◎リロイ・ハトソン初来日コンサート・ライヴ評&モア(パート4 / 5)~初来日までの軌跡 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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◎リロイ・ハトソン初来日コンサート・ライヴ評&モア(パート4 / 5)~初来日までの軌跡

 

【Leroy Hutson Live & More (Part 4 of 5 Parts)】

 

奇跡の初来日と言われたリロイ・ハトソンの初ライヴ。72歳のリロイが初来日に至るまでを簡単にご紹介。

 

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シカゴ。

 

1970年代にシカゴのソウル・レーベル、カートムからアルバムを出していたソウル・シンガー、リロイ・ハトソン(1945年6月4日ニュージャージー州ニューアーク生まれ、72歳、現在はマイアミに在住)は、ワシントンDCにある名門ハワード大学に通い、母親の希望で歯科医を目指していた。しかし、そのキャンパスで知り合った若き音楽家との出会いを機に人生が大きく展開する。そこで出会ったのがシカゴ出身のダニー・ハサウェイだ。

 

ダニーは1965年から1969年まで、リロイは1965年から1970年までハワードに在籍した。

 

1960年代中期、キャンパスでは、まだ学生だったダニー・ハサウェイやハービー・ハンコック、ロバータ・フラックらがそれぞれ音楽用の部屋でいろいろと音楽活動をしていてそれらの音が流れてくるのに、リロイも引き寄せられていった。

 

リロイは次第に歯科医の勉強よりも音楽の方が楽しくなっていき、音楽の授業も取るようになる。そして、大学で知り合ったダニー・ハサウェイと意気投合、彼らはルームメイトとなり、さらに一緒に音楽を創り出すようになる。ダニーも、リロイも共に1945年生まれで同じ年。(ダニーは1945年10月1日生まれ)

 

カーティスは1942年6月3日シカゴ生まれなので、彼らより3歳年上。つまり、カーティスとリロイは誕生日が(6月3日と4日)1日違いということになる。(生まれ年は違うが) 一足先に音楽活動をしていて、インプレッションズで成功していた。そして、ちょくちょくハワード大学を訪れ、ワシントンDCなどで行われるショーケースやライヴ・ハウスなどでライヴを見ていた。

 

ダニーはすでに音楽業界で仕事をしだすようになったので1969年にハワードを去りシカゴに戻り、カーティスのもとでさらに仕事をするようになる。一方、リロイは翌1970年6月にハワードを卒業する。

 

ダニーはリロイのことを「ホース」というニックネームで呼んだ。

 

ダニーはすでに1969年秋頃、キング・カーティスのつてでアトランティック・レコード傘下アトコ・レコードと契約、デビュー作となる『エヴリシング・イズ・エヴリシング』を録音し始め、これは1970年7月に発売される。ここには、ダニー&リロイ共作の、ロバータ・フラックとポップ・ステイプルスで録音されていた「トライン・タイムス」と「ゲットー」が収録された。

 

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「ゲットー」。

 

「『ゲットー』はある火曜日、僕がブルーズのリフを弾いていたら、ダニーがやってきてあれこれアイデアを出して、それからオープンリール(のテープ・レコーダー)にすぐ録音した。一時間半くらいでできたと」という。

 

今回のライヴではこれをやらなかったが、多くのファンはなぜやらなかったのか疑問に思った。リロイによると、「今回やったのと同じくらい以上の曲があるんで、たまたま落ちた」「今回のセットリストの中では、(曲がメロウなものが多いので)ちょっと流れ的に違った」「曲が長い」などの理由でたまたま落ちたようなニュアンスだった。来年以降にやってきてくれたら、きっと歌ってくれるような感じだ。

 

リロイとダニーは、メイフィールド・シンガーズなどでレコーディングをしたり、音楽活動を一緒にやり親しくなっていく。

 

リロイもダニーらを頼ってシカゴに移住。リロイがハワードを卒業する1970年6月は彼にとっては、大きな激動の、そしてターニング・ポイントとなる月になった。ちょうどその時、カーティスがインプレッションズを辞めることになっており、カーティスに代わるリード・シンガーを探していたところ、それにダニーから推薦された。大学卒業、もうひとつ、プライヴェートで結婚が同時に重なったという。

