●ベティー・ライト66歳で死去~「クリーン・アップ・ウーマン」のマイアミの神童 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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(本作・本文は約3100字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、6分から3分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと10分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事、音源などを聴きますと、もう少しさらにお時間楽しめます。お楽しみください)

 

●ベティー・ライト66歳で死去

 

【Betty Wright Dies At 66 : Queen Of Miami Soul】

 

訃報。

 

 

フロリダ州マイアミをベースに1960年代から活躍してきたシンガー、ソングライター、プロデューサーのベティー・ライトが、2020年5月10日、マイアミの自宅で死去した。66歳だった。癌を患っていたという。数日前に、友人のチャカ・カーンが「彼女に祈りを」とツイートしていたが、復活はならなかった。

 

所属のSカーヴ・レコーズのスティーヴ・グリーンバーグ社長によれば、子宮内膜癌が昨秋に発見され闘病中だったという。

 

1971年の大ヒット「クリーン・アップ・ウーマン」で知られるが、これはのちに多くのヒップ・ホップ・アーティストにサンプリングされ親しまれた。日本のシンガー・ソングライター、小沢健二も自身のヒット「ラブリー」で同曲のリフを引用して日本でも知られるようになった。

 

マイアミをベースに活躍していたが、若いアーティストにとってのメンターとしての存在感を見せていた。最近ではプロデューサーとしてジョス・ストーンのデビュー作にかかわり、彼女のキャリアを開花させた。

 

日本には一度1991年同じマイアミ在住のグローリア・エステファンのコーラスの一員として、また2012年2月に自身名義初のライヴをビルボードライブで行った。

 

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評伝。

 

ベティー・ライトは、本名ベシー・レジーナ・ノリス [Bessie Regina Norris] 1953年(昭和28年=へび年)12月21日マイアミ生まれ。7人兄弟の末っ子。母ローザ・リー・エイキンズ・ライトは看護婦で、父マッカーサー・ノリスはローザにとって2人目の夫で、芝生などを管理するガーデナーだった。幼少から教会に通い、ベティーはギターで遊び、曲のようなものを書いていたという。末っ子ということで兄弟たちとともに2歳頃から見様見真似でゴスペルを歌っていた。その兄弟姉妹グループは、エコーズ・オブ・ジョイと名乗り、1956年にはレコーディングもしていた。まだベティー・ライトがベティー・ライトになる前、2歳ごろのことだ。母親がギターを弾き、歌っていたので、しゃべる頃から同時に歌い始めていたという。キーをはずさない安定の歌唱はそのあたりの基礎からあったのだろう。

 

また、いわゆる「ウイッスル・レジスター」(口笛のように高い音を声で出す方法。ミニー・リパートン、マライア・キャリーなどで知られる甲高い声)も、ベティーは昔からできたという。彼女自身は6オクターヴでるという。

 

■マイアミの神童

 

その後、ゴスペルから世俗のR&Bを歌いだし、十代から地元のクラブなどで歌い始めた。そんなところを、1966年(12歳)地元のウィリー・クラークらが始めたディープ・レコードと契約、シングル「サンキュー・ベイビー」と「パラライズド」をリリース。

 

1968年、14歳(日本では中学2年か3年)のときにはウィリー・クラークとやはり地元のミュージシャンであるクラレンス・リードとシングル盤「ガールズ・キャント・ドゥ・ホワット・ザ・ガイズ・キャン・ドゥ」を、マイアミの音楽界のドン、ヘンリー・ストーンの元でリリース。地元を中心にローカルヒットとなり、一躍神童として知られるようになる。ちなみに彼女の所属レーベル、「アルストン」(発音はオルストン)Alston は、プロデューサー、スティーヴ・アレイモとヘンリー・ストーンの名前から取ったもの。

 

Girls Can't Do What the Guys Do – Betty Wright

https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=-ICj3Ngyy9M&feature=emb_logo

 

 

 

14歳とは思えないほどの成熟した歌唱で、プロデューサーたちも驚くが数枚のシングルを出したのち、1971年、「クリーン・アップ・ウーマン」のヒットを出す。

 

Clean Up Woman -Betty Wright (1971)

https://www.youtube.com/watch?v=TPVk-m1Pr4s

 

 

 

この「クリーン・アップ・ウーマン」は200万枚を売りゴールド・ディスクになり、一挙にその名は全国区にとどろいた。

 

 

イントロの超印象的なギター・リフを弾いているのは同じマイアミで活躍中のウィリー・”

リトル・ビーヴァー“・ヘイル。自身名義のアルバム、ヒットも出している。

 

チャンス・ザ・ラッパーの「フェヴァリット・ソング」、メアリー・J・ブライジの「リアル・ラヴ」などにもサンプリングされている。

 

