こんにちは冨永のむ子です。
散歩しながら桜を拾った。
すぐに両手にいっぱい。
それでもまだ拾おうとしたら、
一輪拾うたびに、
手から一輪零れ落ちていく。
「欲張らないの」
そう言われた気がした。
手のひらいっぱいの桜を見て、
「ビニールあげましょうか?」と
すれ違った
老婦人が声をかけてくれた。
ビニールがあれば
もっと拾えるな・・・。
そう思いつつ
手の中の桜たちを眺めると
「入れないで」
と。
「そこに入ったら
私たちは押し合いへし合い
しわくちゃになるの。
息も吸えないの」
老婦人のお気持ちだけ
ありがたくいただくことに。
家に帰って手の中の桜を水に放った。
十分すぎるほどでした。
自分に必要な食事は、
手のひらにおさまる量で十分とは
アーユルヴェーダの教えだったか。
「もっともっとたくさん」という
人間の欲の成れの果てが今の地球の姿。
欲をかかないように。
手のひらにおさまる量で十分。
桜さんの教えと共に
心のすみにいつも置いておけたらいいな。
必要以上に欲しがらないことは
自分を含めた世界を
本当の意味で豊かにすることだろうから。
桜さん
今年もありがとう。
という教えを受け取ってから
二年が経ちました。
大切な教えをもらったにもかかわらず、
自分にとって必要なもの、
必要な量、
まだよくわかっていない
欲深い自分がいるなあと。
既に十分与えられているとも思っているけれど。
それでももっと欲しくなったり、
満たされない気持ちになったり・・・。
欲しくなる気持ちが
純粋な時は、
多分本当に欲しい時。
それらは自分にとって
本当に必要なもの。
でも、実はそうでもないのに
もっともっとという
満たされない気分の時は、
既に与えられたものに
意識が向けられていない時。
十分与えられているそれらを
自分が能動的に受け取ろうとしていない時、
そうできない時。
もっともっと、という想いそのものが
良い悪いではなくてじゃなくて、
もっともっとの、
エネルギーの向きによるんだなと、
ふと思いました。
エネルギーのベクトルの向き。
もっともっとちょうだいと
外に探しにいったり、
外から奪おうとするのではなくて、
もっともっと
自分から幸せになろうとすることや、
自分から成長しようとすることが
大事なんじゃないかなあと。
遠慮するわけでもなくて。
既にあるものを使って、
もっともっと自分満たす
既に学んでいるものを、
さらに新しい智慧を産みだしていく。
目の前のものを、
幸せに成長するものに変換する力。
幸せセンサーを開き、
創造性を駆使して、
もっともっと幸せになる。
そして、その幸せな気持ちを放出して
もっともっと周囲を幸せにする。
そんな力を、
もっともっと
つけたいと思う。
そんな風に成長できたらいいなあと。
成長した気がしてもしても、
やっぱりまだ何もわかっていない自分がいる。
その自分にがっかりしながら、
進んでいくしかないんだね。
桜さん
今年もありがとう。
天命で起業したいけれど
つい、ぶれてしまうというあなたへ
自分はこのために生まれてきた!
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