○ロナルド・ブルーナー・ジュニア、プリンスについて語る (パート2) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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○ロナルド・ブルーナー・ジュニア、プリンスについて語る (パート2)

 

【Ronald Bruner Jr. Talks About Prince (Part 2)】

 

(昨日の続き)

 

ミネアポリスのペイズリー・パークに呼び出された新進気鋭のドラマー、ロナルド・ブルーナー・ジュニア。呼び出されたはいいが、一週間まったく音沙汰なく、LAに帰ろうかと思った瞬間、テキスト・メッセージが入った。そして、ペイズリー・パークでプリンスと初対面、ビリー・コブハムの「ストラタス」でいきなり、ジャム・セッションを始めるとどうやらオーディションに合格したようだった。

 

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超ハード・リハーサル。

 

「それから『ダコタ・ハウス用』のリハーサルをやった。(2013年1月に行われたライヴ) そして1-2か月(訳註、この期間はちょっと不明)、さまざまなリハーサルをやった。ヨーロッパツアーにも行く予定だった。リハーサル現場にはサードアイ・ガールもいた。ただ僕はサードアイ・ガールのバックバンドはやってないんだけどね。実際のところ、僕のスケジュールとプリンスのそれを合わせるのがすごく難しくなったんだ。なにより、プリンスとはいつ仕事になるかわからない。(録音もライヴも突然決まるため)彼はギリギリまでスケジュールを教えてくれないんだ」

 

「僕はちょうど、(それまでのドラマーの)ジョン・ブラックウェルの後釜という位置づけだった。ジョンはバークリー音楽院で教えるとかいう話があって、プリンスはジョン・ブラックウェルの後任を探していた。そして、僕を探し出し、連絡が来たわけだ。以後は超厳しいリハーサルを毎日続けた。毎日びっちりだ。今日はこの25曲、次の日はこの25曲をとにかく覚えろ、という。僕は楽譜が書けるんだが、プリンスは(楽譜なんか書かずに)とにかく覚えろ、と」

 

「ところが、徐々に僕の(あらかじめ決まっていた)スケジュールと彼のスケジュールがバッティングするようになった。彼のスケジュールはとにかくわからない。噂は出るんだ。こんどどこそこの街に行く、どこそこに行くようだ、とかね。今度どこそこに行くという話は、本当か。ほんとに行くのかってメンバーの間でもどこにいくのかわからない感じだった」

 

「プリンスは僕の音楽的才能に焦っていたかもしれない。だが僕は自分で決断しなければならなかった。結局、僕はグループを辞めることにした。するとプリンスはとても激怒した。『なんで辞めるんだ』と。だが結局辞めた」

 

RBJは、結局2013年1月のダコタ・ジャズ・クラブでの演奏だけでプリンスの元を去る。

 

RBJが続ける。

 

「それから1年くらい経ってから、LAのクラブで友人が演奏するのを見に行ったときのことだ。プリンスはすでにそのクラブのVIPエリアにいた。僕もVIPパスを持っていた。僕は演奏を見ていた。DJがプリンスは君の真後ろにいるよ、と教えてくれた。プリンスはサングラスをしていて、低い声で、『ハウ・アー・ユー、RBJ』と言った。僕は『元気だよ、I miss you(君に会えなくて淋しいよ)』と答えた。すると彼も『僕もだよ』と言って、また立ち去っていった。(笑)」

 

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忍者。

 

早口でまくしたてるRBJが続ける。

 

「こんなこともあった。あるとき、ペイズリー・パーク(・スタジオ)で(バンド・)リハーサルの2-3時間前に来て一人でずっとドラムを叩く練習をしていた。ひたすら叩いて練習をしていたんだが、目をつぶりながら叩いていた時に、ふと目を開けるとプリンスが僕の方を凝視していた。2-30分ただ彼は立って、僕を見ていた。僕もそれでもかまわずに練習を続けた。そして、またちょっと下を向いて顔を上げるとプリンスは消えていた。まるで忍者みたいだったよ。(笑)」

