しかし、寒くなってきた。心も寒い、などというつまらない話はさておき気温が下がって冬支度である。どちらかといえば夏生まれなのに冬の方が好きな私は今日も何だか夏とは違った高揚感が。暑い、と感じるよりも寒い、と感じる方が生きていることを実感するとでも言おうか。何となく身を刺す寒さが自分の存在を認めるのに役立っている。
自分は本当にそこにいるのか、と本気で思う数年を過ごしている。外に出ても誰にも会わない。それは学生という身分が多分に影響しているのだが、それでも誰とも会話をしない。出会っても年配の方々。人生を引退したという雰囲気がぴったりの人ばかり。もっと同年代の人たちと交流を持つ時間も欲しいなと思ったりする。ただ、そんなに多くはいらないという矛盾もはらんでいるが。
今までは野球がそこにあった。野球で会話ができたし、何も言わなくともプレーで性格を理解することができた。でも、社会人は野球ではない。何年も経てば仕事ぶりで判断できるのだろうが、私は最も下っ端になるわけなのだから今は無理だ。
これからどうやって人を好きになればよいのだろう。これは恋愛感情という意味でなく人間愛という意味での話だ。仕事をする中で自然と友情が育まれたり、信頼関係を結べるのだろうか。今の時点ではそんな姿は想像できない。ただ忙しく動き回り、お互いがお互いの仕事を受け持ち合うだけの関係。ミスをすればお互いに自分のせいではないと言い張る関係。そんな姿しか見えない。
ある意味、それは事実の面もあるのだろう。しかし、先に挙げた友情や愛情が生まれる場面もあってほしいと強く思う。そうでなければさすがに続かないと思うからだ。いや、そうでなくとも続けるより選択肢はなく、やるしかないのが現実なのだが。
そんな自分は実際のところ、人間関係についてそれほど危惧はしていない。小中高大と違い、出会う人数の幅が桁違いに多い。だからこそ、続けてさえいれば必ず同じ気持ちを持つ人は現れる。だから心配はしていない。むしろ気になるのはちゃんと生活ができるのかということだ。生活力というものがまるでない私ができるのか。バイト先の店長はやれないことはないとおっしゃっていたが、それでも不安はある。
思えば親友は千葉にいる。私と似たようで似ていない男だったが料理はできた。それが彼を普通に生活させていると思う。私もやらなければという思いを強くする。
周辺のものはほとんどを遠ざけてしまった。自らの住む土地、仲間、思い出。これは一時封印しなければならないものだ。またいつか、仕事に余裕が持てるようになったとき思い出すことができるだろう。まだ、様々なことに未練を残すが私にも生活がある。一人前になるまでは只管社会に慣れるしかない。
それまで、社会に慣れるとは自分を殺すことだと思っていた。つまらない人間になることだと。確かにそんな部分もあるかもしれない。しかし、社会に慣れて構成員となることは多くの人に貢献することを指す。労働力を供給する代わりに多くの人々から信頼され、必要とされ、認められることだ。
私はそれを欲している。人から認められ、そして賞賛されたい。そんなことをやってみたい。今の私のモチベーションだ。自分はこれまで自分の力のなさゆえに認められずに来た。それは正当な評価だった。だからこそ、その正当な評価に問う。私が全力で仕事に打ち込み、結果を残したとき私は認められるのか。
今の私の存在意義を見出すなら、それしかない。