◇チベットの少年についての映画『オロ』(パート2)
【Olo. The Boy From Tibet (Part 2)】
大転換。
映画試写上映後、少しだけ岩佐監督と話ができた。
1934年生まれの岩佐監督は、自身の人生で2度の劇的な変化を体験している、という。「ひとつは1945年8月の終戦です。そしてもうひとつは2011年3月11日です。これ以来すべての価値観が変わってしまいました。チベットの人たちもそうだと思うんです」
チベットの場合、1959年の外圧(中国の侵攻)によって、弾圧されるという価値観の大逆転、大転換が起こってしまった。
前作から今作までずいぶんと時間がかかってしまったが、それはご本人ののんびりした性格と、ある種締め切りのようなプレッシャー、外圧がないとできないアーティスト性のためのようだ。話をしていて、けっこうのんびりした方という印象を持った。
岩佐さんの言葉で印象的だったのは、「『なるようにしかならない』ということは、『なるようになる』と同義語だ。そのプロセスがおもしろい」といった意味のことをおっしゃった部分だ。
それはこの作品、ドキュメンタリーというものを普遍的に核心をついた言葉だった。
オロは、現地のスタッフが何人か候補をみつけてくれていたが、結局、岩佐監督が探した少年になった。
ロケハンでみつけたオロだが、そこからどういうストーリーが展開していくのかは、その時点では本人もわからない。「事前にある程度、ストーリーを考えて、それに沿って撮影をしたりするのですか」と尋ねると、「そういうことはまったくしない。淡々と撮影するだけ」との答え。
「あ、ただ冒頭の廊下のようなトンネルのシーンだけは、何度かやってもらって、演出をしました」
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映画。
岩佐さんは、「ドキュメンタリーと(フィクションの、あるいはエンタテインメントの)映画とジャンル分けは考えない。本質的にどちらも映画だ」とも言う。
また、オロがこうして映画になって露出して、万が一中国当局に本人が見つかってしまうとまずいので、名前なども変えている、という。そのあたりは大変ナーヴァスな問題なので、とても気をつけたそうだ。これまでのところ、岩佐監督とスタッフは、中国当局から目を付けられたり、撮影を妨害されたりしたことはないそうだ。
一応、英語の字幕をつけて、海外の映画祭への出品も考えているという。
そして、最後に岩佐監督に「では、10年後に、このオロが20歳くらいになった頃、もう一度、撮影してください」と言うと、「いやいや…。年齢的にもうこれ(今作)でおしまいにしたいです」と笑われた。
しかし、岩佐監督、仕事をしていない時は体調がイマイチすぐれないのに、映画の話をしている時や、撮影の現場へ行くとなると、しゃきっと別人のように変身してしまうそうだ。
(この映画は6月下旬から渋谷ユーロスペースにてロードショー。その後、全国順次公開予定。詳しくは、製作委員会にお問い合わせください)
メインホームページ(準備中)
http://www.olo-tibet.com/
チベットの少年・製作委員会
〒180-0013 東京都武蔵野市西久保3-4-12 スコブル工房内
Eメール tibetoshonen@gmail.com
ファクス 0422-36-06010
なお、岩佐監督は『チベット2002~ダラムサラより』(68分)という作品も出している。
■ チベット関連、チベットから亡命したアーティスト、ヤンチェン・ラモのライヴ
2004/07/06 (Tue)
Watanabe Sadao Blows Theme For Yungchen Lhamo's Voyage To India
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040706.html
資料
岩佐監督の撮影を現地でサポートした方のブログ
2010年06月10日
岩佐監督「チベットの少年」撮影隊の動向
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51463611.html
2010年10月03日
「チベットの少年オロ(仮題)」
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51505063.html
チベットを自由に・学生連合のホームページ
http://www.sftjapan.org/
チベット難民、亡命者を支援。
チベット証言集。亡命しているチベット人のインタヴュー
http://www.lung-ta.org/testimony/ngawang_wangdon.html
チベットからの亡命者の証言。
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