 

このインプレッションズのリード・シンガーの話は、なかなか急で、それでもリロイは受けた。3日くらいのリハーサルで、全曲を覚えなければならなく、大変厳しかったという。すぐにニューヨーク・セントラル・パークで3万人ほどの聴衆の前でのライヴが決まっていたそうだ。その時は、リロイのユニフォームも準備されていなかったので、カーティスのものを着てしのいだそうだ。

 

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インプレッションズ。

 

リロイは、1972年4月リリースのインプレッションズの『タイム・ハズ・チェンジド』から正式参加。次のアルバム1973年3月発売の『プリ―チャー・マン』では正式メンバーではないが、アレンジなどで参加している。

 

結局、1973年から79年までにカートムで7枚のソロ・アルバムを出し、その後、エレクトラに移籍、1982年1枚出した。以後は一線からは退いていた。リロイによれば、ツアーがなかなか大変だったので、80年代以降は、普通のビジネス、不動産業をして生計を立てていたという。今回リロイと話してよくわかったのは、彼がきちんとした人ということ。だからおそらく不動産業もちゃんと成功したのだろう。彼は「まあ、今は音楽は生活のためじゃないけど、音楽とビジネス(不動産業)の割合がひっくり変えるといいね」という。1989年にマイアミに引っ越し、以後はマイアミ在住。そこに移ったのは、もちろん気候がいいからだ。

 

そういえば、ニューヨークに夢破れ、夢はマイアミに行くことだった男が主人公の映画『ミッドナイト・カウボーイ』では、雪や寒さが厳しいニューヨークを嫌い、一年中温暖なマイアミにバスで向かうが、ニュージャージー出身、シカゴにも縁があったリロイにとっては、音楽業界から離れるときにマイアミに向かうのは自然な流れだったのだろう。

 

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発掘。

 

リロイはその後1990年代以降、イギリスのアシッド・ジャズ、レア・グルーヴなどの動きの中で昔の音源が発掘され、DJや、ヒップホップ系のアーティストにサンプリングされたりして、再注目を集めた。日本では、その流れから『フリー・ソウル』のコンピレーションCDやアルバムでリリースされるようになった。

 

日本では、70年代リアルタイムにはカートム・レーベルはブッダ・レーベルの配給で、日本コロンビア(カーティス作品は出ていたが、確かリロイはほとんど出なかったと記憶する)、その後、しばらく契約がなく、ジムコ、Pヴァイン、ビクター、テイチクなどから散発的にリリースされ、その後ワーナー、現在はホステスがリリースしている。

 

イギリスでライヴをやるときは、「キング・オブ・レア・グルーヴ」のキャッチが付く。

 

そして、2000年代後期に入るとイギリスのプロモーターがリロイに連絡してきて、ライヴをやらないか誘うようになり、ライヴを再開した。そういう経緯で、イギリスのローカル・ミュージシャンでバンドを組み、リロイが単身乗り込みライヴを行った。

 

1970年代から80年代初期を除いて、21世紀になって初めてイギリスでライヴを行ったのは、2010年8月19日、ロンドンO2(オーツー)内インディゴ2(Indigo2)だった。以後、ジャズ・カフェなど何本かライヴをやるようになった。いずれもイギリスのミュージシャンを起用。

 

2017年12月27日にロンドンで行われた2本のショーのバックをつけたのが、基本的には今回来日したドラマー、ニック・ヴァン・ゲルダーが音楽ディレクター(バンドマスター)となったメンバーだ。ニックは、最初のジャミロクワイのアルバムとツアーに参加したドラマーで、ソウル、ファンク、R&B、さらにディスコが大好きなミュージシャンだ。以後、イギリスをベースに自身のレコード(CD)を出したり、他のミュージシャンとユニットを組んだりしている。メインの楽器はドラムスだが、実はギターもベースもちょっとした腕前だ。

