12年間、見直されることがなかった臓器移植法。
先月、衆議院でA案が採決されて、今日という日を迎えることができました。
まだ今日で決まるかは分かりません。
しかし、12年間変化することなく置き去りにされていた法案が、変わろうとしています。
私たちにとっては12年という時の長さから考えると、一瞬のような時間での関わりでした。
しかし、聡太郎が拡張型心筋症を発病してから1年。聡太郎が亡くなってから半年の月日で、ここまで臓器移植法案に関わるようになるとは、思ってもいませんでした。
私個人の気持ちで原動力となったものは、聡太郎をアメリカで看取った瞬間から動き始めていたのだと思います。
募金にご協力して頂いた皆様に、亡骸となった聡太郎を連れて帰国し何と言えばいいのだろう。
社会的責任の取り方とは何なのだろう。
どうして、聡太郎をアメリカで看取ったのか、命を助けると強く願うことが日本国内でも出来たなら。
アメリカに渡航さえ出来れば救えると思っていたものが、死という結末をも伴うという現実。
何よりも、本当に悔しくて悔しくてどうしようもない気持ちがありました。
それらの気持ちが、もう絶対に他の人に同じ体験はして欲しくない。という、方向性をもって推し進めてくれました。
最初、「日本国内では子どもは移植ができない。しかし、移植をすることでしか聡太郎の命は救えない。」と知った時、募金活動ということを覚悟さえすれば、聡太郎は救える。ならば、救える可能性のある病気なんだから、聡太郎はラッキーだと思いました。親さえ覚悟すれば救える。
しかし、現実は覚悟や協力があっても、叶うものではありませんでした。
時間との戦い、寿命との戦いだったのかも知れません。
聡太郎を看取ってからの私は、ずっと、日本国内でも移植を受ける権利を子ども達にも与えて欲しい。
移植をしなければ生きられない子ども達にも生きる権利を与えて欲しいと思って、ここまで突き進んで来ました。
しかし、脳死という問題が大きな問題であることを知りました。
また、小児の自己決定権という問題もありました。
私の想いは多くあります。
しかし、ブログでは書ききれないほどの気持ちもあります。
そして、私と違った立場でこの法案を見守る方々の気持ちもあります。
今日の採決で、参議院ではどのような答えが出るのでしょうか・・・。
私個人の願いですが、
提供する・しないという権利とともに移植を希望する・希望しないという権利を全ての人に与えて欲しい。
同時に、当事者にだけ苦しみを負担させるような法律ではあって欲しくない。
と強く願っています。
どのような価値観、宗教観、精神論をもたれている方でも、当事者になった時に救われる法律でなければいけないと思います。
それが、A案なのではないかと考えています。
私たちの行動は私たちだけのものではなく、多くの方の行動と共にありました。
私たちの意志は私たちだけのものではなく、多くの方の意思と共にありました。
私たちのした悲しみや痛みや苦痛を、この先に繰り返して欲しくないと願ってきました。
しかし、聡太郎亡き後にも、多くの子ども達の命が消えてしまいました。
その子ども達のほかに、過去12年以上に渡り救えなかった命があります。
その子ども達の命も笑顔も温もりも、何もかも二度と私たちのもとには戻って来ません。
しかし、そのことを十分に理解しているからこそ、変えて頂きたいと願います。
どのような病気であっても、子どもの命が日本の社会の中で救っていただけますように。
小児科医・小児救急・周産期医療、どの部分にも厳しい状況があります。
移植医療をきっかけに豊かな医療の拡大がなされれば、移植を必要とする子ども達だけでなく、救われる命は多くあるのだと思います。
今まで、やれるだけのことをやってこれたように思っております。
そのように思い、今日という日を迎えられますのも皆様の温かいご支援とご協力と、何よりも深いご理解があってのことと、深く強く感謝しております。
参議院でどのような結果が出たとしても、しっかりと受け止めて生きたいと思います。
また、A案となった場合でも、見守り続けたいと思います。
何が出来るかは分かりませんが、これからも聡太郎を通じて出会わせて頂けました皆様と、命や移植や医療などに関わっていけたらと考えています。
そうちゃんです。
そうちゃんから応援して下さっている(いた)皆様へ
ありがとうございます
と
これからも宜しくお願い致します
でした。