●ピート・ハミル死去~幸せの黄色いリボンの音楽面から見た物語 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

ソウルを日々サーチンしている人のために~Daily since 2002

●ピート・ハミル死去~幸せの黄色いリボンの音楽面から見た物語
 

(本作・本文は約4000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、8分から4分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと13分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

1. ピート・ハミル死去
2. ハンク・メドレス死去
3. 「幸せの黄色いリボン」誕生秘話

 

~~~~~

1. ピート・ハミル死去

●ピート・ハミル死去

 

【Pete Hamill Dies At 85】

 

訃報。

 

ピート・ハミル Pete Hamill アメリカの人気コラムニスト。ジャーナリスト。2020年8月5日ニューヨークの病院で死去。1日に転倒し骨折し入院。死因は腎臓疾患など。https://bit.ly/3i7SHCX

 

‘One Of The Good Guys’: Influential New York Post Columnist Pete Hamill Dies Aged 85A newspaper columnist who wrote several novels and non-fictiobit.ly

 

米作家ピート・ハミルさん死去【ニューヨーク共同】米著名作家のピート・ハミルさんが5日、ニューヨーク市内の病院で死去した。85歳だ… もっと読むbit.ly

 https://bit.ly/2PsjX2B 山田洋次監督作品映画『幸福の黄色いハンカチ』の原作など多数の著作・コラムを執筆し人気。奥さんは、ニューヨーク在住のコラムニスト、作家の青木富貴子さん。

 

ブログ ピート・ハミル 青木富貴子さんと

(左・ピート・ハミル、右・青木富貴子さん)

 

この死去に関連して、ピート・ハミルが書いた「幸せの黄色いリボン」の話をアーカイヴからお送りします。

 

日本では高倉健主演映画で有名になった「幸せの黄色いリボン(ハンカチ)」は、当初アメリカのポップ・グループ、ドーンによって録音され全米ナンバーワンに。そのとき『アメリカン・トップ40』のケイシー・ケイスンがその元ネタとなったピート・ハミルのコラムのことを紹介していた。そして、それがのちにリーダーズ・ダイジェストに再掲載されたのをひっぱりでして読んだ。

 

ブログ リーダーズ・ダイジェスト

(リーダーズ・ダイジェスト・アメリカ版の表紙。イメージ)

 

若干私事になるが、その昔、祖母が毎月定期購読している雑誌が二誌あった。それが「リーダーズ・ダイジェスト」と「暮らしの手帖」だった。その両方を丁寧に保存していた。子供の頃は祖父母のところには月に1度行くか行かないかだったが、僕が大学になったころにはそんな頻度ではなかったように思う。

 

「幸せの黄色リボン」の話は、当初はニューヨーク・ポスト紙にピート・ハミルが書いたものをリーダーズ・ダイジェストが再掲載していた。たぶん、ケイシー・ケイスンがリーダーズ・ダイジェストにでたという話をしたのを聞いて、古いリーダーズ・ダイジェストを祖母のところで探して読んだような記憶がおぼろげにある。(若干違うかもしれない。どこかほかでこの話はリーダーズ・ダイジェストにでているというのを聴いたかもしれない。) 

 

リーダーズ・ダイジェストではマイケル・シーヴスというアトランタのアウェア・レコーズ(ロリータ・ハロウェイ、サム・ディーズなどの作品をだしたレーベル)のオウナーの話を読んだことがある。ギャング界の大物で、さまざまな仕事のほかにレコード会社経営もしていたという話だ。これはこれでおもしろかったので、また何かの機会にしてみたい。

 

ここでは、「幸せの黄色いリボン」の元ネタとなった話をブログに書いたので、それを再掲します。

 

~~~~~

2.ハンク・メドレス死去~ドーンのプロデューサー

2007年07月02日(月) 
【「ライオンは寝ている」のメンバー、ハンク・メドレス死去】

 

『ライオン』【「ライオンは寝ている」のメンバー、ハンク・メドレス死去】ライオン1960年代に活躍した白人ヴォーカル・グループ、トーケンameblo.jp


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10038715870.html

 

訃報。

 

1960年代に活躍した白人ヴォーカル・グループ、トーケンズのメンバーで後にプロデューサーとなったハンク・メドレスが2007年6月18日(月曜)ニューヨーク・マンハッタンの自宅で肺がんのため死去した。68歳だった。

 

ブログ ピート・ハミル ハンク・メドレス

(ハンク・メドレス)

 

ハンク・メドレスは1938年11月19日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。彼は地元ブルックリンのリンカーン・ハイスクール生だった十代の1955年、友人で同級生のニール・セダカらとともに「リンク・トーンズ」という5人組ヴォーカル・グループを結成。当時ニューヨークでは多くの若者が、街角で歌うストリート・コーナー・シンフォニーを作り、明日への成功を夢みていた。ニール・セダカはソロになるために1958年グループを脱退するが、4人でグループを継続、若干のメンバーチェンジを経て「トーケンズ」となった。

