「ん…ここは…」
起き上がると、そこは慣れ親しんだ学校の廊下であった。
一つだけ慣れ親しむ事が出来ないのは、闇夜であるという事だ。校内は人の気配は感じられず、ところどころ、ではなく、全体的に暗闇が存在している。
俺は立ち上がり、近くにあった蛍光灯のスイッチを切り替える。
…点かない、乱雑に、狂ったようにスイッチを激しく切り替えるが、蛍光灯が点く気配は感じられなかった。
俺は蛍光灯を諦め、そのまま校内を歩き回る事にした。
今、俺がやっているのは、学校の七不思議、というありきたりな怪談話を実行に移していた。「丑三つ時に学校のトイレで花子さん」とか、「丑三つ時にプールに飛び込むとワープ」とか、信じられないものばかりが七不思議として語り継がれていた。
だが、いい加減七不思議も廃れている時代である。いつかはこの下らない怪談話も消えていくと考えると、もの悲しくなってしまったのだ。友人も誘ったが、友人は七不思議の存在すら知らなかった。七不思議の廃れの象徴である。
というわけで、俺はどんどん七不思議を解明していく事にした。手始めに、丑三つ時に三階女子トイレで花子さんを呼んだり、丑三つ時にプールに飛び込んだりしたが、別に赤スカートの少女が現れたり、プールから琵琶湖にワープできたり、という事は無かった。
七不思議のほとんどには、対処方法というモノが存在しない事が多い。対処方法が無いことで、「行ったら、死ぬ」という危機感が好奇心を抑えつけてしまうのだろう。禁忌を冒す快感などはもちろん存在しない、一時の快感と命を天秤にかけたならば、正常なヒトならば命を選ぶ事だろう。つまりは、解明する人物が元々存在し得ないから、七不思議は不気味さを纏い続けたまま語り継がれていくのである。
俺はそんなモノには終止符を打ってやろうと考えたのだ。このまま古臭い怪談話が意味もなく、無情に語り継がれるくらいなら、いっそ解明してしまったほうが、七不思議の考案者も報われるだろう、と勝手に理由をこじつけて俺は七不思議を突破していった。
今はちょうど5つ目の怪談話に挑戦していたのだ。内容は、「魔界への鏡」という題から始まる。
この学校には、大鏡が一つある。購入した、記念で作った、かは定かではないが、年季の入った鏡だそうだ。学校内には倉庫が複数存在しているのだが、この大鏡はその倉庫を転々と移動していると言うのだ。
そして夕暮れ時に、鏡に触れると魔界に引き込まれる、という怪談だ。そこで俺は倉庫を駆け巡り、大鏡を見つけると、躊躇い無く鏡面に触れた。多少苛立ちも感じていたのだろう、大鏡の事を教師に聞いても知らない分からないの一点張り、倉庫も駆け巡って最後の倉庫だったという事から、疲れが苛立ちに変わるのもわけはないはずだ。
すると、吸い込まれる感覚を感じたのち、気を失ったかは分からないが、気が付いたら夜の校舎に居たという事だ。
しかし、ここが魔界だとは証明はされていない。ただ単に鏡に触ったら気を失って、見回りに来た教師に発見されて…いや、有り得ない。教師だったらまず起こすだろうし、こんな所に放置するはずは無いだろう。
そして、この「魔界への鏡」の内容には「引き込まれた場合の注意点」というモノがご丁寧に書かれていた。
項目一。見知った友人や教師が居ても気軽に話しかけない。その友人や教師はホンモノではなく、魔界の住人があなたの記憶から引き出した仮の姿である。たまに友好的な住人も居るが、基本的には話しかけないこと。
項目二。魔界の住人は獰猛で狡猾。あなたを襲うためなら、どんな手段を使ってでも襲いにくる。倒す手段は頭を潰すコト、それ以外の箇所は住人にとっては無傷同然である。
項目三。魔界には巡回の為に使役されている悪魔が廊下を巡回している。その姿は生首で、この悪魔も獰猛である。だが、頭脳はよろしく無く、たとえ前から生首が来ようと横切ろうと知らん顔すれば悪魔は住人と見間違うだろう。横切られた場合、絶対に振り返らない事。
項目四。この世界を探検しようとは思わない事。命の保証は無い。そして、長い時間魔界に居ると、現実世界へ戻れなくなる。出口を探す事を最優先すること。
