海外に渡航している・渡航するという状況は、過酷です。
移植が成功すればこそ過酷な状況も忘れられるのかも知れません。
忘れなければいけないのかも知れません。
ところが、残念なことに私たちは聡太郎をアメリカで看取りました。
アメリカにおいて、出来る限りの素晴らしい看取りをさせて頂けましたことに感謝しております。
しかし、異国で子どもを看取り火葬して連れて帰る一連の流れは、日本人の常識や根底にある意識を覆します。そのような悲しみは、移植を海外で受けることを覚悟した時点で受け入れていなければいけない事実なのかも知れません。
私たちも、いつ聡太郎に生命的危険が訪れるかは、日々の中で常に覚悟しているつもりでした。
でも、アメリカで看取ったあと、火葬することまでも覚悟をするような時間はありませんでした。
聡太郎がアメリカで死んだ今の私の勝手な気持ちですが、聡太郎が死ぬと分かっていたら、私は日本で看取りたかったと思いました。もっともっと聡太郎に多くの方々とお別れをさせてあげたかったからです。
しかし、聡太郎に生きて欲しい。
その聡太郎が生きるために、移植の機会を海外に求めたのは私たち両親です。誰の責任でもありません。
アメリカに渡航させていただけたことを、皆様に心から感謝しています。
ただ、移植に希望を託した私たちの覚悟が足りなかっただけなのかもしれません。
でも、国の法の下で、そのような選択をしなければならなかった事実を知って下さい。
どうか、日本の子ども達を日本国内で助けて下さい。
聡太郎の最期の瞬間を渡航先で迎えた私たち遺族の願いとなります。
日本で僅かな希望でも感じられる日を願って。
12月5日に渡航しました。
渡航後の聡太郎は、本当に辛い辛い毎日でした。
聡太郎は、渡航する時に脳に出血が認められた後だったので、アメリカについてすぐにドクターから言われました。聡太郎の場合、何かがあっても脳に出血があるからエクモは選択できない。それが残念だと。
私は辛い姿の聡太郎に
お願いだから、そうちゃんと代わらせて。
お願いだから、そうちゃんを助けて。
そうちゃん、そうちゃん、ごめんね。代わってあげられなくて。
そうちゃん、お願いだから頑張って。
そうちゃん。どうしたらいいの。どうしたら戻れるの。
戻ってくれるなら・・・日本にいるときの状況でいいから。
ママもパパも何でもするから、お願い、何をしたら戻ってくれるの。
誰か教えて。なんでもするから、お願い。
そうちゃんを連れて行かないで。
そうちゃんは、みんなのそうちゃんなの。
日本でみんなが待ってるの。
本当にお願い。
みんなに元気なそうちゃんを会わせて。
お願いだから・・・。
と、ずっと心の中で何に訴えているのか、誰に訴えているのかも分からずに、ずっと訴えていました。
もう二度と同じような思いをして頂きたくありません。
海外に行けただけでも幸せ。と、思っています。
でも、違います。
海外に行かなくても、日本で待機できることが幸せにつながるのだと思います。
生きて。生きて。生き抜いて。
助ける。助かる。頑張り抜ける。
日本の空の下から、コロンビアとUCLA、そしてドイツにも・・・・・・・。