いじめは無くならないのか? | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

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サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。



スマップの「世界に一つだけの花」あの唄は何故ヒットしたのでしょう?
そのまま、ありのままでいいんだよ、
世界に咲く花は一種類で同じ花ではなく色々な種類色々な色、香り色々違った者が同じ地球に生きているんだよという、メッセージ性の強い歌詞だったからヒットしたのではないかな?と思います。人々がそれを望んでいるのでしょう。

でも、何故 いじめ が無くならないのでしょう?

一人一人ちがうんだよ というメッセージに惹かれるのに、異質だと思うと、自分の思うとおりの相手じゃないと、何故いじめるのでしょうか?

虐めの低年齢化は何故おきるのでしょうか?

虐めている方は時間が経つと虐めたことさえ忘れると、その昔虐められて背中にズックの痕がのこっている女の子が言いました。「私にはわすれられない傷でも、相手は忘れて話しかけてくる。時間がたってその人達は私にこんなに重い傷をつけたことも忘れている。どういうことでしょう?」と。

私は悪くない
悪いのは相手だ

と、思っている間に、自分たちが犯した罪を消去してしまうのでしょう 脳みその浅はかな行い・・・・・

でも、相手に対しておこなった罪という物は残るのではないのか?と思うのです。虐めた相手が苦しんだ分、同じように虐めた人間には罪や業が増幅していくのではないか?と思うのです。

虐められた人が自分の足で立つには虐めた人間よりも何百倍もの体験経験をして個性化を磨き上げて行くと思います。

しかし、周りの大人が無視したり、行政や先生や教育委員会が臭い物に蓋をしてしまえ!とばかり、一つの言葉を無視するとどういうことになるでしょうか?その責任のない行動がその子どもだけではなく、その子の家庭の方向性までも変えていくということを知らないのでしょうか?

税金もらって自分の生きる糧にしている人種が、これから日本をしょって立つ子ども達を守れない。

馬鹿な話しだと思います。

恨み辛みを言っても仕方がありません
でも、心に傷を負った小さい子どもの傷に言葉の塩をなすりつける虐めは最低だと私思います。

教職についた人たちの精神性を疑います
教職が聖職だといわれたのは教育勅語があった時代のことで、聖職でもなんでもない時代に、教職につく方々が何を見定めて生きていくのでしょうか?

そして、教育委員会に携わる方々 事なかれ主義で良いのでしょうか?ナンのための教育委員会なのでしょうか?

担任の教員になった事の重みを何故責任持てない教員が増えているのでしょうか?

あまりにも、変わっていない現状に私はソースカツ丼をお店で食べているのにも関わらず、その現状に泣きました。

何も変わっていない。
誰も変えようとはしない。
そんなことで子どもが自殺でもしたらどうするんだ?

死んでしまえ
シネという言葉

その言葉どうして低学年の子ども達が言えるのか?
その親たちはどうしているのか?
現実をしってはいるのか?

私自身もこう言いながら、現場に色々な事を投げかけてきたのですが、我が子を守る方を選び、教育現場の泥沼には入る気がしなかった現実があります。

どんな思いで産むのか?
どんな辛い、痛い経験をして生まれてくるのか?

根本を大事にしていないから、土台がグチャグチャだと感じるのです。

人材を育てないとといっても、人材が育つ土壌を開拓していないじゃないか?と思うのです。