今度はまたパソコンで書いている。最近自殺志願者かというくらいに身辺整理が行われている。もちろん実際にそんなことはしないのだが、自分の周囲に溢れていたものたちの存在に気付く。そして、それがどれだけいとおしいものだったかを伺い知ることができる。元々、自分の周りには何もないと思っていた。だがしかし、月並みな言い方をすれば空気のような存在だったわけで、今になって気付くことはやはり自分を構成する一部として完全に付加されていたものなのだと知る。
例えば家族。朝起きれば朝食が置いてある。それだけでもありがたいことなのだと感じるようになったのは今年に入ってからだ。洗濯物も掃除もすべてしてもらっている子供の自分からすれば本当に重要な存在なのだと思う。弁解のために述べておくと、私が掃除や洗濯をすると言っても効率の面から拒否されてしまうのであって決して出来ないわけではない。
例えば友達。もうかなり会うことは少なくなってしまったが、それでも今年のうちに多くの人に会うことができた。これは大きな財産である。それは前から分かっていたが、今後一人暮らしになる可能性を考えるとやはり思い出という面で存在感を示すもののひとつだろう。
またさらに愛する人。これはほとんどの人に知らせてこなかったことだから、もしこれを私以外が見てしまったらなかったことにして欲しいのだが本当に大事なものを失った。私が未熟であったと思う。私にとっては初めてできたパートナーであり、向こうにとってはそうではなかった。そういったことからたくさんの迷惑をかけ、最後は愛想を尽かされたわけだが私にとっては勉強になったことだった。もう少しの間、この辛さは続くと思うが、また次のステージを見据えて生きていく。
もうすぐすると配属が決まり、どこかへ旅立つだろう。確かに県内の病院という可能性もないではないが、おそらくは一人暮らしは避けられないものだと理解している。実際にそうなってみたいという思いもあるし、ただ、それはもう少し後でもいいのではないかという気持ちも少しある。そこでいちいち悶々とすることもないが、何にせよ新しい生活に向けて高揚感を覚えているのは確かだ。
これからどうなるのだろうか。もちろん仕事に関しては覚えなくてはならないことが山ほどあるのだろう。そして自分としても考えていることもある。それを実現すれば地域の人々に貢献できるという思いがある。そうした使命感に燃えるとともに、職場で人間関係を作ることができるかという不安がないでもない。そのうちに自分に合う人間などぶち当たるのだろうが、多くの人をまとめていくにはやはりリーダーシップが必要となるため、全員に関わりを持てるようでなければならない。
また、自分個人の人生という観点で見ると今回の失恋なるものから学んだのはパートナーは必要だということだ。自分を成長させ、お互いに理解し合える存在がいることは非常に大きい。ましてやネガティブ体質の私からすれば支えが必須になるからだ。今いきなり必要だとも思っていないし、それほど必死になって探すほどのことでもないと、上記の事項の数々に比べれば優先度は格段に下がるわけだが強く感じたことなので記しておく。
これらを総合していえることはまず自分を成長させることだ。そして、それは今までもやってきたのだが私はあることを知っている。それは成長したいという気持ち、行動、それのみでは成長が見込めないことだ。
ここで持つべきは目標。
しっかりとしたビジョンを持ってして意識、行動を変える。そうして成長を自分のものにする、とでも言おうか。変化は無理を引き起こすが、それを慣性とすれば自然と物事を行えるようになる。そうした状態にすることを成長と考えるのだ。
私の目標は地域の人々がこぞって病院へ行き、慈しみの気持ちや先人の知恵を学ぶ場にすること。私の祖父母が色々なものを残していったように、ただ障気に満ちた別世界にさせない病院作りをすることだ。それを達成できるようにどんな困難にも耐え、自分の目標を達成する。