● 2019年死去したアーティスト(パート2)(5月~8月) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●          2019年死去したアーティスト(パート2)(5月~8月)

 

【2019 Obituary : Your Soul Forever】

 

訃報。

 

2019年「ソウル・サーチン・ブログ」および速報のツイッターでご紹介した訃報とその関連記事をまとめました。亡くなられた方に改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。「ソウル・サーチン・訃報ポリシー」は、亡くなられた方のお話をすることがその方を供養することになるというものです。

 

2019年5月から8月まで。

 

【5月】

 

日本のベース奏者岡雄三さん。2019年5月10日都内の病院で死去。53歳。1966年4月26日大阪府高槻市生まれ。2019年3月31日、2年前の癌が再発したことを公表し、仕事を断り治療に専念していた。クレバンド、クリスタル・ケイ、ズーコなどのサポートメンバーとしてファンキーなベース・プレイを披露。

 

ペギー・リプトン Peggy Lipton 2019年5月11日がんのため死去。72歳。モデルから女優に転じレコードも出した。女優としてテレビドラマ『モッズ特捜隊』(1968年~73年)で人気に。その後テレビ映画『ツイン・ピークス』にも。1974年から86年までクインシー・ジョーンズと結婚→https://lat.ms/2JfKGys

 

ドリス・デイ Doris Day 2019年5月13日、カリフォルニア州で死去。97歳。戦前から活躍してきた女優、歌手、最近は動物愛護家として活動していた。https://bit.ly/30gHfwz 1922年(大正11年)4月3日生まれ。1945年からヒット曲多数。映画出演も多数。晩年は加州カーメルに住んでいた。

 

チャック・バークスデール Chuck Barksdale デルズのバリトン2019年5月15日死去。84歳。長く病を患っており生命維持装置で生きながらえていたが、家族がそれを外す決意をしこの日旅だった。デルズはシカゴを代表するソウル・ヴォーカル・グループ。リード・シンガー、マーヴィン・ジュニアが有名

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds R&Bヴォーカル・グループ、アフター7創始メンバー、ケニー・ベイビーフェイス・エドモンズの兄。2019年5月19日までに死去。64歳とみられる。シド・ジョンソンがSNSに明かした。死去場所死因などまだ不明。詳細はこれから→https://bit.ly/2VzDsa9

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds アフター7のメンバー。ケニー・ベイビーフェイス・エドモンズの兄。2019年5月18日インディアナポリスで死去。しばらく体調を崩していた。https://bit.ly/30xM3Ob 1954年11月生まれとされるので、64歳とみられるが、1953年11月生まれだと65歳→

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds メルヴィンは、エドモンズ6兄弟の2番目。上からマーヴィン・ジュニア、メルヴィン、マイケル、ケヴォン、ケネス(ケニー)=ベイビーフェイス、デレク。4男のケヴォンと同郷のキース・ミッチェルと大学で出会い、グループを結成→これに兄のメルヴィンが加わりすでに音楽業界で成功していたベイビーフェイスの口利きでアフター7としてヴァージン・レコードと契約。「レディ・オア・ノット」、オリジナルズのカヴァー「ベイビー・アイム・フォー・リアル」などのヒットを放った→

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds アルバム3枚で、メルヴィンは家族との時間を大切にしたいとグループを脱退。テレビ・ドキュメンタリー『アンサング』ではメルヴィンがリハなどに来なかったためと明かされている。その後グループは実質的に解散。メルヴィンはトラック運転手→

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds キースは道路工事人などの昼間の仕事をしていた。2016年、メルヴィンの息子ジェイソンを加え新生アフター7で再活動。アルバム『タイムレス』発表、一時期メルヴィンも参加し4人組としてライヴも。1990年1月と同年10月、横浜アポロ劇場とMZAに来日。

 

メルヴィン・エドモンズ Melvin Edmonds ベイビーフェイスの兄、R&Bヴォーカルグループ、アフター7創始者2019年5月18日死去。詳細、評伝などブログに→https://amba.to/2wcdvmE #melvinedmonds 数年前、脳卒中で半身不自由に。ベイビーフェイスによれば、6人兄弟で一番いい声がメルヴィン。

 

エノイス・スクロギンス Enois Scroggins 2019年5月28日までに死去。68-9歳。1950年オクラホマ州マスコギ―出身。ファンク系のソウル、R&Bシンガー。フランスのディギーダウン・レコードと契約。昨年夏自動車事故にあい生死を彷徨った。事故後ゴスペルに。Tグルーヴ作品などにも参加。

