昨日、仲良しのママ友と

ランチをしていてスマホの話になった。

 

同時に、別のママ友ともネット越しでスマホの話題。

 

スマホやゲーム中毒に

悩んでいる親をよく見かけるけれど、

 

ある年齢までは親に責任があるんだと思う。

 

 

うちは次男はもちろん

中三の息子にもスマホは持たせていない。

 

多分学校でも数えるくらいなんじゃないかな。

もしかしたらうちの子だけかもしれない。

 

持たせない理由はいくつかあって、

 

一番の理由は、

そもそも必要がないから。

 

とてもシンプルにそう思うから。

 

周囲の殆どが持っている中で、

息子も当然欲しいと言ったけど

 

 

必要がないよね、

というやりとりを、じっくりした結果

 

 

彼もそうだね、と納得し、

諦めもあるかもしれないけれど、

不貞腐れることなく受け入れたし、

 

 

受験中のある日、

スマホなくてよかった、

と言ったこともあった。

 

 

あ・・、

 

行動範囲や、

ライフスタイルによっては、

必要なお子さんもいると思うから、

 

一概に持つこと自体が

NGと言いたいわけじゃない。

 

必要だから与えて、ルールを決めて

中毒にならないように上手に使っている方がもいるだろうし。

 

知り合いのIT系の社長さんで、

教育の観点で意図をもって

あえて持たせている方もいる。

 

 

必要ならば与える。

自然ですよね。それは。

 

 

でも「うちの子」には必要がないから与えない。

 

それだけのこと。

 

 

もちろん不便さはあります。

 

最近は公衆電話が激変したし、

駅のホームで人に行き方を尋ねて、

胡散臭がられることもあるみたい。

 

不便と言えば不便。

 

 

でも、便利であることと必要性とは、

似ているようで全く違う。

 

 

日本は今、

便利と必要性をはき違えて、

人間として大切なものを

失いかけている感じがしてならない。

 

 

不便という理由だけで

あてがうのはお金の無駄だし、

 

それ以上に、

 

自己管理能力が鍛えられる以前の若者や子供に、

やみくもに便利なものを与えてしまったら、

 

育つべき能力を育てる機会を

奪ってしまうと思う。

 

モノに溢れた今、

与えまくることは愛でも何でもない

 

むしろ育児放棄、

ただの怠慢じゃないかとすら思う。

 

・・・

 

思春期の男子が、

知らない人に道や電車の乗り方を尋ねるのは、

ドキドキすることだろうし、

 

公衆電話が見つからずに遅刻して

怒られることや、

 

友達に、スマホないの? と

小ばかにされることもあるだろうけれど。

 

子供ってそういうものも乗り越えて、

たくましくなっていくんだと思う。

 

スマホに限らず・・。

 

私自身も子供の頃に、

殆どものを与えられずに育って、

今はそれが良かったと思ってるので。

 

 

我慢したり、工夫したり、

自分なりに考えたり、カンを働かせたり、

見知らぬ人に話しかけたりすることは、

学校の勉強以上に、生きていく上で大切な学びだと思うから。

 

 

写真と本文は無関係ね。

「富士さーん」と富士山を人だと思って呼びかけていた頃の次男・・・

 

 

災害時うんぬん、も、ごもっともだけど、

災害時にスマホがあったら絶対助かるのかと言ったら、

そんなことはないし、

 

そうやって

恐れを肥大化して武装したらきりがないから・・・

 

そしてそのループが地球環境を壊し、

災害を増やしていることに他ならないと思うから。

 

・・で、話を戻すと、

 

 

スマホに限ったことじゃなく、

子供に何を与えるかは親の責任だからこそ

かけがえのない子供たちに対して、

愛から動きたいと思う。

 

 

子供を信頼し、突き放す。

子供を信頼し、与えすぎない。

 

とても大切なことだと思っています。

 

 

「うちの子だけ●●だとかわいそう」みたいな声を

セッションなどでもプライベートでもたまに耳にします。

 

 

プライベートでは言わないけどさ。

その思考が可哀そうな現実を生むんだよね。

 

 

「可哀そう、という恐れから、

持ち物や習い事をあてがい、

何でも先回りしてやってあげる・・・

 

そうやって「可哀そう」という呪いを

かけて育てたら・・・、

 

 

自分が好きなものがわからなくなり、

「みんな」の言うなりになり、

自分でモノを考えられない

「可哀そう」な大人になってしまう。

 

 

物質的に豊かになった今って、

モノや機会を与えることの方がとっても簡単で楽。

 

可愛いと可哀そうをはき違えて、

 

欲しい欲しい!と、

ねだるものを何でもあてがったり、

 

 

誕生日などに、

やたらちやほやしまくるのも、

個人的には非常に危険だなと思う。

 


子供の気持ちを尊重する、とか、

褒めて育てる、とか、

たくさん愛を与えるとか・・・

 

一見もっともそうだけど、

ただの甘やかしじゃね、って感じのエネルギーもよく見かける。

 

子供と向き合ったり意志をもって躾けるのを

さぼっている口実に感じることがある。

 

 

親がちゃんと考えずに

怠惰さや快楽から子供をちやほやしたら

それはただの怠慢。

 

 

最近は子育てがファッション化してたりもして、

それはとても危険だと思う。

 

 

おもちゃやゲームや洋服などなど、

子供が欲しいというものを、

何でもかんでもあてがったり、

 

 

子供を黙らせるために

お菓子を常に与え続けたり・・・

(それでうちの子ちっとも食べない・・って当たり前やんけ!)

 

 

たいして興味もないけど、

みんなやってるからって、

気まぐれでやりたいと言ったものを

次から次へと習わせたり、

 

 

心配だからという理由だけで、

やたらに塾に通わせたり・・・

 

 

親が仕事で忙しい後ろめたさから

あれもこれも習わせている人も

見かけるけど、そこに愛はある?

 

 

その、ちゃんと考えていない決断の一つ一つが、

我が子のEQ(心の知能指数)の発達を妨げてしまうよ。

 

 

子供って本来、何もなくても楽しく生きられるし、

想像力や知恵を総動員して、

楽しみを創造できる生き物。

 

 

 

だからこそ、

安易に何でもあてがって、

その能力を奪わないようにしたい。

 

 

大人になってから、

その能力があるかないかで、

人生の質が大きく変わると思うから。

 

 

私は子供たちに、生きていく力をつけて欲しいし、

どんな状況でもそれを面白がって

乗り越えられる人間になって欲しいと思う。

 

 

だから親として

必要な時に手を貸して

引き出す努力をしつつ、

 

与えすぎず、先回りしつつ

本人を信頼し突き放しみまっもっていきたいと思う。

 

なんてえらそうに書いてるけど、

 

ちゃんとできているわけじゃないし、

自分の忍耐の無さに

がっかりする時の方が多いダメ母ちゃんです。

 

 

今って、与えないことの方が、

与えることよりもエネルギーを使うから・・・・

 

 

でもそれは同時に私自身の成長の機会だとも思うので、

じっくり取り組む価値があるんじゃないかな。

 

 

息子たちの未来のために、

そして、私たち夫婦も楽しい余生が送れるためにも(笑)

 

粘り強く取り組んでいこうと思う。

 

 

こんなだった次男も、

もう二分の一成人

子育てってほんとあっという間ですね。

 

 

・・と、ふと思ったこと。くどかったかしらね。

お読みくださってありがとうございます。