子どもを生み育てやすい国にするには?ですか~? | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

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サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。


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子どもを生み育てやすい環境をつくっていく。う~ん・・・・

テレビで特集をやっていますよねぇ~・・・・

それって、絵に描いた餅?じゃないの?などと思ったりもします

言うのは簡単だよねぇ~って

うわっつらだけ、ぺろ~んって嘗めて話せばいいんだからって

(そうとう私捻れてますね・・・最近ババアなので、これが姑根性というものか!と新発見をして密かに驚いています・やばい・・・・)


少子高齢化 今住む地域では昔から老人比率が高く、このままでどうするのだろうか?ともうず~っと話しにあがっては何も対策がとられていないかもと思う様な現状があります。


行政の冊子を読むと、子育て支援に力を入れているというアピィールをされているのですが、福祉というククリで考えたら、各家庭、各個人が自立するというような地盤があって、その教育をされていないような気がします。


日本人独自の社会という変えようもない意識の中でサービス提供をしていくための難しさを痛感してきましたが、TVなどで他の国はという話しをしたとしても、歴史も考え方も子どもの育て方も違う。国だけではなく、その家庭家庭子育ての仕方は違う。そこを少子化をどうする?と投げかけても、意識が動かない。


女性の社会進出をどうサポートするか?=何でもかんでも行政がやってくれたらいい ではないだろうし、女性として、子どもを生み育てるというのは多大な体力と多大な投資多大な気力多大な精神力が今の世の中は必要だと言うことを何処か肌で感じているから産まないのではないか?などと思うことがあります。人も本来動物なので。社会がどう生み育てやすい世の中にするか?昔の社会と今では状況も違うし・・・・


男性の育児休暇にしても、大きな会社は大丈夫だろうけれど、小さな企業は今ギリギリの人員でギリギリの収入でやっている。そこで無理を強いることとなるのだけれども、その人一人抜けたその状態を残った人達が支えていく。じゃあ、産休育休の間だの短期のスタッフを雇えばいいだろうと言ったとしても、その方を育てるのに時間がかかる。アウトソーシングといっても・・・


結局、日本 経済も政治も破綻しているんじゃないか?と思ってしまうのです。



ここまできたら、何も無い時に何が宝で何を優先するか?をとことん考えた方が良いのでは?と感じます。

目の前にある生活という状況をありのまま観る力が必要となってきたのではないか?と感じます。



この10年子育て支援をしてきて、やはり行政からの委託ということで補助を頂いてきました。

国と県と市の税金を使わせて頂くのだからとスタッフにもそこをしっかり使えます。

しかし、この10年間で約4000万を法人から補填してやっと運営しています。

正直、もうやっていけないか?もう辞めないとだめか?などと頭からその言葉が消えたことはありません。

我慢だけをしいても、スタッフは続きませんし・・・・・母体の収益が下がってきてるのにどう維持しようか?母体を食ってしまったら本末転倒だろうなどと考えます。

子育て支援、人が動き、場所もあるということは、タダではないんですよね。

せっかく国が補助率を上げても、県に降りて県のお財布に吸収されてしまう。そこから市に通達され、市がどのように補助を渡すかを考える。社会福祉法人ではないので、予算案として予算が年始についてそこを回していくのではないので、収入も四半期として報告してやっと入ってくる。その間のお給料などは法人からということになるのですが、思いだけでは子育て支援できないな~というのがこの10年間の答えです。


何故、子育て支援をしようと思ったか?


お母さんが笑って暮らせることに少しでもお手伝いできたら

それだけです


子どもが傷つき子どもがその子の個性として育ち伸びて行くには、お母さんの笑顔が一番だと思ったから

ただ、それだけなんです


お金をばらまけば良いというものではないのか?と私は密かに思っています。

そのお金をどう使うか?

そのお金を使うとき、国を自分がどう支えているか?を考えての投資になったらと密かに思っています



子育て支援をし始めたとき、保育園児だった息子が中3になって、さて、今またその子育て支援をしますか?と聞かれたら、正直しないと思います。それだけたいへんなんです・・・・あの頃は若かったし、自分が働く母親として何が出来るか?ということを深く考察していた時期だったので、できたのだと思います。しかし開園して一年目に何も聞かされていなかった母体の経営不振を突きつけられ、経営学者のかたに「病児保育も辞めなさい。赤字ブースはすべて切らないと、生き残れませんよ。これだけの負債をどうやって返していくか?それは小さくなっても生きることです。生きていれば借金を返していくことができます。」と言われました。病棟をサイズダウンしたあげく病棟閉鎖という事を突きつけられて、ショックを感じない者はいません。こちらに帰ってきて2年目、経営に関しては前の院長、前の事務長が管理していたので負債額などをしるよしもなく、彼らがここをいきなり出ると宣言して(私たちには相談無しでした)やっと経営状況が解ったというその時の話しです。その時正直私は「病児保育1年やって、今だったら市にお返しできるから、お返ししましょう」と夫に言いました(女の方が金銭的割り切りは早いですね)しかし、夫は病棟を辞めなければいけないのだったら、何を法人として社会貢献ができるのだというのだ?とお年寄りの事が出来なくなったのならば、子育て支援をこのままやっていきたい。とそう言いました。赤字覚悟で?と聞きますと、やるというので10年やってきましたが、病児保育を運営するというのはほとんど身を切って運営するということを知っている方達からは馬鹿だ「そんな金にならないようなことをやって」と嘲笑されました。そうなんです、子育て支援、企業としてはお金にならない。ということに集約されるのです。



後、福祉というと、それに関わっている人達が誰かに誉めて欲しいという気持ちになります。

しかし、その仕事のなんぞやは、その水に浸かってみないと解らないのと同じで、外側からただ、ふぅ~んって観ている人達には、誉めてもらう前に、自分の関わっている福祉仕事をもっと切り口を変えながら理解し、自分自身が消化し栄養にして、腹に落ちたところから伝えていかないと、ただただ自分を奮い立たせるための道具として外側の人達を使ってしまいがちです。誉めてもらいたいなどを思っていたら、何もできないと関わってきたスタッフさんが壁にぶつかってその時言う言い訳に色々と学びました。社会福祉法人ではない何でもない病児保育という物を理解するにはまず、集団保育の保育士として、自分のお給料がどのように生まれてくるのか?何故この保育人数で保育料で自分のお給料が捻出されるのか?そして保育料のカラクリなどそこまで知って世の中と接していく事も必要なのではないか?と10年間ずっと感じています。知るということ知識をつけるということが社会のカラクリから知っていくことが大事なのではないのか?と痛感しています。


順風満帆の法人だったらどうなっていたのかな?と考えます

きっと私自身が働いていないでしょう(爆笑)


正直今回の子ども手当て、私には鳩ぽっぽさんが、国民を札束でほっぺたを叩いて、ほらほら言うこと聞くんだよ・・と言っているようにしか感じないとは・・・私もそうとう屈折してきたかもしれません。


何でもかんでも与えるのではなく、考え工夫し暮らすその暮らしの提案をしたらどうだ?などと山奥から感じたことを書いてみました。