 

ウィリー・フォード Willie Ford ドラマティックスのメンバー、2019年5月28日までに死去。68歳。死因、場所など不明。https://bit.ly/2wsKh2Y 同グループのベースヴォーカル担当。「ミー&ミセス・ジョーンズ」のイントロナレーションと低音ヴォーカルがウィリーhttps://bit.ly/2wvIz0N

 

ウィリー・フォード Willie Ford (ドラマティックス The Dramatics のベース・ヴォーカル)、2019年5月28日までに死去。68歳。評伝などブログにまとめ→https://amba.to/2EB69On 「ミー&ミセス・ジョーンズ」のナレーションとベース・ヴォーカル→https://bit.ly/2ESjm5F

 

ジョン・ゲイリー・ウィリアムズ John Gary Williams 2019年5月28日までにメンフィスの自宅で死去。死因などは不明。73歳。1960年代中期、マッド・ラッズ Mad Ladsを結成リードシンガーに。その後1973年にソロ・アルバム発売→https://bit.ly/2VXd1vl ソロ作から→https://bit.ly/2XbI5sJ

 

【6月】

 

レオン・レッドボーン Leon Redbone 2019年5月30日死去。69歳。フォークからブルーズまであらゆる音楽を独自のスタイルでクリエイトしたアーティスト。最初カナダでブレイク、ボブ・ディランが注目、絶賛した→

https://bit.ly/2wwR5gh http://amass.jp/121285/

 

ローレンス・ロー・リーザース Lawrence ”Lo" Leathers 新進気鋭のジャズ・ドラマー。2019年6月2日ニューヨークのアパートの階段で男に襲われ死去。37歳。容疑者は逮捕。セシル・マクロリン・サルヴァントのアルバムで2度のグラミーを獲得。https://bit.ly/2WHk4MR https://nyti.ms/2JUyljg

 

ローレンス・ロー・リーザース Lawrence ”Lo" Leathersのドラム・ソロ。 CECILE MCLORIN SALVANT & LAWRENCE LEATHERS (Drums Solo) Live / 31.03.2015 →https://bit.ly/2WjJ25S 1981年11月23日ミシガン州生まれ。2007年からジュリアード音楽院入学でニューヨーク在住。

 

ドクター・ジョン(マルコム・ジョン・レベナック・ジュニア)Dr. John (Malcolm John Rebennack, Jr.)2019年6月6日心臓発作のため死去。77歳。https://bit.ly/2WojLCN アメリカ南部ニューオーリンズを代表するピアニスト、ソングライター、プロデューサー、シンガー。何度も来日している

 

ドクター・ジョン Dr. John 地元ニューオーリンズの音楽だけでなく、広範な音楽知識を持っていたことからミドル・ネームのジョンに博士がついて、「ドクター・ジョン(ジョン博士)」と呼ばれるようになった。「アイコ・アイコ」などニューオーリンズのリズムを使いヒット。グラミー6回受賞。

 

河村要助さん。2019年6月4日死去。1944年4月28日生まれ。75歳。イラストレーター。SNSで親しい方たちが報告している。ミュージック・マガジンなどの雑誌表紙、ラテンサルサ系アーティストのレコードジャケットなど多数を描いた。しばらく前から闘病生活を送っていた https://amzn.to/2KALnCd

 

ブッシュウィック・ビル Bushwick Bill (本名Richard Stephen Shaw)テキサスのラップ・グループ、ゲトー・ボーイズ Geto Boys のラッパー。2019年6月9日夜9時35分(日本時間10日12時35分)コロラド州の病院で死去。52歳。2月にステージ4すい臓がんと診断されていた。https://bit.ly/2R2pxsp

 

ブッシュウィック・ビル(Geto Boys) My Mind Playing Tricks On Me →https://bit.ly/1tLe8LW (1991年)テキサス出身ということもあり、ニューヨーク、LAとは違ういわゆる南部ヒップ・ホップとしての存在感を見せた。ビルはもともとダンサーだったが、ラッパーとして有名に。

 

デイヴ・バーソロミューDave Barthlomew 2019年6月23日ニューオリンズ郊外の病院で死去。100歳と6ヶ月。1950年代から同地のファッツ・ドミノと手を組み「エイント・ザット・ア・シェイム」などの大ヒットを出し、ロック創世の立役者に。ロック、R&Bのパイオニア。 https://www.foxnews.com/entertainment/rock-n-roll-pioneer-dave-bartholomew-dead-100

https://www.foxnews.com/entertainment/rock-n-roll-pioneer-dave-bartholomew-dead-100