 

「プリンスは、ある程度曲の解釈は僕に任せてくれた。たとえば、『ミュージコロジー』では僕は(オリジナルのレコードと比べて)けっこうグルーヴを変えて演奏したんだが、プリンスはそれを気に入ってくれた。そして、よく『RBJらしくプレイしろ play like RBJ』と言われた。プリンスは僕の音楽的素養に対して敬意を持ってくれた。だから僕が好きにやることを許してくれたんだ。実際、もっと彼と一緒に過ごしたかったよ。」

 

「プリンスが曲を教えてくれるときは、ベイシック・インストラクション(曲の基本的な構成)を説明するだけだ。もちろん、肝のところや細かいリフについていうこともあるが、基本はその構成だけだ。あとは僕の自由に叩けた」

 

 

プリンスの曲の中で思い出深い曲は何か。

 

「まず、なんといっても『マウンテンズ』をリハーサルでやっているときだ。そのとき僕の目には涙があふれた。プリンスが『どうしたんだ』と心配してくれた。映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』の最後に流れてくる曲だが、その映画を見たとき僕はまだ子供だった。(映画は1986年11月全米公開。ロナルドは4歳) 映画館で僕は子供だったのに、その曲にあわせて踊っていた。そしてその曲になぜか感動させられたんだ。それで、リハーサルでこの曲をやっていると、それを思いだして泣いてしまったんだよ。彼にそのことを言ったよ。そうしたら彼は『僕の曲が君の心に触れて嬉しいよ』と言ってくれた。たぶん、プリンスが、僕が彼の曲に感激していたのを見たのは数少ないが、それがそのうちのひとつだ」

 

「ライヴでやった曲で言えば、(ザ・タイムの)『クール』、(プリンスの)『コントラヴァーシー』だ。これらの曲は、昔からよく知っていた。リハーサルも必要ないほどだった。僕が生まれる前の曲だが、親がとにかくそういうレコードを家でいつでもかけていたから、よく知っていた。プリンスが、僕に4&4(フォー・アンド・フォー)のリズムを叩いてくれ、と言った。(普通にバスドラでドンドンドンと一定のリズムで刻むリズムパターン) すると、あの『クール』のイントロが始まった。もうそれを聴いて、僕は『ワオオッ』と大興奮してしまった。『コントラヴァーシー』のときもそうだった。子供の頃から知っていた曲を自分がプリンス本人と一緒にプレイできるなんて、本当に夢みたいで嬉しかったよ」

 

ちなみにこれらの曲のうち「クール」は2013年1月17日ダコタ・ジャズ・クラブのファーストで、「コントラヴァーシー」は17日セカンドでプレイされた。

 

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パワー&エネルギー。

 

スティーブン・ブルーナーの話などを聴いていると、プリンスが信頼するミュージシャンにはそのミュージシャンが好きなようにやらせることがわかる。

 

RBJは、手振り身振りをしながら、早口でまくしたてる。あっという間に20分近く過ぎてしまった。そこで、その他のコメントを簡単に取らなければならなくなった。

 

ロナルド・ブルナー・ジュニア~トライアンフ (現時点で日本盤のみ)

https://goo.gl/oqvXQu

 

ロナルドは、とにかくプレイすることが大好きな人物だった。コットンクラブでのライヴが終わった後も、六本木のエレクトリック神社にメンバーたちと繰り出し、シャンパーンをラッパ飲みしながら、気が向くとドラムセットに向かっていた。僕は朝まではいられなかったが、彼らは朝までジャム・セッションを繰り広げていたようだ。そして、彼のドラムの音は、圧倒的に大きかった。たぶん、あのパワー、あのエネルギー、そして集中力をプリンスは気に入ったのだろう。わかる気がした。

 

 

ENT>Bruner Jr., Ronald

PRINCE>Bruner Jr., Ronald