昨日学んだことをまとめたくなったので書く。

まず、自分の方向性は間違っていない。自分の持ち味は実直であり、そして人に対して後ろから支える姿勢を持っていることだ。それはある面で先導する力がないとも言えるが、必ずしもそうではない。後ろから支えるということは先導する人を間近で見ているのであり、その人の心情や考え方を一番良く学べることでもあるからだ。

そうしたことから自分が先導する立場となっても支えてきた人たちの苦悩や学ぶべき点を生かしていける。今回であれば寂しさをどうやったら解消できるのか。また、自分が否定されたときどう立ち直るのか。どうすれば人から信頼を置かれるかも考えるに値した項目だ。

これらに対し、ひとつは自分の考え方は間違っていなかったと感じることができた。それは同時に自分が一生懸命にやったことを意味し、悔いることではないと思えた。しかし、確かに人を傷つけてしまったのは事実。それに対しては反省するとともに新たに人への対応を考える。

マイナス面は誰にも存在する。その部分は減少させることはできるが、完全になくなりはしない。それがトラウマによるものだったり、コンプレックスのような大きな闇ならなおさらだ。そしてそれを直すのに費やす時間は計り知れない。終わる頃には人生の半ばを過ぎてしまった、などということもあるのではないか。だとすれば、マイナス面に対処する労力はある程度に止め、自分の良さを追求できないか。

そうすることで人それぞれの個性が見えてくる。例えば背が小さいことをコンプレックスとして持っている人が一方でとても親切な人だったとする。その人は背が小さいことを気にするのではなく、親切な自分の一端を知ればより親切な心を持って接する。すると人から認められ、また自分でも誇りを持てると思うのだ。

その場にいる人々はすべてどこかに良さがあり、悪さがある。お互いにそれを知り、うまく付き合うことが人間関係なのだと思えた。そういえばこう考えるより先に実践していたような気もしてくる。

そして恋人や伴侶といったより深い関係については自らが追い求めるというより、先に挙げた個性が噛み合うかに重きを置くことが肝要だと思う。相手の良さ、悪さを気にしないで付き合うことができる人がそれにあたる。逆にこの部分は話題を伏せなければと思う必要がある人はそれにあたらない。

最初からすべてオープンに語るのはさすがに考えものだが、段々と人間性を知るうちに人となりは分かるものだ。野球の話題はよく話すけれどサッカーの話題は食いつかない、政治については長い間話せるが下ネタは苦手…などとだ。

そうなるとこの考え方はあまり好きじゃないけれど、合わせようと思う場面もあるだろう。そこでぐっと自分の意見を飲み込んだらその人は自分に合わない人だ。逆にそこで認められずとも私はこう思うと話せるなら自分に合った人だといえる。またその後「確かにその言い分も一理ある」と認められるなら信頼できると考えていい。

大事なのは片方がそう思うだけでは駄目だということだ。これが人間関係の難しさだが、そのギャップを埋められればその人を仲間だと感じられるだろう。