 

 

【7月】

 

訃報。ジョアン・ジルベルト、Joao Gilberto 2019年7月6日ブラジルで死去。88歳。ブラジルの音楽を新しくし「ボサノヴァ」という新ジャンルを開発、「ボサノヴァの父の一人」として歴史に名を残している。「イパネマの娘」の大ヒットなど→https://nyti.ms/2YETyS4 日本語→https://bit.ly/2Jk0HCm

 

ジャニー喜多川さん。2019年7月9日都内の病院で解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため死去。87歳。テレビなどメディアが一斉に報じている。事務所が発表。https://news.livedoor.com/article/detail/16749034/…

 

ジェリー・ロウソン Jerry Lawson アカペラ・グループ、パースエージョンズ Persuasions の創始メンバー、リード・シンガー、2019年7月10日アリゾナ州フェニックスで死去。75歳。長く病を患っていたという→https://bit.ly/2xLRpIM グループは4度来日しているが彼は帯同していない→

 

ジェリー・ロウソン Jerry Lawson  グループは2012年12月初来日、そのときの記事、ここにグループの歴史など→https://amba.to/2SdsaIq パースエージョンズは、のちのテイク6、ナイロンズ、ナチュラリー7、最近ではペンタトニックスらのルーツとも言えるアカペラ・グループのレジェンド。

 

アート・ネヴィル Art Neville 2019年7月22日ニューオーリンズの自宅で妻に看取られながら静かに死去。81歳。同地の音楽界の重鎮、ネヴィル・ブラザーズの一員、ミーターズのメンバー。https://bit.ly/2ZfxMF7 ミーターズとしてネヴィルズとしても多数のレコードを残している→

 

アート・ネヴィル Art Neville   https://bit.ly/2Od6qhM    https://bit.ly/2Yjk2M8 1989年ダニエル・ラノワがプロデュースしたネヴィル・ブラザーズのアルバム『イエロー・ムーン』がグラミーポップ・インスト部門を受賞。アートは4兄弟の長男で次男のチャールズが昨年死去

 

【8月】

 

訃報1 アンリ・ベロロ Henri Belolo フランス在住音楽プロデューサー、2019年8月5日までに死去(3日死亡説も)。82歳→https://bit.ly/2GQxY6l 1936年11月モロッコ・カサブランカ生まれ。60年代からパリをベースに音楽活動。70年代にリッチー・ファミリー、ヴィレッジ・ピープルなどを送り出した→

 

アンリ・ベロロ Henri Belolo 1950年代からアメリカの音楽に傾注、パリに来てから60年代初期はジャズに夢中になった。フランスのメジャー・レーベル、バークレー、ポリドールなどでジェネラル・マネージャーなどを歴任。1970年代になり独立し、レコード会社と音楽出版社を設立→

 

アンリ・ベロロ Henri Belolo (英語読みはヘンリー・ベロロ) 1973年には「キャント・ストップ・プロダクション」をニューヨークに、パリにも「スコーピオ・ミュージック」を設立。ここに売り込みに来

 

アンリ・ベロロ Henri Belolo 音楽出版の関係でフィラデルフィアのスタジオ関係者と知り合い、75年、ジャック・モラリをシグマ・サウンド・スタジオに送り、「ブラジル」のディスコ・ヴァージョンを録音。アレンジャーのリチャード・ロームからリッチー・ファミリーと名付け、これが大ヒット→

 

アンリ・ベロロ Henri Belolo その後ニューヨークのヴィレッジにたむろする様々なキャラクターをまとめることを思い付き、彼らを集めてディスコ・グループ、ヴィレッジ・ピープルを結成。「サンフランシスコ」「YMCA」「イン・ザ・ネイヴィー」などの世界的ヒットを生み出した。

 

トニ・モリソン Toni Morrison 2019年8月5日ニューヨークで死去。88歳。黒人女性作家の草分けの一人。   https://nyti.ms/2yGhWaH 1993年アメリカ黒人作家として初のノーベル文学賞受賞。1970年『青い目が欲しい』以降計11冊の小説を発表。ピューリッツァー賞など多数受賞。

 

