我々はどこから来たのか,我々は何者か,
我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?) 1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館私の声の周波数はターコイズブルーの周波数が強い特徴を持っています。ターコイズ「私は誰?」という意識が強い周波数です。「私は誰?」と思ったのはいつからだろう?ってその頃を感じてみましたら、保育園の頃にはもうその意識を持っていました。ゴーギャンのこの絵をみたときに、この人もそうなんだ(おこがましいですが)と感動したのです。
我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
私たちはどこから来たのでしょうか?
そして
私たちは何者なのでしょうか?
そして
私たちは何処へ行くのでしょうか?
それを知っている人はどのくらいの人たちしかいないのでしょうか?
いくら瞑想をしても、いくら精神世界に身を投じて探求しても、解らない。
ここで、感じていることは、「自分は何をする人なのだろうか?」という、自分は?にすげ替えられていたという事です。
サウンドレゾナンスの創始者、コマラ・ローデに「あなたは、自分が何をする人なんだろう?こういう人間でないといけない。という生き方をしているけれど、それではない、ただ来る物をそのままありのまま受け取っていけばいいの」と言われたことを思い出している。
ヒプノセラピストの私、
オーラソーマのプラクティショナーである私
サウンドレゾナンスをする私
ラビングタッチをする私
クリスタルヒーリングをする私
その他習得してきた物をする私
これは第3チャクラの 私を強化しただけで、
ターコイズブルーの私は誰?とは当てはまらないと言うこと 大儀の部分での私は誰?ということがターコイズの探求
そして、ターコイズが何故 探求するのか?
私(三次元的な)イエローの個の私ではないのですね
ターコイズブルーの補色コーラルには相互依存というキーワードがあります。互いが互いの存在を尊重しそして共有する空間に個として存在するが、その個々的な生き方は大きな繋がりの中で行われている。
といったもの・・・コーラルは名前の通り柔らかく傷つきやすい存在
自分がそもそも裸で生まれてきたことを思い出すと、ほんとうに柔らかで下手すると直ぐ死んでしまう存在で、人間として生まれ生きていることが奇蹟なのだと、生まれたことの不思議さを感じます。
私を強化する生き方 それはアイデンティティの確立という事だとは思います。第三チャクラの個というものはでは何故必要なのでしょうか?それはきっと、思い出すためなのではないでしょうか?
我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
という事を
私が思い出す
そして私がその目標を定めて歩んでいく
私がなければ、顔を上げて行く方向を見定めて自分自身をそのゴールまで持って行くことはできないでしょう。
この絵を見るたびに、この絵を初めてみたときの衝撃を思い出します。
ゴーギャンは極彩色の島に移りきっとそこに何か答えがあると思いすがる思いで何かを探したのではないか?と思います。
そして、絵という物で自分の内側からわき上がる問いかけを表現していく。
我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
この問いかけに答えが出ないから、ゴッホは耳をそぎ落とし、ルノアールはリュウマチで動かない身体に鞭を打ち、平山郁夫はシルクロードを描き続け芸術のターコイズブルーを探求しつづけたのではないのか?と思います。
~をする人ではなく
人として生まれた意味、意義からくる生き方をしたいものです