参議院での採決がされて… | そうちゃん日記 

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聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

参議院本会議場にて行われた臓器移植法改正案の採決。



採決がされたのは、本当に一瞬のように感じました。

ボタンが押されて、一瞬に結果が・・・。


この一瞬で、12年間放置された問題が一気に決まってしまいました。


私は、前回の衆議院の採決後に「もう少し早くに見直しがされていたら、そうちゃんは助かったと思いませんか?」と、聞かれました。

その際に、私は「思わない。」と答えて来ました。もう少しではなく、12年前に制定されてから、その後3年ごとに見直しがされなければいけなかったと思っていたからです。

今回、より一層その思いが強くなりました。


不安定な政局の中、議員の方はどんどん選挙で変わってしまいます。

そのなかで、命の問題と言えども臓器移植法が重要法案だと思い、12年一貫して改善に努めてこられた議員さんは全体数からみても少数だったのではないでしょうか。

国がきちんと3年ごとに見直しを実行してくれていたら、私たちも、立場の異なる方々も、このような不安や混乱の只中に立たされることはなかったのではないでしょうか。

国の不作為という無責任な結果が、当事者という、どちらにしても弱い立場の国民に責任を負わせてきたのだと感じました。


そのような中、15歳未満の臓器提供が出来ない法律下で、海外に渡航しなくては助けられない子ども達が12年間に渡りなくなり続けてきました。同時に、海外の理解の下で救っていただけた命もありました。


12年間、国がゆっくりでも臓器移植法を見直していてくれたら、移植を必要とする方も、そうでない方も、臓器移植法改正に不安や恐怖を感じている方々も、もっともっと安定した状態で、臓器移植法改正の日を迎えることが出来たのではないでしょうか。


国が、12年間放置してきたことの結果が、移植を希望するものと、反対する方々の不安を増強させていることに、複雑な思いを感じました。


今回、臓器移植法が改正されて、移植を必要とする子ども達は海外には行けなくなるかも知れません。

自国で助けられるような法律の下、海外に渡航するという行為が海外からどのように評価されるか分かりません。

そのため、今後は臓器移植法改正がされても移植への正しい理解がされなければ、子どもの臓器提供と移植は現実的にはないでしょうし、海外にも行けなくなったら別の意味で子ども達を救えない状況に拍車がかかるかも知れません。


でも、私は、募金活動に伴う誹謗中傷をはじめ、子どもを傍で見守ることが出来ない状況がなくなり、子ども達に募金額という命のための金額が付かないこと。が、とても大切だと思っています。

私は、もう誰にも募金活動をして頂きたくないですし、海外に渡航するような限界ギリギリの選択も勧めたくありません。


これからは国内で、どの選択をするにしても社会から強要されることなく、批判されることなく、どのような選択をすることも温かく見守られる実際的システムを構築して頂きたいと願っていますし、それは、可能なことと思っています。


何故なら、国内では献血や骨髄提供、心停止の看取りの際にも臓器提供を強要されるような問題は起きていないと思うからです。献血も骨髄提供も日常生活の中で協力を呼びかけていますが(CMなどで)、皆さんは提供しないという意思も十分に守られている社会で過ごされていることと思います。また、心停止の場合は、本人意思が必要とされない条件で行われてきました。それでも、一般的多数の方が辿る看取りの場面で提供を強要されたり、提供しないことが非難されることがなかったと思うからです。




昨日、アメリカの報道関係の方に会いました。

その際に、アメリカでも宗教や倫理観で移植医療に反対な方はたくさんいらっしゃるという話を聞きました。しかし、アメリカで混乱していないのは、どの意見も個人の意見として社会が尊重しているからだと。

免許証も見せて下さいましたが、赤字で記載されていました。日本みたいにどの臓器を・・・とかではなく、提供意思がある・ない。だけで、シンプルでした。また、免許証に記載されている理由は、脳死状態になるのが交通事故による場合が多いからだそうです。

子どもに関しては、子どもの意思を最も理解しているのは両親であるという考えで、判断は両親に託されるそうです。子どもの意思を親が代諾するには、日常生活からの会話を含む多くのコミュニケーションなくしては難しいと思います。子ども達のためにも、多くのコミュニケーションを取って頂きたいと思います。

本人意思がなくても・・・とA案はされていますが、実際に提供できる遺族とは、生前に本人とのコミュニケーションが取れていた方になると感じます。


最後に、臓器提供は死の先にある1つのオプションとして、日本でも認められればいいですね。と、言われたのが印象に残りました。


そうちゃん日記 

全体的に「ふっくらミスバニー」です。