カトリース・バーンズ Katreese Barnes 2019年8月9日までに癌のため死去。56歳。ニューヨークで活躍するソングライター、シンガー、プロデューサー。テレビの仕事も多くエミー賞2回、グラミーノミネートも。シックのベース、ジェリー・バーンズの妹。ロバータ・フラック等に楽曲提供。

 

カトリース・バーンズ Katreese Barnes カトリースはノース・キャロライナ州出身。ニューヨークに出て音楽的才能を発揮。兄のジェリー・バーンズとともに1982年ジューシーを結成、アルバム3枚リリース。自身ソングライター、シンガーとして多数の作品を残し、チャカ、ロバータ等に提供→

 

カトリース・バーンズ Katreese Barnes ロバータ・フラックなどには特に可愛がられ、ツアーにも帯同。クラシックの素養があり、オーケストラ譜面も書け、テレビの仕事も多数。『サタデー・ナイト・ライヴ』等ではのちに音楽ディレクターに。エミー賞2回受賞、グラミーもノミネート。

 

カトリース・バーンズ Katreese Barnes 最近ではネット動画を自宅で録画して配信していた。最近の会のもの、ゲストにアイザイア・シャーキーが登場回→https://bit.ly/2YRtkiJ なお、この訃報は兄のジェリーがSNSに投稿したことからわかったもの。

 

カトリース・バーンズ Katreese Barnes カトリースは、クラシックの素養があるので、ストリングスなどをまとめたチェンバー・ソサエティーのようなユニットも持つ。エスペランザ・スポルディングなどがやっていることの先駆的存在かもしれない。いずれにせよ、才媛でまた声も魅力的。

 

ピーター・フォンダ2019年8月16日ロスアンジェルスの自宅で家族に看取られながら静かに死去。79歳。肺がん。1940年2月23日ニューヨーク出身、舞台俳優から映画『イージー・ライダー』(1969年)でブレイク。俳優ヘンリー・フォンダの息子、女優ジェーン・フォンダの弟→https://bit.ly/31Hy73X

 

ピーター・フォンダ2019年8月16日ロスアンジェルスの自宅で家族に看取られながら静かに死去。79歳。肺がん。1940年2月23日ニューヨーク出身、舞台俳優から映画『イージー・ライダー』(1969年)でブレイク。俳優ヘンリー・フォンダの息子、女優ジェーン・フォンダの弟→https://bit.ly/2HalNl2

 

ペドロ・ベル Pedro Bell アーティスト/イラストレーター。2019年8月27日までに死去。69歳前後。シカゴ出身のイラストレーターで、1973年ファンカデリックの『コズミック・スロップ』のジャケットを皮切りに多くのPファンク系ジャケットをてがけた→https://bit.ly/2MI7UyX → #pedrobell

 

ペドロ・ベル Pedro Bell ファンカデリックの『ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ』 https://amzn.to/2NCwbpy など多くの作品、ジョージ・クリントンのソロ『コンピューター・ゲーム』https://amzn.to/2Pi25tZ などのジャケット作品多数。糖尿病でほぼ失明していたという。

 

ペドロ・ベル Pedro Bell アーティスト/イラストレーター。ファンカデリック、ジョージ・クリントンなどのレコードジャケットのイラスト、ライナーノーツなど担当。2019年8月27日シカゴ郊外で死去。69歳。ニューヨーク・タイムズの記事が出ました(8月30日付け)→https://nyti.ms/2PrvPVy

 

ペドロ・ベル Pedro Bell ファンカデリックのジャケット・イラストでPファンク・ファンなどにはよく知られたペドロだったが、96年頃から糖尿病のせいで失明し、腎臓透析もあまりできず、経済的にも困窮していたという。またPファンクのアイデアなども出した。 https://bit.ly/2F7UunR

 

ダニー・フリッツ1 Donnie Fritts 2019年8月28日死去。76歳。南部を中心に活動していたシンガー/ソングライター、キーボード奏者、俳優。ダスティ・スプリングフィールドの「ブレックファースト・イン・ベッド」など作品多数。映画『コンヴォイ』『スター誕生』などにも出演。体調を崩していた

 

ダニー・フリッツ Donnie Fritts アラバマのマッスル・ショールズをベースに活動。今年(2019年)4月ビルボードライブ大阪、東京に来日予定だったが、体調不良でキャンセルになっていた。カントリー・シンガー、クリス・クリストファーソンのキーボード奏者として40年近くやってきた。

 

 

OBITUARY>2019>2 (May-August)

 

 

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