その後もコンスタントにシングルを出し、「シュラ―・シュー」などもヒット。

 

1972年頃、マイアミ・デイド大学に進学。ここで、なんとパーカッションを専攻。パーカッションを学んだことで、歌唱にリズム感がついたという。

 

当初はゴスペル色の強かったイメージだが、世俗、R&Bに進み、1974年の「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」では両親の家で処女を失うことへの戸惑いなどを歌った。

 

Tonight Is The Night – Betty Wright

https://www.youtube.com/watch?v=xyvn5idWuhE

 

 

 

その後、このラインを使った「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」がヒット。

 

Color Me Bad – I Wanna Sex You Up

https://www.youtube.com/watch?v=Oxu3pq319r0

 

 

 

さらに、「ノー・タイム・ノー・ゲイン」がヒット。彼女の代表曲に。

 

Betty Wright - No Pain, (No Gain)

https://www.youtube.com/watch?v=zpGqIJOqAGQ

 

 

 

1975年に同じTKプロダクション所属のハリー・ケイシー、リチャード・フィンチ、ウィリー・クラークらと共作した「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」(歌・ベティー・ライト)(ロバータ・フラックや、ブラック・アイド・ピーズらの楽曲とは同名異曲)がグラミー賞「ベスト・R&Bソング」部門を獲得。(発表は1976年2月)

 

ベティー・ライトは、自らシンガー、ソングライターとして活動する一方、ビジネス的才覚も見せ、地元で活躍していたジョージ&グエン・マクレイをアルストンに迎えたり、若手をプロデュースしたりするようになる。

 

女性としての自立、意識も強く、そうした運動にも積極的にかかわった。

 

音楽的にはピーター・ブラウンの「ダンス・ウィズ・ミー」にもバックコーラスで参加、関与していた。

 

■エピックへ移籍~新人育成

 

1981年、メジャーのエピック・レコーズに移籍、この時期にはスティーヴィー・ワンダー、リチャード・ディンプルズ・フィールズなどとのコラボ作品も出す。ここでアルバム2枚を出し、その後、1枚インディでのリリースをはさみ、自身のレーベル「ミス.Bレコーズ」を設立。2011年には、ルーツとの共作『ザ・ムーヴィー』をリリースした。

 

 

近年では2003年に、イギリスの天才ソウル・シンガーと呼ばれたジョス・ストーンのデビュー作をプロデュースし、大きな注目を集めた。彼女もデビュー作『ソウル・セッションズ』が2003年9月にイギリス、アメリカなどでリリースされるが、デビュー時16歳という若さだった。

 

Joss Stone - The Soul Session 1

https://www.youtube.com/watch?v=An3qsaW7snM&list=PLTWU83plqZVYzzI_HcpCfjiZEZ1ELTvjv

 

 

 

また、ほかにトム・ジョーンズ、ダイアン・バーチなどの制作にもかかわるようになった。

 

ダイアン・バーチ・ライヴ・アット・クワトロ

2009年12月11日(金)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10408399990.html

 

2011年にザ・ルーツのクエストラヴとともに『ザ・ムーヴィー』というアルバムを共同プロデュースした。

 

2012年2月、自身名義の初来日ライヴ。

 

ベティー・ライト自身名義初来日ライヴ

2012年02月29日(水)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11177929117.html

ライヴ・レポート、セットリスト付き。

 

ベティー・ライトと「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」

2012年03月01日(木)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11179304376.html

 

彼女の代表曲「クリーン・アップ・ウーマン」は、アフリカ・バンバータ、SWV、メアリー・J・ブライジ、スブライム、ウィリーD、チャンス・ザ・ラッパーなどにサンプリングされたり、他の曲がビヨンセ、カラー・ミー・バッドの「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」などにもサンプリングされていた。

 

彼女名義のアルバムも20枚を数える。ゲスト出演曲なども多数。

 

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ベティー・ライトには1980年代中ごろ、ニューヨークで行われていた「ニュー・ミュージック・セミナー」で会ったことがある。彼女がパネル・セッションで話をしていて、その後、立ち話をした。大変快活で頭脳明晰、よくしゃべる人という印象を持った。シンガーとしても成功したが、あれだけ業界を俯瞰して見ることができればプロデューサー的な裏方でも十分やっていけるだろうなあと思ったものだ。マイアミのヘンリー・ストーンのTKレコードに関してはやまほど書きたいことはあるが、また別の機会に。ベティー・ライト1983年のアルバム『ライト・バック・アット・ユー』(エピックからの2枚目)のライナーノーツも書いたことがあった。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

OBITUARY>Wright, Betty (December 21, 1953 – May 10, 2020, 66 year old)

 

 

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