こんにちは


皆様方がお住まいのそれぞれの街に於きましても

自治体が制定した象徴ともいうべき、

「木、花、鳥、」があると思います。


今回は私の住む神奈川県平塚市が制定した

木、花、鳥に主眼を置きつつ、

余計な雑談を交えながら?(笑)

お話しいたしてみたいと思います。

 



これは市が発行した市民生活ガイドブックに
掲載されている木、花、鳥になります。

先ずはクスノキ、
制定の理由は私にはわかりませんが?
市内のいたるところに植栽されており、
その内のいくつかは市の指定保全林と
されているようです。



これは我が家の庭先で育成している
クスノキ幼木の鉢植えです。

私的な感覚と思いでは、
クスノキよりもマツの方が市の木としては
ピッタリ来るのですけどね。

市内には松林もけっこう残っておりますし、
「松風町」という地区もありますしね。


次にナデシコ、
市内には「撫子原」という地区がありますが、
それに因んでの制定なのかな?と思われます。



これは我が家の玄関先にて育成の
セイヨウナデシコ(美女撫子)です。

因みに今の「撫子原」には
ナデシコの群生は見られませんね・・・
ほど近い「菫平」でも、
スミレの群生は見られません・・・

もしかしたら?
わずかながら残っているのかも知れませんが?
私の乏しい観察眼では?!(笑)
といったところですね。

余談ですが市内には、
なでしこ幼稚園、なでしこ小学校、
なでしこ運輸、等々、なでしこを冠した
施設や会社があります。
かつては、なでしこ交通というタクシー会社も
ありました。今の富士見交通の前身ですね。

締めくくりはシラサギです。



拝借させていただいた画像です。

シラサギ制定の由来につきましては、
平塚市博物館誌によりますと

かつての大日本帝国海軍火薬工廠に隣接した
地域には多くのシラサギやゴイサギが
群れを成して生息していたらしい、

しかしながら、
昭和初期の激しい暴風雨により!
多くのシラサギ、ゴイサギが!
その犠牲となってしまい・・・

それを心から悼んだ海軍火薬工廠の従事者の
方たちにより手厚く供養の後に
慰霊碑が建立された、
それが由来との話しですね。

その慰霊碑は「鷺塚」として、
今も平塚市総合公園の西側の一角に
残っております。

また今でも我が家の近くの川や水田では
シラサギが飛来して羽を休める姿は
よく見かけます。

平塚市の木、花、鳥は以上になります。
因みに神奈川県の木、花、鳥は
それぞれ、イチョウ、ヤマユリ、カモメと
制定されております。

さて、
直接的に関係の無い余談ですが、
平塚市の「名誉市民」も御三方おりましてね。

あの!K野T郎氏の祖父であるK野I郎氏、
大叔父のK野K三氏、
もう御一方は医師/医学博士の比企能達氏です。


〈平塚市の市歌〉
歌っているのは昭和を代表した名歌手の一人!
藤山一郎翁らしいですね。

まあ理想と現実の隔たりを・・・
強く深く感じる?!
典型的な歌ですねえ・・・(笑)

それではこの辺りで失礼いたします。
いつもありがとうございます。