 

リロイの来日公演の話がでたときには、リロイは彼の持つアメリカ人バンドを予定していたらしいが、この12月のライヴでのバック・バンドのことが気に入り、こちらに変更した。リロイは「アメリカのバンドは僕のことを嫌っててね」と笑う。

 

こうして、リロイ・ハトソンはアメリカ・フロリダから、そして、9人のバンドはイギリス・ロンドンから東京にやってきた。

 

リロイの初来日が決まり発表されると、「奇跡の初来日」として大いに話題になったことはすでにご存じの通り。それにしても、ここまで期待値が高まり、実際会場も満員になるとは、すごい。

 

(そして、初日のブログに戻る。この項続く。次回はニック・ヴァン・ゲルダーらの話)

 

 

 

■リロイ・ハトソン・セットリスト

 

2018年5月5日(土)セカンド@ビルボードライブ東京

 

[ ]=indicates the artist who made it hit

 

Show started 19:31

01.         Cool Out (Instrumental)

02.         Getting It On (Instrumental)

03.           (Intro only)Don’t It Make You Feel Good

Leroy Hutson on the stage

04.         Lover’s Holiday

05.         It’s Different

06.         All Because Of You

07.         So In Love With You –

08.         Love The Feeling (introducing members)

09.         So Nice

10.         [Gizelle]  Cashin’ In [Voices of East Harlem]

11.         [Gizelle]  Trying To Get Next To You [Arnold Blair]

12.         Lucky Fellow [Maurice Jackson, The Independents]

Enc1.   Don’t It Make You Feel Good (Vocal Version)

Enc2.   Now That I Found You

Show ended 20:46

 

■メンバーズ

 

リロイ・ハトソン / Leroy Hutson (Vocals, Piano)

ニック・ヴァン・ゲルダー / Nick Van Gelder (Drums, Percussion, Musical Director)

ジゼル・スミス / Gizelle Smith (Vocals)

 

アンドレ・エスポー / Andre Espeut (Vocals)

カール・ハドソン / Carl Hudson (Keyboards)

ポール・ジョブソン / Paul Jobson (Keyboards)

デイヴ・アイタール / Dave Ital (Guitar)

デレク・チャイ / Derek Chai (Bass)

ジェイミー・アンダーソン / Jamie Anderson (Saxophone)

コフィ・カリ・カリ / Kofi Kari Kari (Percussion)

 

(アーティストのカタカナ表記は、リロイの発音を元にしています)

 

(2018年5月5日・土曜、ビルボードライブ東京、リロイ・ハトソン・ライヴ)

)

 

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アンソロジー 1972-1984

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2017-11-08)

https://goo.gl/Bfy2Qx

 

①   ラヴ・オー・ラヴ

リロイ・ハトソン

ブルース・インターアクションズ (1996-01-25)

https://goo.gl/ysysiw

 

②ザ・マン!

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2018-05-02)

https://goo.gl/Z2K4U6

 

 

③ハトソン

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2018-04-04)

https://goo.gl/NbxxMb

 

 

④ハトソン2

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2018-04-04)

https://goo.gl/NVDBeP

 

⑤フィール・ザ・スピリット

リロイ・ハトソン

ブルース・インターアクションズ (1996-01-25)

https://goo.gl/YhyTW5

 

⑥クローサー・トゥ・ザ・ソース

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2018-05-02)

https://goo.gl/tdTjf5

 

⑦タイトル未定

リロイ・ハトソン

Hostess Entertainment (2018-06-29)

https://goo.gl/xaPJSQ

(下記『アンフォーゲッタブル』の新プレス盤)

 

⑦Unforgettable

Leroy Hutson

Charly UK (1998-11-01)

https://goo.gl/SgW4Wu

 

⑧パラダイス

リロイ・ハトソン

ワーナーミュージック・ジャパン (2014-02-26)

https://goo.gl/hKtzF8

 

(2018年5月3日木曜・ビルボードライブ東京、リロイ・ハトソン・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Hutson, Leroy