2013年の自分がFBにこんなことを書いていました。

 

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チビジャイアン(次男)の汚い靴を洗っていて湧いてきたこと。

 

靴の洗剤のラベルに「真っ白!」とあったけれど、

真っ黒なズックを真っ白にするために、

いったいどれほどの化学物質が入っているんだろう。

 

私はエコに敏感でもないし、

手間を省くために生まれた化学の産物に

いちいち目くじらを立てるつもりはない。

 

けれど不必要に真っ白にするようなものは、

できるだけ取り入れない方がいいんだと思う

 

先日、細胞の健康についてお話を伺う機会があった。

 

私はリクルートにいたころ、

自分で好んで会社に住み込み、

三食コンビニで、ユ〇ケルの一番高い(=強力)のを

最高では一日二本飲んで、徹夜するような生活をしていた。

 

それにもかかわらず大きな病気をすることはなく、

今に至るのは、ベースとなる細胞が健康そのものだからのようだ。
 

以前エサレンマッサージを受けた時、
「こんなに満たされた細胞はめったにない」と

言われたことも思い出した。

 

 

ああ、私は健康なんだ、とあらためて思い、

そして、それは全て私の母のおかげだと気付いた。

 

母は食べるものでに着るものでも殆どが手作りだった。

 

ホームベーカリーなんて無い時代、
子供の好みにあわせてパンやピザは手でこねて、

食べ盛りの子供三人のために、食費を節約する意味でも、

いったい一日に何10個もロールパンを焼いていたことか。

 

学校の帰りに、家のそばまで来ると、

母がパンの種をボールに打ち付けてこねている、

バタンバタンという音がした。

 

 

お店でかわいいバッグや服を指さして「これいいなあ」、

というと、いつも「作ってあげようか」と言われ

(機能は同じでも、見た目は明らかに違うものになる)、
 

そうじゃなくて、これが欲しいの!

バッグが欲しいんじゃなくて、これが買ってもらいたいの!

と悲しくて泣いたことがある。

 

そう、子供の頃には、そんな生活がちょっぴりいやだった。

 

誕生日のケーキの上には

季節のフルーツが乗っているだけだったので、

 

よその家のお店で買った、

人工的な色とりどりのバースデーケーキがうらやましかった。

 

洗濯に漂白剤を使わないので

バレーボールの白いユニフォームが、

私のだけすこし黄ばんでいて、恥ずかしかった。

 

かと思えば突然、

「これからしばらく朝はきな粉だけです」とか、

「一汁一菜でしばらく過ごします」とか、
「今日は断食だからごはんがありません」とか、

 

聞きかじって来る健康情報の多くを実践させられていた。

 

 

食べ盛りの思春期のことで、

「突然なんなんだ」と腹が立ち反抗して、

高校の頃ケンタッキーとコーラを毎日食べたこともあった

(お金が続かずあっという間に終了)

 

でも、その時もいつでも私は健康だったし、

今私はこうして、毎日を健やかに家族に囲まれて生きている。

 

そのことに30年以上たってから感謝できるなんて、

思ってもみなかった。

 

 

そんな母がくれた健康な身体を痛めつけ、

暴飲暴食を繰り返していい気になっていた自分は、

どれほど傲慢だったのだろう。

 

母と同じことはできないけれど、

私も息子たちに、できる限りの健康を与えてあげたい。

 

そして、母がくれた身体に感謝しながら、

大切に維持できるようにしようと思う。

 

さあ、次男の真っ黒なズックを干して、

仕事をはじめよう。

 

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この投稿をした2013年当時は、

 

今ほど化学物質の弊害が語られていなかった気がします。

 

私も当事者意識は薄く、

たまたま母のおかげでケミカルなものを遠ざけ、

エコバック(という名前ができる前から)を使うことが

当たり前だったというだけで、

その一つ一つが、自然環境を思うがゆえの行動や選択ではなかったと思う。

(だから多分真っ白!と書かれた靴用の洗剤を購入していたんだろうし)

 

 

母も似たり寄ったりだと思っていて、

彼女はシンプルに普通に心地よい選択をしてきたのかなと。

 

聞いたわけじゃないけれど、

多分聞いたら、そんなの当たり前でしょ、と一喝され終わりそう。

 

 

母も環境活動家ではなんでもなく

普通の主婦感覚として、

使い捨ての袋はゴミになるしもったいないでしょ、とか、

自然の物の方が気持ちいいでしょ、とか、

手作りの方が安くておいしくて体にいいでしょ、とか。

 

 

そんな感じの感覚で

でもそれが結果として地球と寄り添う生活だったという・・・。

 

 

だからこれからの地球を思った時、

母のように、普通の主婦感覚でいることが大事なことなのかなと。

 

 

それは結果として、地球の未来だけでなく、

自分自身や自分の家族のためにいいことだろうから。

 

 

消費者の一人ひとりの選択が未来を作ることは確かだし、

 

自然治癒力が低下した体になっているのは、

ケミカルなモノを多用したことと全く無関係ではないから、

 

地球を想う暮らしは難しいことではなく、

その一部である自分の体を大切にすることの延長線上にあるのです。

 

 

使命感を持って環境活動に励んでいる方は

もちろん本当に素晴らしい。

 

でも、そういう方々だけでなんとかなる問題ではなく、

 

圧倒的多数である、普通の消費者が、

何を選ぶかがとても大切なこと。

 

気を付けることはイージーでインスタントなものに依存しすぎないことかな。

 

地球を破壊してきた、自分の体を痛めつけてきたことを、

責め裁いたり罪悪感を抱く時間はもったいなくて・・・。

不安の渦に埋もれているのも意味不明だから。

 

それよりも今から、これから、何を選んでいくか

ひとりひとりが自分に問いかけることです。

 

 

消費者がケミカルなものを指示すれば

残念ながら企業はそれを作り続ける。

 

利権で動く人たちは一定数いるので・・・。

 

でもだから、仮に利権で動くことはとめられないとしても、

 

そういう人たちが、当然のように

地球環境を蝕まないものを選ぶような状況になればいいわけで。

 

そのためにできることは、

ひとりひとりにたくさんあるはずです。

 

環境保全のための猛烈な抗議行動も社会へのアンチテーゼとして

必要かもしれません。

 

でも、和を持って尊しとする日本人の中には、

歯をむき出しにして闘うことをしたくない人はたくさんいるでしょう。

 

そしてかつて猛烈に歯をむき出して闘って生きてきた人の中にも、

それだけでは何も生まれないことに気づいているはず。

(私もまあそうですね)

 

 

だから全員がアグレッシブにモノ申す必要はないけれど、

モノ申さない人たちが、事なかれ主義にならないことが大事なんじゃないかと。

 

たんたんと本当に良いと思ったものを選び支持を表明することが

大切なんだと思います。

 

人からどう思われるか、とか、

どうせ私なんか無力だから、とか、

 

というエゴをはらって。

 

コロナ禍を通してやってきた

大きな大きなターニングポイント。

 

未来がどうなるかは、ひとりひとりの意識状態にかかっていますよね。

 

今だけじゃなく緊急事態宣言が解けてからの、普通の生活に戻った時に、

今感じている想いを忘れないことが大事ですよね。

 

みんなでやろう! 当事者意識を持って。

 

この美しい地球に住まわせてもらいましょうよ。

 

 

と、色々湧いてくるので

どんどんアップしていますが、

 

これから家族みんなでホットプレートで

焼きうどんを作るので、そろそろこのへんで。

 

 

 

 

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