リトル・リチャード~伝記映画『アイ・アム・エヴリシング』公開中 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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リトル・リチャード~伝記映画『アイ・アム・エヴリシング』公開中

 

【Little Richard Auto-Biography Movie “I Am Everything” Out In Japan】

 

 

ロードショー公開。

 

祝映画公開。ロックンロール創成期の立役者の一人でもあるリトル・リチャードの生涯を描いた映画『リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング』が、2024年3月1日から”お黙り”ロードショー公開されている。

 

https://little-richard.com 

 

映画予告編→

https://x.gd/cav7m

 

 

ロックンロール創成期立役者の一人のソウルサーチンの物語

 

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リトル・リチャードについて

 

ロックンロールのイノヴェーター、オリジネーター、アーキテクト(建築家)などと呼ばれアメリカ音楽界に多大な影響を与えた。

 

チャック・ベリー(1926年~2017年)、ファッツ・ドミノ(1928年~2017年)、ボ・ディドリー(1928年~2008年)などと並び黒人のブルーズとゴスペルの要素を混ぜたR&B、さらにロックンロールの土台を作り、のちにビル・ヘイリー(1925年~1981年)、エルヴィス・プレスリー(1935年~1977年)、ジェリー・リー・ルイス(1935年~)(カントリーの要素も加え、ロカビリーに)、ジーン・ヴィンセント(1935年~1971年)など白人のロックンローラー誕生へ導いた。その後、ビートルズ、ローリング・ストーンズらにも多大な影響を与えたアメリカ音楽史に残る偉大なアーティスト。

 

Musicians and artists pay tribute to rock 'n' roll legend Little Richard

By Alaa Elassar, CNN

Updated 1918 GMT (0318 HKT) May 9, 2020

https://cnn.it/2YN9g0p

 

10 videos that prove Little Richard rocked harder than anyone, ever

By RANDALL ROBERTSSTAFF WRITER

MAY 9, 202010:52 AM

https://www.latimes.com/entertainment-arts/music/story/2020-05-09/little-richard-10-great-video-performances

 

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評伝。

 

リトル・リチャードは、本名リチャード・ウエイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)は1932年(昭和7年=さる年)12月5日アメリカ南部ジョージア州メイコン生まれ。(オーティス・レディングと同郷) 背が低かったことから家族内でも「リトル・リチャード(ちいちゃなリチャード、チビのリチャード)と呼ばれた。父親が教会の聖職者でもあったことから幼い頃から教会でゴスペルに親しみ大きな影響を受けた。ゴスペル界のマへリア・ジャクソン、マリオン・ウィリアムス、シスター・ロゼッタ・サープ、ブラザー・ジョー・メイ等に傾注。

 

地元のコンサート・ホールでコーラなどを売るアルバイトをしているうちに街にやってくるアーティストたちと知り合い、1949年には、ドクター・ハドソンズ・ミンストレル・ショー(様々なエンタテイナーをパッケージにして街から街へと渡り歩く移動芸人軍団ショー)に参加。

 

アー写 リトル・リチャード3 モノクロ 50年代 ピアノ弾いてるところのライヴ 

派手なピアノ演奏と力のある歌声と幼少からの「目立ちたがり屋」が功を奏し、ちょっとした人気者になっていく。

 

そのつてで地元DJのラジオ局で録音した曲が1951年、大手のRCAからリリースされるが大きなヒットには至っていない。

 

■ロックンロール誕生年

 

1955年、ちょうどロックンロール誕生の年に、ロスアンジェルスのスペシャリティー・レコーズのアート・ルーペと契約。ニューオーリンズのミュージシャンたちのレコーディングの合間に歌った鼻歌のようなものにルーペが反応。それが「トゥッティー・フルッティー」となり、1956年、ゴスペル、ブルーズの要素に激しいのりのダンス要素のエネルギーを爆発させ大ヒット。ちなみに、「トゥッティー・フルッティー」には、隠語で「同性愛者」のことを意味するという。

 

その後、化粧をするロックンローラーとしても知られるようになり、「フレイムボイヤント(Flameboyant)」(派手なけばけばしい)という形容詞がもっともつくアーティストとなり、これはのちにエルトン・ジョン、デイヴィッド・ボウイ、Tレックスのマーク・ボラン、プリンスなどにも継承される。

 

0:03 / 2:25

Little Richard - Tutti Frutti (Official Lyric Video)

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=ivhauEr3KxU

 

1955年11月からヒット、R&Bチャート2位、ポップ・チャート17位。グラミー賞「ホール・オブ・フェイム」、ロック殿堂入り曲。(R&Bチャートは現在のR&Bチャートに相当するチャート、ただし名称がいろいろ違う。以下同じ)

