今日は瞑想会を開催しました。
私が瞑想会をやろうと決めたきっかけは
先日のブログでもお話しましたが、
もう1つ、きっかけとなった瞑想がありました。
ある日の瞑想で真我から
「目に写るもの全てに神を見よ」と声がしました。
そして次々と現れるものは
トイレの便器であったり、テレビの中の戦争の映像であったり、
部屋の片隅のゴミ箱であったり、取るに足らないものであったり。。。etc
決して美しいとは言えるものではなく、
それでも「目に写るもの全てに神を見よ」と
声は続きます。
瞑想から離れてもしばらくこの声は続いていました。
頭では理解しています。
この世に存在しているものは
ウイルスであろうが放射能であろうが神が創造したものです。
だから愛なのです。
でもなかなか、この肉我の目で見ているもの全てに
神や愛を見るのは難しいですよね。
それから何日か経ってからの瞑想で
自分は全てであった、そして光であった、
この世は愛しか存在しない、という境地に達しました。
そしてその体験があったので、
今では「目に写るもの全てに神を見よ」の意味が良く理解できます。
私達が本当の自分(神であり、命であり、無限である)
を知るのは、知識や理屈ではなく
体験するしかないのです。
味わうしかないのです。
そしてその体験は真実の瞑想でしか得られません。
リラクゼーションを目的とした瞑想や
何かを受け取ったり浄化したりする、目的を持ってする瞑想、
誰か(マスターなど高次元の存在)がやってくる瞑想では
真の自分を知るという悟りには至らないと
真実の瞑想を伝えている方々は言っています。
そして今日お話したのは
瞑想は最高の奉仕だということ。
奉仕は見返りを期待せず、無欲で、誰に知られることなく
人知れずやるのが奉仕です。
私はこんなボランティアをしています、などの
パフォーマンスは自己満足か自己顕示欲が強いか。。。
心と思考を沈めて、瞑想するのが
この世にたいしての奉仕です。
光=愛を放射しているのですから。
お釈迦さまの「3000人に飯を盛るより、
しばらくの間じっとしていなさい」
という言葉があります。
しばらくじっとしていなさい、は瞑想のことですね。
そしてダライラマもおっしゃってる通り、
努力と継続が必要だということも。
今日参加くださった方々は、
皆さん家でも続けてみようと思っています
とおっしゃっていました。
続けていれば確実に変わっていきます。
そしてそこで得たものは
知識などで外から得たものではなく
ゆるぎないものになると思います。
7月も瞑想会、開催します。
日時:7月7日(火曜日)、7月13日(月曜日)明想会
場所:Mariel サウンドヒーリングサロン
時間:14時~ 16時 参加費 1500円