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●ジミー・ラッフィン78歳で死去

【Jimmy Ruffin Dies At 78】

訃報。

モータウン・レコード所属のソウル・シンガー、ジミー・ラッフィンが2014年11月17日(月)ラスヴェガスで死去した。78歳だった。10月末から危篤状態が続いていた。ジミー・ラッフィンは、同じくモータウン・レコードの看板グループ、テンプテーションズのリード・シンガー、デイヴィッド・ラッフィン(1941年~1991年)の兄。二人でデュエット・アルバム『アイ・アム・マイ・ブラザーズ・キーパー』(1970年)を出したこともある。ジミーの大ヒット「ホワット・ビカムズ・オブ・ザ・ブロークンハーテッド」は、ホイットニー・ヒューストン、ケヴィン・コスナー主演の『ボディガード』のテーマになる予定だったが、映画公開より先にイギリスのポール・ヤングがカヴァーしたため、別の曲、ドリー・パートンの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」のカヴァーに差し替えられた。


http://youtu.be/2vf3ZE7CLg0



海外記事

http://www.detroitnews.com/story/obituaries/2014/11/19/jimmy-ruffin-dies-motown/19281307/

http://www.nytimes.com/2014/11/20/arts/jimmy-ruffin-singer-of-a-memorable-motown-hit-dies-at-78.html?_r=0

評伝。

ジミー・ラッフィンは1936年5月7日、ミシシッピー州コリンズヴィル生まれ。5人兄弟の長男。(ジミーの生年はこれまで1939年とされていたが、今回の訃報で1936年に修正されている) 幼少の頃、デトロイトに移住。兄弟で早くから教会でゴスペルを歌いだすようになった。

1961年、モータウンに入り、当初はバック・コーラスなどに参加。兵役を経て1964年、モータウンに戻り、一時期テンプテーションズのリード・シンガーになるべく考えられたが、弟のデイヴィッドのほうが適任とされ、ジミーはソロとして契約。

1966年、当初はスピナーズを想定されて書かれた曲「ホワット・ビカムズ・オブ・ザ・ブロークンハーテッド」を録音、これが大ヒット。一躍、ジミー・ラッフィンの名が知られるようになった。

以後、テンプスほどではないが、コンスタントにヒットを生み出している。

1970年弟のデイヴィッド・ラッフィンとともに『アイ・アム・マイ・ブラザーズ・キーパー』をリリース、名盤となった。

1980年代には一時期本拠をイギリスに移し、イギリスのポップ・グループ、スタイル・カウンシルのポール・ウェラーとチャリティー・シングル「ソウル・ディープ」をレコーディングしている。ほかにも、ヘヴン17とともに録音したり、イギリスで人気が高かった。

2013年の5月7日の77歳の誕生日に新緑による新作をリリース予定と発表されていたが、リリースされていない。

2014年10月末に現在住んでいるラスヴェガスで倒れ意識不明になったことが伝えられていた。

1980年―Hold On To My Love – Jimmy Ruffin (ビージーズのロビン・ギブが書いた作品)

http://youtu.be/zbHUH9fxI30



アルバム

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OBITUARY>Ruffin, Jimmy (May 7, 1936 – November 17, 2014, 78 year old)