〇伝説のソウルDJ、ドン・トレイシーがインターネット・ラジオでカンバック | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

ソウルを日々サーチンしている人のために~Daily since 2002

〇伝説のソウルDJ、ドン・トレイシーがインターネット・ラジオでカンバック

 

【Legendary Soul DJ Don Tracy Would Come Back On Internet Radio】

 

本記事は最後まで無料で読めます。

 

(本作・本文は約3000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字で読むと、およそ6分から3分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと10分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

~~~~~

 

 

〇伝説のソウルDJ、ドン・トレイシーがインターネット・ラジオでカンバック

 

【Legendary Soul DJ Don Tracy Would Come Back On Internet Radio】

 

歓喜報。

 

かつてFENで活躍した伝説のソウルDJ、ドン・トレイシーがロスアンジェルスの24時間配信のソウル専門のインターネット・ラジオに登場する。LA時間2021年9月18日(土曜)午前10時~午後1時(日本時間日曜午前2時~5時) 

 

インターネット放送局の名前は、「ソウル・レイディオ・コースト・トゥ・コースト」(Soul Radio Coast2coast)。ロスに本部があり、数年前に設立された。全米各地のDJを結んで、24時間放送(配信)を行っている。聴取は日本からでも可能。無料。

 

出演DJに、フィリー・ボーイ(DJケニーD)、ケン・KR・スミス、クランチ、やはりロスの伝説のDJ、JJジョンソンなども名前を連ねており、このラインアップにドン・トレイシーが入ることになった。現在は、現地土曜の朝の時間帯3時間を昔のソウル・ミュージックを中心にかけるとのことだが、隔週程度の準レギュラーになるようだ。ちょっと日本での放送時間が深夜の深いところなので、聞きづらいが、最初は頑張って聞いてみようか。

 

https://getme.radio/soulradiocoast2coast

 

https://getmeradio.com/stations/soulradiocoast2coast-3679 #share #dontracy

 

~~~~

 

ドン・トレイシーは、アメリカ東部の生まれ。1960年代後期から地元のラジオ局などでDJを始め、ロスアンジェルスに来て、キャリアを開花させた。

 

1969年から1974年KGFJ、1976年から1990年KDAY、1993年から1994年再度KGFJなどで活躍。これらと並行して1973年からAFRTS(アメリカ軍放送=日本でのFEN)と契約し、自身の「ドン・トレイシー・ショー」を毎日1時間(週5本正確には各55分)放送していた。1970年代中期から1980年代中期ころまでのこと。

 

 

その間に自身のDJをいれたコンピレーションのレコードも出している。

 

かつてのDJの音源→

https://www.youtube.com/watch?v=juP4EVCY3dE

1987年夏ごろの放送

 

■過去記事

 

The Adventures Of Don Tracy On The Wheels Of Steel

2003-08-27

https://www.soulsearchin.com/blog_archives/?p=555

 

~~~~~

 

The Adventures Of Don Tracy On The Wheels Of Steel

投稿日: 2003-08-27 作成者: nagato

DJ。

 

ドン・トレイシーのことを覚えてらっしゃる方がいましたか。そうでしたねえ。朝方だったですね、放送時間。ただ放送時間はずいぶん、昼夜変更になりました。ドンと僕が親しくなったのは、80年前後だったか、彼が日本にやってきて、そのときどこかのフリーペーパー用にインタヴューしたのがきっかけでした。話もおもしろく、まあ、意気投合したというか。その取材の後も東京を案内したりして、親しくなりました。

 

その後彼が1-2度来日したような記憶があります。いつも赤坂東急ホテルに滞在していました。そして、僕がロスに行ったときなど、まあ一回は会う感じになりました。彼が当時DJをやっていたKDAYというのは、AM局なんですが、いわゆるブラック、ソウル、R&Bのステーション。しかも、AMなのに、ロスでかなり初期からラップをたくさんかけていたぎんぎんに黒いラジオ局でした。その後フォーマットがカントリーかなにかに変わってしまい、今はブラックではないはずです。

 

ドン・トレイシーはFENのソウルショウのDJを何年も勤めました。彼の番組の場合テーマ曲は、なし。いきなり一曲目から始まります。しかしエンディングテーマがありました。 later lovers! (じゃあね、みんな) と言って毎日かかるのが、リズムヘリテージのインスト曲「シーム・フロム・SWAT(スワットのテーマ)」でした。

 

東京のFENで放送されていた番組は、なんとテープではなく、番組が録音されプレスされた30センチのLPだったのです。これを初めて知ったときには、びっくりしました。時々、レコード盤なので、番組の針が飛ぶのです。普通の曲がかかっている時に飛べば、ああ、レコードが飛んだな、ということがわかりますが、実はDJのしゃべりも何度も同じところが繰り返されたりしたこともあるんです。声が何度も同じことを言って、飛んでるのには笑いました。そして、その頃、東京のFENを見学に行く機会があり、そこで番組はほとんどLPになって送られてきている、という説明を受けました。よって、ドン・トレイシーのDJ自体そのものが、ターンテーブル(The Wheels Of Steel)の上にあったわけです。

 

さて、東京のFENには、毎週5枚の30センチアルバムが本部から送られてきます。片面に約27-8分、番組が録音されたLPです。表と裏で55分の番組がパッケージになっています。たしか、ある日の前半でかかる曲が7曲あるとすると、その同じ曲が翌日の後半にそっくりそのままかかっていました。最初は気がつかなかったのですが、自分でこの番組でかかる曲目をノートに書き写すようになって、ふと前日の前半と次の日の後半が同じ選曲だということに気が付いたのです。あれはいつまでそうだったかなあ。大好きな番組だったから、かかさず聞いていました。

 

 

ドンはあの番組を週に一回、ハリウッドにあったモータウンが入っていたビルと同じビルの中にあるスタジオで録音していました。一回で5本分だったと思う。その録音スタジオにも遊びに行きました。小さなスタジオで、エンジニア一人とドンの二人ですべてをやっていました。レコードは、ドンが自分でターンテーブルを回していました。そのマスターテープを米軍に納品し、そこで、世界各国用にLP盤がプレスされ、配られ、そして、世界各国でオンエアされていたわけです。

 

ドンは家の倉庫に、自分の番組のレコード盤を全部とってありました。1日1枚で数年分あったので、千枚単位だったと思う。ものすごい量でした。たしか記念に1枚もらったような気がしますが、はたして、どこに行ったのか。かなり貴重ですね。

 

ドン・トレイシーのDJは、AM系、のりのいいブラザー系のDJでした。そして、FENにはもうひとり対照的な実に渋いソウルDJがいました。ローランド・バイナムです。バイナムの話は、また明日にしましょうか。

 

PEOPLE>TRACY MALLOY, DON

 