 

1961年トーケンズは、1952年にウィーヴァーズというグループがヒットさせた「ウイモエー」という曲を「ライオン・スリープス・トゥナイト」と改題し世に送り出し、1962年初頭から大ヒット。ただしここでハイヴォイスを聞かせるのはリード・シンガー、ジェイ・シーゲル。「ライオン・・・」は、アカペラ、ドゥー・ワップなどの愛好者からもっとも愛されている作品のひとつで、最初にヴォーカル・グループをやろうとするときに基本として練習するようなクラシックになった。

 

ブログ ピート・ハミル トーケンズ

 

トーケンズはその後小ヒットを出すが、メドレスらは若手育成に力を注ぎ、ガール・グループ、シフォンズをてがけ、彼女たちの「ヒーズ・ソー・ファイン」(1963年2月からヒット、全米ナンバーワン)、「ワン・ファイン・デイ」(1963年6月からヒット、全米5位)などが大ヒットした。これを機にメドレスの興味は自分が表だって歌うのではなく、裏方でヒットを作るほうへ移っていったといわれる。

 

メドレスは、パートナーのデイヴ・アッペルとともに1970年代に入ってトニー・オーランドー&ザ・ドーンをプロデュース。ドーンは「キャンディダ」(1970年7月、全米3位)、「ノック・スリー・タイムス」(1970年11月からヒット、全米1位)、「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン)」(1973年2月からヒット、全米1位)などポップな大ヒットを放つ。

 

この「幸せの黄色いリボン」は、実話を元にした歌詞で、そのストーリーに感銘を受けた山田洋次監督が日本で『幸せの黄色いハンカチ』と改題し映画化、ヒットした。「キャンディダ」でバックコーラスをつけていたひとりは、「ライオン」のリード・シンガー、ジェイ・シーゲルだそうだ。

 

1980年代には、ニューヨーク・ドールズのシンガー、デイヴィッド・ヨハンセンをプロデュースしたりしていた。

 

1990年から1992年までカナダのEMI音楽出版の社長に就任、ニューヨークに戻ってからはライヴハウス「ボトム・ライン」が始めた「ボトム・ライン・レコード」をてがけていた。

 

メドレスは、4人の子供、2人の孫によって送られた。

 

+++++

 

ニュース。

 

このハンク・メドレス死去のニュースは昨日日曜(2007年7月1日)の山下達郎さんの『サンデイ・ソング・ブック』を聞いていて知った。あわてて調べると、もう2週間前に亡くなっているではないか。気が付かなかった。そこで、さっそく調べて訃報記事を書いたのが上記のもの。

 

で、いろいろ調べていたら、けっこうおもしろいことがわかった。メドレスについては、僕は最初はドーンのプロデューサーとして知った。1970年頃だ。いわゆる「バブルガム・ポップ」のプロデューサーという認識だった。その後、トーケンズのメンバーだったことを知る。だが、それ以降はすっかり意識もしていなかった。

 

今回調べて、トーケンズの前身にニール・セダカがいたとか、ドーンの「キャンディダ」のバックにトーケンズのリード・シンガー、ジェイがはいっていたとか、また、例の「幸せの黄色いリボン」の誕生秘話の詳しいヴァージョンなどを知った。「黄色いリボン」は、コラムニスト、ピート・ハミルのコラム原稿から始まったのかと思っていたが、どうもそれ以前にストーリーがあったらしい。

 

そのあたりについては明日、書いてみたい。

 

ENT>OBITUARY>Medress, Hank (November 19, 1938 - June 18, 2007, 68 years old)

