






菩薩としての私の仕事である

善きにつけ悪しきにつけ全託し、天の器となれり

大病して亡くなる前の、27歳の人の言葉ではありませんね





人について考察してみた



お願いごとのように想われるんだけれど、
私たちの想念は今こうして想っていることも、
ホントは世界中を駆け巡っていて、
業想念を発したらこの世界のマイナスになるし、
〝 光の想い
〟を発したら世界の光になる
頭の中のことなんて、
誰にも聞かれないと想っているでしょう?
ちゃんと世界中に響いていますからねッ
神社にいったら、
まさか宝くじが当たりますようになんて想ってないでしょうねぇ~ッ
明らかに自我欲望想念だねェ~ッ
やっぱりいっつも〝 天
〟につながっている心、
そんな想いでいるのがその人にとっても、
気持ちよく生きられるし、
この世界にとっても、
その人が生きているだけで、
この星の平和のためになるような、
そんな生き方がイイネッ
上に書いた人を観てみぃよッ
宝くじが、なんて恥ずかしくなっちゃうわッ(●´ω`●)ゞ
この世界からいなくなっても、
いっくらでも働きの場、世界はありますからッ
じゃあこの世界にいる間に、
いっぱい光を蓄えて昇天していった方がいいよねッ
ホントはこの世界にいる間に肉体を持ちながら、
〝 天の器
〟になって、
光をふりまくような生き方をした方がいいよねッ
みんなが幸せでありますように
世界が平和でありますように
そんな祈りを根底にして生きていったら、
結局は個人の願いなどすべて叶えられます
だから個人のことなんて、
ホントは何にも考えなくたっていいんすよッ
ひたすらこの星の平和を祈る、
すべての人の天命が果たされることを祈る、
世界が平和でありますように、、、
この祈りの中に、
個人の幸せ、個人の生活、個人の想いなどすべてぶち込んでしまって、
〝 天のひびき
〟そのままに、
一瞬一瞬を生きてくだされば、
天がすべてを成さしめて下さる
個人なんてものは世界のどこにもないんだから、
個人の人生などすべて〝 平和の祈り
〟の中に投げ入れてしまって、
そっから〝 光の器
〟になって、
上の人たちのように生きていけたらなぁと想いましたッ
ハイそれではッ