「ここまでご親切に書かれてる七不思議も無いだろうな、ハハッ」
少し自嘲気味に、嘲笑ってみた。しかし、弱々しい笑い声など、圧倒的な静寂に包まれた闇に響く事無く消えていった。俺は未だにここが魔界とやらだとは思って無かった…いや、思いたく無かった。
とりあえず、項目四に従い、出口を探すべきだ。いや、探す必要も無いだろう、出口といえば玄関、生徒玄関である。いち早く玄関から出て、家に帰りたい。こんな不気味な場所には長居は無用である。第一、俺はオカルト好きなんかではなく、こんな怪談話も信じているクチでは無いのだ。
まずは、一刻も早く玄関へ向かうべきだ。
魔界、と言ってもおどろおどろしい雰囲気が立ち込め、腐臭と粉塵が舞うという、常人にはとても耐えきれない場所だと思い込んでいたが、どうやら勘違いだったようだ。雰囲気は夜の学校そのままである、花子さんやらをクリアした俺にとってはお茶の子さいさいな雰囲気ではある。特別に恐怖感を覚えるという事は無かった。
故に、生徒玄関までの道のりはあまり困難なものでは無かった。難があったとすれば、暗闇で足場が見えにくかったくらいだろう。
生徒玄関もやはり静寂に包まれていた。誰もおらず、何も聞こえない。下駄箱を見ても、極々普通の下駄箱、というか、見慣れた下駄箱である。
俺は玄関に近寄った、だが玄関のノブは鉄鎖で幾重にも幾重にも巻かれており、解くのは到底無理そうであった。もちろん、この学校の施錠の仕方はこんな粗雑で乱暴なやり方ではない。
他に出口と言えば裏口くらいしか無いが、おそらくそこもこの鉄鎖が巻かれているだろう。
………………。
考えていても仕方ない、と思った瞬間だった。
生徒玄関前の廊下に、あってはならないものが浮かんでいる。ふわふわと浮かんでいる生首は、何かを探しているようにキョロキョロと周りを見回している。そして何もないと分かると、スーッと西棟への方向に滑空していった。
生首。
首の断裂面が印象的だった、まるで力強くねじ切られたような疵痕だった。今更ながら、恐怖感が生まれてきていた。有り得ない出来事、そして出る事ができない、恐怖を煽るには最高級のイベントである。
幸い、腰が抜けたというわけでもない。まずは移動するべきだろうか。
……どこに?
手掛かりすら無いこの状況で、行動するのはあまり誉められた事ではない。しかし、ここに止まっていても、魔界に居すぎた事のデメリットが存在する。現実世界に戻れなくなる、という強烈なデメリット。
とりあえず、生首が移動していった西棟の反対の東棟に向かう事にした。
魔界の住人とやらも、まだ遭遇はしていないが、生首より危険性が高いというのは明らかである。こちらも油断は禁物である。
階段の踊場が月光に照らされ妖しく見えてしまう。それほどまでに恐怖感が感覚をおかしくしてしまっているのだ。
辺りに生首は居ないようだ。俺は足早に階段を駆け上がった。
そっと廊下を見るが、やはり生首の姿は無い。チャンスとばかりに、俺はB組の教室に走り込んだ。
教室には誰もいない。当たり前と言ったら当たり前なのだろうが。
俺は自分の席に座った。間違いなく、俺の椅子、そして机。机に書いた落書きだって健在だ。
少しは恐怖感が和らいだだろう。そんな気がした。
「吉水、お前、松島と何話してたんだよ、随分と仲良そうだったじゃん」
「まあ一応、幼なじみだし、仲良そうに見えるのはそっからじゃないかね」
「幼なじみかー良い響きだにゃー、俺なんか幼稚園の友達なんかほとんど引っ越したり別の学校行っちゃってるし、小学校の付き合いはお前くらいだ。で、何の話?」
「七不思議、だってさ。手伝ってほしいんだと」
「七不思議?んなのこの学校にあったのか?」
「俺も初耳。まあ俺はオカルトなんか興味無いし、断ってきた」
「…てめー、かなりのフラグぶち壊したな、あー妬ましい妬ましい。お前松島の事好きなクセに、よくそういうの断るよな」
「バッ…好きじゃねーよ、あんな奴。料理はへたくそだし、私服のセンスは無いし」
「殴りたい、ボコボコにしたい、てめーそれは贅沢な悩みと言うんだぞ、てか一発殴らせろ」
「なんだよ、佐倉だって彼女らしい子にいっぱい囲まれてるじゃないか」
