こんにちは冨永のむ子です。
愛って何か・・・
突然だけど、ふと思ったこと。
人はそれを知るために
生まれてきたのかもしれないですね。
Loveという言葉が初めて日本に来た時、
日本人は「大切」と訳したそうですが。
でも、
大切にってどういうことなんだろうか・・、。
先日、自分の神話塾で、
長い間ご自分を正解で縛っていた方が、
ご自身を解放し、
ずっと、
他人の神話塾にいたんですーと、
大笑いしながら
おっしゃっていました。
他人の神話塾=現代社会は、
善悪とか正解不正解、
そして優劣のジャッジでいっぱい。
だからそこから抜け出して、
自分の神話を生きるとは、
まずは
自分を大切にする、
正しかろうか、正しくなかろうが、
優れていようが劣っていようが、
というか、
それらは別にそもそも存在しないから・・・。
自分という存在そのものを大切に扱う。
そこができて初めて
世界を大切にできるんだろうな。
でも、
自分を大切にすることと、
自分を甘やかせることは
微妙に・・
というか全然違う。
(それは周囲を大切にする、も同じだけど)
風が冷たいと、
家の中に引きこもっていたら
身体は弱ってしまうように
世間は冷たいと、
自分の殻に閉じこもっていると、
心は弱っていくばかり。
「可愛がること」と
「可哀そうがること」とは紙一重で、
その塩梅が難しいけれど、
体感しない限りは、
その塩梅はわからない。
(塩梅・・梅干しの塩加減は、
なめてみないとわからないですもんね・・)
だから、
可愛い子には旅をさせろという。
可愛い自分も、
旅(行動)をさせてあげよう。
準備を整えて、
自分へ帰る旅へ出かけよう。
旅の途中で
風邪をひいたら、
休めばいいし、
事件が起きたら、
対処すればいい。
宇宙がすべて、
よきにはからってくれているから。
風邪は必要だからひく、
事件は、必要だから起こる。
そして免疫力や
物事を乗り越える力がつく。
それは全て、
自分に還る旅のプロセス。
たくさんの気づきをもらう。
そうか「愛は気づき」なのかな。
気づきを重ねていって、
着こんでいる鎧を
一枚一枚脱ぎ捨てていった時、
あるがままの自分に気づく。
余計なエゴを取り去って、
そこに残るのが、
愛なのかもしれないですね。
全然まだまだよくわからないけど。
あるがままの自分を受け容れるようになると、
周囲に起きるすべてを
あるがまま受け容れ、
大切に感謝に変えられるようになる。
私は未熟なので、
まだまだ全然でいてないけれども。
でも、それはほんとなんだと思う。
だから、
世界のすべては
やっぱり愛(ギフト)なんでしょうね。
まだまだ余計なものだらけで
ダメダメな自分だけれど、
そんな自分も大切にしながら、
それすらもOKして
旅を続けながら、学んでいこうと思う。