再掲・・・気になること | そうちゃん日記 

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聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

参議院での採決を迎え、今までの自分の考えを再掲させて頂きます。

様々な意見がある中で、私たちが移植を必要とした子どもの親としての意見でしか述べられず、また、移植を必要とした子どもの中でも、移植医療を選択してでも子どもに生きて欲しいと願った親としての意見でしかないことを申し訳なく思います。


参議院での採決の結果を受け止めて、普段から複雑な想いは多々ありましたが、今回、より一層に複雑な感情を経験しました。

まだまだ受け止めきれず、文章にするには時間が必要な部分もあるかと思います。


ただ、今後の課題は、立場が異なる方の不安な気持ちや医療問題の解決は絶対条件と思います。

当事者の方々の意見や客観的意見が、建設的に公平に冷静にやり取りされ、実際的問題解決の手段となることを願いながら・・・。


~以下、2009年3月3日の記事『気になること』一部抜粋~


今まで、何度か見かけた気になる言葉について。


よく移植医療についてのご意見を読むと

『移植が必要になったら臓器を提供して欲しい。しかし、脳死になったら提供したくない。というのは許されない。』

というような内容の言葉に出会います。


下記は、あくまでも私個人の意見です。(いつも個人的意見ばかりですが・・・。)


実際は「移植が必要になったら生きるために移植を選択するかも知れない。でも、脳死の時に臓器を提供できるかは分からない。」というのが、一般的な方の本当の気持ちではないでしょうか。


移植が必要な病気になって、移植医療を受けたい!受けさせたい!という気持ちは誰にでも起こりうる気持ちであることは容易に想像ができると思います。宗教観や倫理的背景からしたくない、出来ないという方もいらっしゃることも理解できます。それもまた、ご本人の自由です。

現在の日本では、移植を受ける・受けないという選択や希望は自由なのです。

実際に、日本では救えない子どもにはアメリカに渡航して移植を受けるチャンスがあります。(今後は分かりませんが・・・。)しかし、このチャンスも平等だとは言えない現状だと思います。

更に、移植が受けられるという結果については、いくら移植医療が進歩しても平等にはならないでしょう。

それは、世界各国のドナー不足が示しているように、ドナーによる臓器提供がなければ成り立たない医療であり、全ての方に提供されるとは限らないからです。



では、脳死になった時に、提供できるか・・・できないか・・・。

現行の法案を考えます。

生前に本人が書面で臓器提供の意思を遺し、家族が臓器提供を決断できた時にだけ脳死判定が認められる。

しかし、15歳未満はドナーにはなれません。


脳死が科学的、又は、医学的に「人の死」だと分かっていても、分からなくても、移植を選択しなければ心臓が止まるまで、手足が冷たくなる瞬間まで、生きているとできる。ならば、生かそうと思うのは当然だと思います。


しかし、脳死が人の死だと理解し受容できた場合、遺された家族の中には、「死の先に、どうにかして生きて欲しい。誰かの役に、誰かと共に生きて欲しい。」と、命を繋ぐ選択を考えることもあるのだと思います。

その対象が15歳未満だった時に、命を繋ぎたいと思っても、家族の願いは叶いません。

そこに選択の自由はないのです。


私たちが聡太郎の心臓死を前に思ったのも、死を受容してこそ、聡太郎に生きて欲しい。

この世界に聡太郎に生きて欲しいと思えばこそ、角膜でも心臓の弁でも提供したいと思えたのです。


しかし、もし聡太郎が突然の事故などで脳死となっていたら、私たちが臓器提供という命のリレーを選択したのか。

または、最期の瞬間まで奇跡を信じて聡太郎の心音に耳を傾け、手足の温もりに命を感じ、命のリレーではなく、聡太郎との時間を最大限に共有したかは分かりません。


子どもを愛するからこそ命を次に伝えて異なる場所でも共に生きようと思うのか、愛しているからこそ最期の瞬間の奇跡を信じて共に生きるのか。その時の状況にならなければ分からないし、その状況をなしに今、決めることはできないと思います。


だからこそ、そのどちらの考えになっても、その意思を尊重できるように権利を与えて頂きたいと思いました。


(中略)


どちらの立場になっても、どのような考えに至っても、命と生きることへの権利は子どもにも与えて下さい。

移植医療だけでなく、様々な疾患と共に生きている方々にとっても、そうありますように。


以上、抜粋記事でした。


今、読み返して見ても、同じ気持ちの部分は柱として変わりません。

しかし、この先に感じた自分の考えもまとめてみたいと思います。

少し、時間はかかると思いますが・・・。