 

~~~~

3.幸せの黄色いリボン・誕生秘話

2007年07月03日(火) 
【幸せの黄色いリボン・物語】
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10038715754.html

 

訃報。

 

日本では『幸せの黄色いハンカチ』という映画が有名になった。山田洋次監督による1977年の作品だ。

 

その元になったのが、トニー・オーランドー&ザ・ドーンが1973年に放った全米ナンバーワン・ヒット「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン=直訳は、古い樫の木に黄色のリボンを巻きつけておいて)」という曲。

 

ブログ ピート・ハミル 幸せドーン。ジャケ写

 

曲か映画のどちらかはご存知の方は多いと思うが、一応「幸せの黄色いリボン」のストーリーをご存知ない方のために簡単にご紹介しよう。このストーリーは、1971年コラムニスト・作家であるピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に書いた「ゴーイング・ホーム」という記事が元になっているとされる。

 

ブログ ピート・ハミル ゴーイング・ホーム

 

ひとりの学生がフロリダ州フォート・ローダーデールからバスに乗った。その中で刑期を終えた元囚人と知り合う。その彼は故郷に帰るが、妻にもしまだ自分とやり直せるのなら、その街の入口にある樫の木に黄色いリボンを一本巻いておいてくれと手紙を書いていた。もしリボンが巻かれていたら、自分はそこでバスを降りて君の元に戻る。しかし、もし結婚していたり、僕とやり直せないと思ったらリボンは巻かないでいい。リボンがなければ、自分はそっとそのままバスに乗り続けどこかもっと遠くへ行こう。

 

その話は、バスに乗っていたみんなの知るところとなり、その街に近づくにつれ全員が緊張してきた。果たしてリボンは巻かれているか否か。ついに彼の故郷の街の入口にやってきた。そこで彼らが見たものは…。

 

一本ではなく、樫の木いっぱいに巻かれていた無数のリボンだった。それを見たバスの客たちは歓喜の歓声をあげた。

 

この感動的なストーリーは、9ヵ月後の1972年6月号の「リーダーズ・ダイジェスト」誌に載録され、さらに多くの人たちが知ることになった。

 

ピート・ハミルは、これを口伝えの伝説として聞き、記事に書いたとのことだ。

 

「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載されてまもなく、1972年6月に三大ネットワークのABCがこの話をドラマ仕立てにしてオンエアした。このときの元囚人は、ブラックの俳優ジェームス・アール・ジョーンズが演じた。

 

そして、それから1ヵ月半後、ソングライターのアーウィン・レヴィンとL・ラッセル・ブラウンの二人が「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー」という曲を書き、その楽曲の著作権登録をしたという。彼ら自身は、このストーリーを軍隊にいた頃に聞いたという。

 

この曲はトニー・オーランドー&ザ・ドーンによってレコーディングされ、1973年2月から大ヒット。300万枚のセールスを記録、世界中で聞かれることになる。そして、このヒットを見て穏やかでなくなったのが、先にこのストーリーをコラムに書いたピート・ハミルだ。そこでこの曲のことを知ったピート・ハミルは、彼ら(ソングライター)に対して訴訟を起こした。

この楽曲は続く17年間にラジオでトータル300万回はプレイされたと推計された。

 

訴訟は、しかし、ソングライターたちがハミルが書く以前に書かれた似たようなストーリーを見つけ出し、取り下げられることになった。

 

そして、この曲の話を聞いた日本の映画監督山田洋次がぜひとも日本ヴァージョンを作りたいと考え、少しばかり日本風にアレンジして『幸せの黄色いハンカチ』として映画化したわけである。日本版では囚人役を高倉健が演じていた。ずっと待ちつづけた妻が倍賞千恵子、旅のお供が武田鉄也と桃井かおりだ。

 

ブログ ピート・ハミル 幸せ・高倉映画ポスター

以後、この「黄色いリボン」は、たとえば、捕らえられている人が解放されるとき、囚人が戻ってくるとき、さらにそれが広義に捉えられ、イランのアメリカ大使館人質事件の人質実解放のとき(1981年1月)、湾岸戦争の兵士が帰国するとき(1991年1月以降)などに、象徴的に使われるようになった。

 

この「幸せの黄色いリボン」をプロデュースした二人のうち一人が、ハンク・メドレスだった。

 

ENT>MUSIC>STORY>Tie A Yellow Ribbon ’Round The Ole Oak Tree


~~~~~


■サポートのお願い

 

ソウル・サーチン・ブログは2002年6月スタート、2002年10月6日から現在まで毎日一日も休まず更新しています。ソウル関係の情報などを一日最低ひとつ提供しています。

 

これまで完全無給手弁当で運営してきましたが、昨今のコロナ禍などの状況も踏まえ、広くサポートを募集することにいたしました。

 

ブログの更新はこれまで通り、すべて無料でごらんいただけます。ただもし記事を読んでサポートしてもよいと思われましたら、次の方法でサポートしていただければ幸いです。ストリート・ライヴの「投げ銭」のようなものです。また、ブログより長文のものをnoteに掲載しています。

 

オリジナルはソウル・サーチン・ブログ
ソウル・サーチン・ブログ・トップ
https://ameblo.jp/soulsearchin/

 

noteでの記事購入、サポートのほかに次の方法があります。

 

方法はふたつあります。送金側には一切手数料はかかりません。金額は100円以上いくらでもかまいません。

 

1) ペイパル (Paypal) 使用の方法

 

ペイパル・アカウントをお持ちの方は、ソウル・サーチンのペイパル・アカウントへサポート・寄付が送れます。送金先を、こちらのアドレス、 ebs@st.rim.or.jp にしていただければこちらに届きます。サポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名でも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

 

2) ペイペイ(PayPay) 使用の方法

 

ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

 

3) サポートしたいが、ペイペイ、ペイパル、ノートなどでのサポートが難しい場合は、 ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。銀行振込口座をご案内いたします。(ちなみに当方三井住友銀行です。同行同士の場合、手数料がゼロか安くなります)

 

コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。ソウル・サーチン・ブログへのサポート、ご理解をいただければ幸いです。

 

ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴

 

本記事はnoteでも読めます
Noteトップ
https://note.com/ebs

ANNOUNCEMENT>Support