〇グラミーをはく奪されたミリ・ヴァニリとフランク・ファリアン
【30 Years Later: What Was Milli Vanilli Saga】
口パク。
西ドイツからディスコ・グループ、ボニーM、エラプションなどを送り出し成功を収めていたプロデューサー、フランク・ファリアンが送り出したミリ・ヴァニリ。そのレコード「ガール・ユー・ノウ・イッツ・トゥルー」(アメリカのニューマークスが録音していた曲のカヴァー)が全米でも1988年6月にリリースされ、2位を獲得。アルバム『オール・オア・ナッシング』(総取りか、全部を失うか)(1988年11月発売)も600万枚を超える大ヒットになった。モデル風のダンサー2人を前面に押し出したヴィジュアル・イメージと楽曲の強力さとビデオのおかげで全世界的に大ヒット。1990年2月21日発表のグラミー賞ではなんと勢いを得て「新人賞」を獲得。
ところが、レコードのジャケット、ビデオにでてきたロブとファブの二人は、レコード上では実際には歌っておらず、別のプロのシンガーが歌っていた。テレビなどに出るときは口パクでやっていた。
そしてそれが徐々に噂となり、ついに1990年11月15日、プロデューサーのフランク・ファリアンが「レコードで実際に歌っているシンガーは別人だ。ロブとファブはヴィジュアルだけだ」と記者会見で公表。これを受け、翌週グラミー委員会はグラミー新人賞のはく奪を決めた。
ロブとファブは実際に歌い、レコーディングをし、新たに「ロブ&ファブ」と名乗り再デビュー。しかし、レコードはデビュー作ほどは売れなかった。
ロブは1998年4月3日、32歳の若さでツアー中のホテルで死去。
そんなアメリカのエンタテインメントの世界に翻弄されたファブとロブそして、フランク・ファリアンらの動きについて、ウェッブサイト、メンタル・フロスがまとめた。
その記事がこちら→
30 Years Later: The Great Milli Vanilli Hoax
BY KENNETH PARTRIDGE
OCTOBER 7, 2019
ファリアン。「彼らをディスコで見つけ、可能性にピンときた。だが、彼らはまったく歌えない。だからプロのシンガーを雇った。実際の歌手とヴィジュアルのイメージが違ってもディスコ、クラブでのヒット・レヴェルだったら問題ないと思った」
だがドイツだけでなく、これがアメリカにわたり全米で大ヒットすると状況は一転した。テレビ番組の口パクで大失敗を犯し、怪しまれるようになる。しかし、レコードは大ヒット、雪だるまはどんどんと大きくなっていった。
そして、記者会見、グラミーはく奪へと続く。
彼らは1991年4月「リアル・ミニ・ヴァニリ」名義で来日。汐留のパックス・シアターでライヴを行った。そのとき、インタヴューをする機会があった。
2人はすでにグラミーもはく奪され、口パクシンガーとされていたので、メディアに対して、あからさまな敵対心を持っていた。あまりインタヴューも盛り上がらず、早々に引き上げたのを覚えている。
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