どれッ





〝


まとめて注文してみますかッ

これらをなッ






前に注文したのと合わせると、
空、花、雨の雫、森、夕陽で、
ま~イイバランスでしょうッ
でかしたッ
明日・明後日に全部見直して注文してみようかなッ
やべッこれも忘れてたッ
彼は阿難と称する肉体を有(も)ちながら、
阿難という肉の身そのものではなかった
彼の心の中には個我としての阿難はとくに消えはて、
ただ仏陀世尊のみ心だけが、生々と生きていた
釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)が、阿難という肉の身を仏法宣布の器とし、
場所として使っておられるのであった
頬をなぶる涼風も仏のみ心、
踏みしめる地の感触にも仏のみ心が痛いまで観(かん)ぜられる阿難にとって、
誤った外道の教に幻惑されてゆく弟子たちのあることは哀しいことであった
しかし今の阿難は、
そうした哀しみの想いに自ら入りこんでゆく愚さはなかった
そうした哀しみの想念がただ心の表面を流れてゆくのであった
小説 阿難 より
私には、
ずっと〝 追っかけ
〟している先生がいるんすよ
先生が平安時代に生まれれば、
私もお供いたしますって付いて行ったり、
先生がこの星に来た最初から最後まで、
ずーーーっと追っかけしている先生がねッ
ところが今生では、
私が生まれる七年前にもう天に還ってた
すれ違いッ?
だからその人が残したことばや本や教えを辿って、
ずっと生きてきた
なんで一緒の時代に生まれなかったかなぁって、
ちょっと寂しく想ってたのね
同じ時代に出会ってきた人たちが羨ましかった
でも違った
たぶん一緒の時代に生まれていたら、
きっと私はその先生の肉体身に想いが把われてしまう
阿難は世尊の生前と同じように、
自らその居間を掃き清め、
信者からの供養物を捧げた
今、彼は肉眼で世尊を仰ぎ見ることは出来なかったが、
仏陀世尊は、肉眼で見る時と同じように、
否それよりもかえってはっきりと、
彼の心の中に生々と響きわたって在(おわ)すのであった
我が肉身も已(すで)に老いて、
齢八十になってしまった
もう古い車の如く、諸方が痛み傷ついている
自ら努めて精進してこの苦痛を忍び、
如来(にょらい)に縁ある者の縁を生かさんために各地を巡るのであるが、
苦痛の想念というも如来心においてあるものではないので、
我れが夢想定(むそうじょう)に入る時には、
我身は安穏にして脳患(のうかん)はさらさらないのである
阿難よ、是(こ)のように如来(み仏)の心こそ、
そなたの本心であるのであるから、
自らの本心に帰依(きえ)し、
法に帰依して、
他に帰依する勿(なか)れ
また、自らを光明とし、
法を光明とすべし、
他に光明を求めようとなさば、
自らの光明を消すに等しい
自らの本心は光明心そのものであり、
法のひびきと一筋のものである
身は不浄にして常に苦を受けるもの、
想念は苦そのものにして常無きもの、
法は無我にして仏より発するものである
阿難よ、
能く能くこの真を悟りて、
後より来る者を導くがよい
と仰せられたが、
その時仏顔(ぶつがん)は著しい輝きを放たれていた