「バカ、あれは彼女じゃなくて強請られてるんだよ。知ってるくせにてめー、堪忍袋の尾がカットされるぞ」
「冗談だよ、冗談。佐倉なら良い彼女ができるよ、柚木みたいな」
ガタッ
不審な物音のお陰で、つい数日前のやり取りが中断されてしまった事に、俺に苛立ちと恐怖感が生まれた。
物音がした方向に視線を向けると、そこには先ほどは居なかった人影があった。背丈はちょうど170くらい。佐倉みたいな背丈だな、とふと頭によぎった。
「…佐倉」
人影が振り返る。暗がりでよく見えないが、あのムカつく顔は佐倉だ、間違いない。
と、俺は大きな間違いを犯した、と気付いたのは、佐倉らしき何かが、奇声をあげて走り寄ってきた時だった。
「ぐぎゃぎゃけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ」
見たこともない形相で、佐倉は人間らしくない走り方でこちらに向かってくる。目の焦点は合っておらず、左右に分かれている。姿は佐倉だが、中身は全くの別物だということが容易に理解できた。
俺は椅子を持ち上げ、迫ってくる佐倉に投げつけた。佐倉は避けられず、容赦ない衝撃が佐倉を襲った。
「くそっ…どうすれば…」
そう考えているうちに、佐倉は何事も無かったかのように起き上がった。当たりどころが悪かったのか、前歯が数本折れて無くなっていた。
「くきっ、けはっ、ししししし」
佐倉は前歯が無くなってなお、俺に走り寄ってくる。もう手元には椅子はなく、机は容易に投げつけれる重さではない。今更逃げるのも、今となっては遅いだろう。
どうする、どうすれば…。
佐倉が迫る。
俺は、佐倉を引きつけて。
佐倉が襲いかかってくるところで、横に避け、佐倉の足を俺の足で引っかけた。
ガチュン、と生々しい音と堅い何かが砕けた音がした。佐倉は盛大に前に転び、頭を床にぶつけたのだ。佐倉の頭からどんどん海が生まれる。異臭が鼻をつき、不快感が生まれる。
しかし、友の姿を騙った化け物だというのは分かっているはずなのに、俺は友人の死に直面してしまったかのようで、とても陰鬱であった。しかも、殺したのは自分。自己嫌悪だった。
佐倉の身体がぴくりと動いた気がした。俺は机を持ち上げ、佐倉の頭に投げつけた。重々しい机が佐倉の頭に直撃し、頭が頭じゃ無くなったのを見て、更に自己嫌悪が増した。
なぜ、俺が佐倉を殺さなければならないんだ。
元はといえば、七不思議をやっていた松島雪枝、ユキが悪いんだ、ユキが、ユキが。
「アキくん、七不思議手伝ってよ」
「七不思議?いや、この学校にんなのあった?」
「あるんだよ!ほら、オカルト研究部の部誌に載ってるじゃん」
「オカルト研究部って、数年前に廃部になったとこだろ、なんでそんなの持ってるんだよ」
「図書室に置いてあったの。あーオカルト研究部入りたかったなー」
「ユキのオカルト好きにはこりごりしてるよ、怖がりのくせによくそんなの好きだな」
「こっ、怖がりじゃないもん、驚きやすい体質なの!で、手伝ってくれる?」
「パス、めんどい」
「ケチ」
そんなやり取りをしていた数日前、そして今。まったくの別物の風景。常識ある世界から非常識な世界に転じてしまったこの状況、発狂しないだけマシだと思いたいくらいだった。
そして、居ないユキを責めても仕方ないと思えるくらい冷静だと気付いた自分が、とても誇る事ができると、自画自賛していた。
ふと見ると、佐倉の姿はなく、赤い水たまりだけが物々しく自己存在を強調していた。
逃げ出した?いや、物音はしなかったし、赤い水たまりを引きずった形跡も無い。霧散したか、と思っておくのが一番だろう。変に警戒してもあまり得にはならない。
はてさて、ここが教室だったから良かったものの、廊下での遭遇はあまりにも危険だ。武器は無し、逃げるのもあまり得意ではない。つまりは、武器を探すべきなのだろう。
武器となるもの、頭部を一撃で砕けるようなモノ、取り回しが利くモノ、手に入りやすいモノ、というのがベストだろう。おそらくは金鎚、もしくはさすまたくらいは職員室にあるかもしれない。
俺は金鎚を調達するため、実習棟である西棟へ移動を開始した。
つづく