未来を判断する
しかし〝 心
〟は、
思考では危険だと想う、何の保証のない道を、
時に、行け!と言ってくる
人間には恐怖心というものがありますね。
これを取り去ろうと努力するのですが、
考え方によっては、この肉体界に生きて、肉体を維持している以上、
この恐怖心が全然なくなってしまってはまずいのではないでしょうか?
そうだね、
全然なければ人の心の動きがわからないだろうし、
同情心というのがわからないね。
幕末の騒乱期に何度も死の剣の下をくぐりぬけた勝海舟や山岡鉄舟でさえ、
恐ろしいと思うといっているんだからね。
しかし恐怖心があっても、それをすぐ転換できたのだ。
だから恐怖心があるからダメだということでなく、
いかに早く、
短かい時間で想いを転換できるか、
ということが必要なのです。
その修練の連続じゃないかなと先生はお答えになった
如是我聞 より
それでは、
毎度のことですが、
〝 天
〟を信じて突っ切っていきたいと想います
愛知の皆様ありがとうございました
いつか必ず、またの日をッ
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