~~~~

 

40年以上。

 

ドン・トレイシーと知り合ったのは、1980年頃だと思う。何かのイヴェントで来日したのか、インタヴューすることになった。そしてインタヴューしたらけっこう話がはずみ、意気投合して、秋葉原などに連れて行ったような気がする。

 

僕が1983年8月、ロスに行ったときには彼の自宅に出向いた。その後、ロスを訪れるたびに、彼に連絡して彼の自宅や、FENのショーを録音するスタジオなどを見学した。上記のブログにも書いてあるが、そのスタジオはモータウン・レコーズのオフィスと同じビルにあった。

 

1987年9月、マイケル・ジャクソンがソロとして初来日したときには、その記者会見のカセットテープをダビングして送った。それをネタに番組でも使ったと思うが、それ以上に忘れられないのが、彼ら夫妻の元にちょうど生まれた女の子に「キダダ」と名前を付けたことだ。これは、クインシーの記者会見でできた名前で、ドンはそこから長女にキダダとつけた。その後、ドンの自宅でまだ1歳未満のキダダと面会した記憶がある。もう一人女の子がいて、その子には「シャーデー」とつけていたような気がする。シャーデーのほうがおねえさんだったのかな。

 

1987年の9月か10月頃にロスに行ったとき、ドンのシビックに乗せてもらってフリーウェイを走っていたときに、「最近注目の新曲は?」と聞いたら、ちょうどラジオ(KDAY)から流れてきたキース・スウェットの「アイ・ウォント・ハー」を指し、「これだよ!」と教わった。まだシングルのみの時点だったか、その後アルバムが出るが、「アイ・ウォント・ハー」を聴くと、あれはニューヨークのレコードなのに、僕はLAのフリーウェイを思い出す。

 

KDAYのスタジオを生放送中に訪問したこともあった。その時の驚嘆については、こちらに→

 

2003/08/26 (Tue)

