★マイケル・ジャクソンの「愛と哀しみの真実」の意義 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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★マイケル・ジャクソンの「愛と哀しみの真実」の意義

【Michael Jackson's Special On NTV】

意義。

日本テレビで2009年12月16日(水)午後7時56分から2時間にわたって放送された「マイケル・ジャクソン 愛と哀しみの真実」を見た。ちょうど放送中は打ち合わせの最中だったので、終わってから移動中の車を停めて途中から見て、うちに戻ってから改めて録画を見た。

マイケルの無罪、無実のことが、はっきりとわかりやすい形で、テレビで、しかもゴールデンタイムで2時間にわたって放送されたことはとても意義が大きいと思う。郷太くんも言うように、マイケルをよく知る人の間では、すでに既定の事実だが、マイケルを知らないマスコミの人たち、一般の人たちには、よい「教科書」になったのではないだろうか。

特にイヴァン・チャンドラーのあくどさをうまく表現していた。こんなことをやられたら、マイケルに限らず、有名人はひとたまりもないだろう。

それにしても、トーマス・メゼロー弁護士とか、マイケルとか、再現フィルム、けっこう似ている人をキャスティングしているなあ、と感心した。(そんなことはどうでもいいが(笑))

しかし、イヴァン・チャンドラーの死を伝えてないのは、ちょっと片手落ち(片方の手続きに落ち度があること=一部で放送自粛の動きもある言葉)ではないか。

いわゆるマイケルを疑惑の目で見てきたメディアの人たちは、メゼロー弁護士らの言葉を反芻するといい。そして、今までマイケル疑惑を煽ってきたメディアは、それと同じかそれ以上の訂正をしなければならないだろう。

オウムのサリン事件で冤罪となった河野さんの例と同様に、マイケルはまったく予期せぬところから火の粉をかぶってしまったのだ。河野さんは、冤罪が晴れたが、マイケルはなかなか晴れていなかった。この番組をきっかけにそうした雲が取り除かれることを願う。

それにつけても、このイヴァン・チャンドラーのゆすり・たかりに対して、マイケルは示談金を支払うが、これはやはり結果的に大きな判断ミスだったような気がする。マイケルの気持ちはわかるが。この示談の姿勢こそ「It Doesn't Matter Who's Wrong Or Right Just Beat It, Beat It(誰が正しいか、間違っているか、関係ない。ただ逃げろ)」の精神だった。「ビート・イット」の歌詞・歌が、まさかマイケルの身に直接ふりかかるとは、マイケル自身も夢にも思わなかっただろう。また、執念の検事トム・スネドンのあの執念は何なのだろう。そして、2度目のアルビーノ一家からのゆすりのときに、もう逃げないと考えたのも、また、予想だにしなかったはずだ。

ところでこの番組の中では、マイケル・ジャクソンのアーティストとしての素晴らしさとかは一切出てこないが、これは番組制作者が、裁判・ゆすりのところだけにフォーカスしたからなのだろうか。つまり、誰でも知ってる有名人が突然死んだ。そこには複数にわたる不可解な裁判があった。そしてそれはどちらもはめられたものだった。そうしたプレッシャーで、その有名人は死に至った、というストーリーか。

しかし、このストーリーだと、そういう風にマイケルを追いやったアメリカ(加えて世界の)メディアの責任がまったく描かれない。僕はもちろん第一義的にはマイケルをゆすろうとしたイヴァン・チャンドラーが一番悪いと思うが、それを必要以上に伝え、一方、無実の証拠がでてきたときには、それをまったく伝えようとしなかったメディアの責任は巨大だ。

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