 

さらに「ロング・トール・サリー」も大ヒット。

 

Little Richard - Long Tall Sally - 1956

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=2OfhmVmhL7s

 

1956年4月からヒット、R&Bチャート1位、ポップ・チャート6位。

 

そして、「リップ・イット・アップ」もR&Bチャートで1位に。

 

Little Richard-Rip it up

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=XJW-XQtycmw

 

「トゥッティー・フルッティー」「ロング・トール・サリー」は白人のパット・ブーンが毒気を抜いたクリーンアップ・ヴァージョンのカヴァーを作り、オリジナル以上のヒットに。

 

 

Pat Boone-Tutti frutti

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZFxTvffJqOg

 

1956年1月からヒット、ポップで12位。

 

 

Pat Boone - Long Tall Sally

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=9uDw-Ebc244

 

1956年4月からヒット、ポップで8位。

 

■黒人曲を白人がカヴァーしヒット

 

黒人のR&B、ブルーズを白人がカヴァーすることはロックンロール黎明期には多数あった。黒人が「自分たちの曲を盗まれた」と考えることも多かったが、徐々にカヴァーされるとソングライターの場合かなりの金額の印税が入ることがあるので、そうした人達は徐々に「それもありか」と思うようになる。ただソングライターではない人たちは、なんの恩恵もないので、白人にカヴァーされることを「よし」とはしなかった。これはその後、半世紀にわたってアメリカ音楽業界のひとつのテーマとなる。

 

 

Little Richard – Lucille - 1957

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=z3-OaNevkfg

 

1957年3月からヒット、R&Bチャートで1位、ポップ・チャートで21位。

 

当時は、特に南部では人種隔離政策が一般的で、ライヴでも黒人と白人の席は分かれていたが、リトル・リチャードのライヴの場合、最後にはごちゃごちゃに一緒になって盛り上がってダンスをしていたという。ロックンロールがある種人種的偏見を統合したという文化的側面もあった。そして白人至上主義者たちは、「音楽は人種を統合して危険だ」と懸念した。

 

しかし、人気絶頂の1956年、「グッド・ゴーリー・ミス・モリー」のヒット後、啓示を受け、ロックンロールを卒業し、ゴスペルの世界に。以後は、ロックンロールとゴスペル的な世界を行き来するように。休みなくツアーを行い、一時期は無名時代のジミ・ヘンドリックスもバンドメンバーとなり、ギターを弾いていた。多くの映画にも出演。

 

Little Richard, The 'King And Queen' Of Rock And Roll, Dead At 87

May 9, 202011:47 AM ET

 

 

https://n.pr/35J16Yw

 

またプライヴェートでは同性愛者であることも公言。音楽的には、ジェームス・ブラウン、エルヴィス、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、プリンスなど多くのアーティストに多大な影響を与えた。

 

「エルヴィスが『キング・オブ・ロック』なら、俺は『クイーン・オブ・ロック』だ」などとも発言した。それが転じて、「リトル・リチャードは『ロックのキングとクイーン』」ともなった。

 

現在でこそ、ゲイなどのカルチャーが一般的になっているが、リトル・リチャードなどはその先駆者的存在だったともいえる。

 

リトル・リチャードは、1955年の「トゥッティー・フルッティー」の初ヒットからR&Bチャートで1973年まで23曲をチャート入りさせた。

 

ロックンロール・ホール・オブ・フェイム(ロック殿堂)の初年度(1986年)に殿堂入り。1988年3月発表の30回グラミー賞新人賞のプレゼンテーターとして登壇したものの、封筒をあけて「ウィナー・イズ・ミー」(勝者はオレ)と3度も言ったりして大受けしたことも。(実際の受賞者はジョディ―・ワトリー) その後1993年に実際にグラミーの功労賞を受賞。

 

0:01 / 2:17

Little Richard at Grammy (JP sub)-笑えるリトル・リチャードのグラミー賞 日本語

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=zhlDqrvoTpY

 

2013年、ステージでも2本の杖をつくようになり実質的に引退した。

 

Little Richard: Mick Jagger, Chance the Rapper, Michelle Obama react to singer's death

Rasha Ali

USA TODAY

2:46 pm ET May 9, 2020

 

 

 

 

OBITUARY>Little Richard (December 5, 1932 – May 9, 2020, 87 year old)

 

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■今週(2024年3月7日放送の『AOR/Soul To Soul』(JFN各局で20時から生放送)で映画とそのサントラについて、ミニ特集する予定

 

東京地区では、インターFMで放送される。

 

https://radiko.jp/#!/live/INT

 

ENT>MOVIE>Little Richard