12月の末になると | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。



12月の末にちかずくと、どうしても、父が亡くなった時間にワープする

病室での父の混乱や 父の痛み 父の苦悩 など 夜中に騒いだ父の姿を忘れることができないでいる。なくなって30年近く経つというのに

父は成仏したのだろうか?あのように「まだ死ねない」と空に向かって叫んでいた父は



私は父が目を落とした瞬間には立ち会えなかった
病室から出ていろと兄に言われて、言われるがまま廊下に出て
その瞬間父のそばにいることができなかった

昨年 参加した 岡部明美さんの講座 
その練習会で私の中に「父と同じように死ぬ」という思いこみが刻まれているのが解った

そして、それ以上に 父が亡くなったことに対する悲しみを出し切っていない自分も見つかった
泣き叫び吐き出す事は大事だとその経験で私は感じている

私の泣き叫びはセラピスト役になってくださった方でさえ「すごい」と思わず呟いたほどの嗚咽だった

廊下で父の死を感じたときまるで私だけが蚊帳の外で家族では無いような孤独感や絶望などを一気に感じブラックフォールに突き落とされたそんな感じを感じていた

廊下にはまるで魑魅魍魎がうごめき、すきをつくったりすると持って行かれそうな心細さだった



私は何故この親の元に生まれたのだろう?
何をしにここに来たのだろう?

小さい頃から思っていた疑問が
絶望が吹き荒れた



何故ここなのか?
何故この親なのか?
何故今ここにいるのか?

脈々と繋がる血のつながり



そんな繋がりの中
どうして家族として出会い
別れていくのだろうか?

そんなことが渦巻いた病棟の廊下

自分と乖離したその瞬間がそこにあった

そして、意味不明な扱いに心に深い傷と疑いと怒りを持った瞬間

父は私に死を持って何を教えたのだろうか?

父が騒いだ夜中の出来事は何を伝えたかったのだろうか?

19歳の12月
小さい頃からずっと私の中で芽生えていた探求という道を確実に感じた日
それが父の闘病や死で無情を感じ生老病死苦をまざまざと目の前で見せつけられた日々

色々自分の中で出してはいけないと小さい頃から苦しんでいた叫びを確実に確かなものとして感じた日

父は私に何を教えたかったのだろう
その生き様で

父が長くないことを私は家族の中で一人だけ知らなかった
知らされなかったその確執は私の中に未だに在る
私が弱い人間で未熟だから伝えなかったのだとしたら、馬鹿にしていると思う
だったら、父が亡くなった後に崩れるのを赦されなかったのはおかしいと思う
心の準備もさせてはくれず、話し合いなども無かった

父にもっと優しくしたかった

そういう後悔しかのこっていない

そんな思いは何年経っても消えてはくれない・・・・