The Day I Made Radio Debut

デビュー。

https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030826.html

 

~~~~

 

NO.365

2003/08/26 (Tue)

The Day I Made Radio Debut

デビュー。

 

ウルフマンジャックは、まさに伝説のDJですが、彼が 『アメリカン・グラフィティー』 の中で放送していた放送局というのは、いわゆるワンマンスタジオでやっていました。DJひとりが曲をかけ、しゃべり、CMをだし、というのをすべてひとりでやることができるスタジオです。放送局自体も小さい。でも、アンテナはでかい。

 

で、その昔、FEN(当時)で「ドン・トレイシー・ショウ」というソウル番組を毎日やっていたロス在住のDJドン・トレイシーと縁あって仲良くなり、彼がDJをしているロスのラジオ局KDAYのスタジオを見学することになりました。指定された住所を捜すと、なんだか、山の中のな〜〜んにもなさそうなところだった。

 

山道をどんどん登っていくと、ど〜〜んとたか〜〜〜いアンテナが立っていた。そしてその横に小さな一階建ての木造の家があって、それが放送局だった。ラジオ局はみな、小高い山の上にあるみたいです。都心にある場合は、アンテナは別のところにおいてある場合もありますが。

 

まさにウルフマンの放送局みたいで、その外観だけで、感動した。扉をあけてくと、ほんと誰もいなくて、さらに中にはいっていくと、ドンがひとりでDJをしていた。あの瞬間は映画の中のカートみたいだった。「やあ、よく来たな・・・」みたいなやりとりがあって、しばらく、彼の仕事ぶりを見ていました。

 

ほんとうにワンマンスタイルで、曲をかけ、しゃべり、CMをだし、ジングルをだし、そして、そうそう、キューシート(オンエアした曲を時刻、曲名、アーティスト名をすべて書いた紙)も手書きで書いてた。もうその様が、ウルフマンとダブリましたねえ。「へえ、アメリカの放送局ってみんな、こんななんだ」って思いました。

 

すると、そのドンがいきなり、「何かマイクでしゃべれ」と突然言い出したんですね。えええっ? 英語しゃべれないよ。焦ったんですが、「日本語でもいいじゃないか」と言うので、意を決して、一言しゃべりました。確か「みなさん、こんにちは、あなたがお聞きの放送局は、KDAYロスアンジェルスです」なんてことをもちろん日本語で言ったような気がします。聴いていた人はびっくりしただろうなあ。

 

ドンが「マサハル、今日が君のレイディオ・デビューだな。ははは」と言い、そのときの同録カセットをくれました。同録テープは、そこではエンドレステープが回ってるんですね。それから、彼の仕事が終わり、ドンの家に行くと、奥さんが「マサハル、you were on the air, today(オンエアしてたわね、今日)。聴いたわよ」といきなり言ってきて、てれました。

 

しかし、ホントに気楽なものです。ディレクターもいないし、プロデューサーもいないし、いいなあ、ああいう放送局。あの体験以来、僕の夢は自分の好きな曲ばかりをかけられる放送局を持つことです。83年8月のことでした。 『アメリカン・グラフィティー』 のウルフマンのシーンを見るたびに、僕はあのドンとKDAYのスタジオのことを思い出します。

 

~~~~~

 

そして、ここには書いてないが、この放送局こそが『アメリカン・グラフィティー』の舞台になったウルフマン・ジャックがDJをしていた局だったのだ。たぶん、これを書いた後に知ったのだと思う。現地に行った時も、「うわ、アメリカン・グラフィティーのウルフマン・ジャックみたい」と思ったものだ。

 

20年以上音信不通だったが、インターネットのおかげでメールやSNSで何十年かぶりにネット上で再会した。今回のネットラジオでの番組についても、メールで連絡があった。

 

こういうのは、本当に嬉しい限りだ。

 

 

~~~~~

 

■サポートのお願い

 

本記事は有料設定ですが、このnoteで最後まで無料で読めます。読後、お気に召せば「記事を購入する」、あるいは、「サポートをする」(金額は自由に設定可)なども可能です。クレジットカード払いか、携帯電話支払いがお選びいただけます。アカウントを作らなくても支払い可能。アカウントを作ると、次回以降手続きが簡略化できます。

 

ソウル・サーチン・ブログは2002年6月スタート、2002年10月6日から現在まで約20年毎日一日も休まず更新しています。ソウル関係の情報などを一日最低ひとつ提供しています。

 

これまで完全無給手弁当で運営してきましたが、昨今のコロナ禍などの状況も踏まえ、広くサポートを募集することにいたしました。

 

ブログの更新はこれまで通り、すべて無料でごらんいただけます。ただもし記事を読んでサポートしてもよいと思われましたら、次の方法でサポートしていただければ幸いです。ストリート・ライヴの「投げ銭」のようなものです。

 

オリジナルはソウル・サーチン・ブログ

ソウル・サーチン・ブログ・トップ

https://ameblo.jp/soulsearchin/

 

noteでの記事購入、サポートのほかに次の方法があります。

 

送金側には一切手数料はかかりません。金額は100円以上いくらでもかまいません。

 

1) ペイペイ(PayPay) 使用の方法

 

ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。ペイペイでのお支払いの場合、受領確認・御礼メッセージが送りにくいので、ツイッターなどのアカウント、あるいは、メールアドレスなどがあればメッセージにお書き添えいただければ幸いです。

 

2) ペイパル (Paypal) 使用の方法

 

ペイパル・アカウントをお持ちの方は、ソウル・サーチンのペイパル・アカウントへサポート・寄付が送れます。送金先を、こちらのアドレス、 ebs@st.rim.or.jp にしていただければこちらに届きます。サポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名でも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

 

3) ノート(note)のサポート機能

 

本ブログ、ノート(note)には少額のサポート・システムがついています。購読(100円から、記事量によって変動)、また、サポート(金額自由設定)もできます。Noteのサポート・ボタンなどをご利用ください。

 

4) サポートしたいが、ペイペイ、ペイパル、ノートなどでのサポートが難しい場合は、 ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。銀行振込口座をご案内いたします。(ちなみに当方三井住友銀行です。同行同士の場合、手数料がゼロか安くなります)

 

コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。ソウル・サーチン・ブログへのサポート、ご理解をいただければ幸いです。

 

ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴

 

本記事はnoteでも読めます

Noteトップ

https://note.com/ebs

 

ANNOUNCEMENT>Support

 

 

 

~~~~