〇 「ラスト・ダンス」誕生秘話~ボブ・エスティー追悼 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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〇「ラスト・ダンス」誕生秘話~ボブ・エスティー追悼

 

【Last Dance Was Born This Way】

 

秘話。

 

ロスをベースに活躍していたアレンジャー、プロデューサーのボブ・エスティ―が亡くなった。(昨日付のブログ)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12530775847.html

 

そのボブ・エスティ―の代表曲の1曲に「ラスト・ダンス」がある。その誕生秘話をご紹介しよう。

 

ボブ・エスティ―

 

「ラスト・ダンス」のもともとのデモ・テープは、ソングライターのポール・ジャバラがプエルトリコでピアノ一本で曲の一部を思い付き、簡単にサビの部分のメロディーを歌ったものを録音し、それをドナ・サマーに聞かせた。ポールはドナをホテルの部屋のトイレに押し込み、聞くように強要したという。ドナは押される形で、録音を承諾。

 

Donna Summer - Last Dance (Official Video)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=253&v=A8xv1MXrwNc

 

そして、アレンジャーのボブ・エスティ―がこの曲をアレンジ。エスティ―によれば、ポールのデモ・テープはラフなものだった。ただ、ポールはヒット曲のツボみたいなものを抑える力があった、という。

 

ポールはボブのアレンジのデモ・テープをカサブランカ・レコード社長、ニール・ボガートに聞かせたところ、ニールが気に入り、録音することに。ちょうど、ニールはモータウン映画の『サンク・ゴッド・イッツ・フライデー』用の曲を探していて、この曲がはまると考えた。同映画にはドナ・サマーが出演することが決まっており、ドナの曲もサウンドトラックに収録できることになっていた。

 

イントロ。

 

ボブによると、イントロのスローのナレーションとサビへいくブリッジあたりのアイデアは自分のものだという。特にイントロのアイデアは、ダイアナ・ロスの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を参考にしている。同曲もイントロはスローで、途中からテンポ・アップしていく。こういう構成はディスコ曲では前例がなかった。

 

トラック(カラオケ)は午前中にリズム・トラック、午後にホーンとストリングスを録音。そして同じ日の夜、ジョルジオ・モローダーがやってきてドナのヴォーカルを録った。ドナはデモ・テープそのままの歌で、2テイクで録音。しかし、そのヴォーカルのレコーディングには、ボブは立ち合いを許されなかった。またジョルジオ自身はこの曲のことを気に入っていなかったが、またドナに振る・ヴォイスで歌わせたくなかったという。

 

~~~

 

クレジットなし。

 

ボブ・エスティ―は、少なくとも曲のクレジットにコ・ライター(共同ライター)、あるいはコ・プロデューサー(共同プロデューサー)に自分の名前が入ってもいいと思った。しかし、実際はポールが作曲クレジットを取り、ボブはアレンジャーとしてのクレジットのみとなった。そして、ポール・ジャバラはオスカーやグラミーを取った。

 

同曲は、グラミー賞ベスト女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス、さらにベストR&Bソングも獲得した。

 

「かなり苦い教訓を得たわけだが、それでも私は(ドナの次の)『ワンス・アポン・ア・タイム』のアレンジをやることにして、カサブランカとはプロデューサー契約をものにした」と振り返る。

 

次作。

 

続くドナ・サマーとバーブラ・ストライサンドのデュエット曲「イナフ・イズ・イナフ/ファイト」は再びポール・ジャバラの曲だったが、ポールがどうやら映画の撮影現場でちょっとしたトラブルを起こしたらしく、バーブラのボーイフレンドで映画のプロデューサーであるジョン・ピーターズが激怒し、レコーディング・スタジオにポールを出入り禁止にした。そのことに頭に来ていたポールは、プロデューサーとなるボブをスタジオ出入り禁止にしようとしたが、バーブラが歌の指導をボブにしてほしいという希望を出したため、彼はスタジオ入りを許される。実際のところ、プロデューサーはこの場合、ボブだったので、その現場に立ち会わなければならなかった。

 

「メイン・イヴェント」が大ヒットし、そのデュエット続編「ノー・モア・ティアーズ(イナフ・イズ・イナフ)」が制作されるが、これは曲は再びポール・ジャバラだったが、なんとアレンジはボブ・エスティーからグレッグ・マシソンに変わっていた。プロデューサーにはジョルジオのほか、ギャリー・クレイン、ハロルド・フォルターメイヤーの3人の名が連なり、なんとポール・ジャバラはルーサー・ヴァンドロスとともにヴォーカル・アレンジで参加していた。おそらく、ポールとボブの確執がアレンジャーの変更になったものとみられる。

 

「ラスト・ダンス」は1977年に録音されていたが、レコードがリリースされるのは、1978年だった。ドナ・サマーの代表曲となった。

 

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