こんにちは冨永のむ子です、

 

 

9月11日。

2001年の世界を震撼させた

あの事件によって

運命を大きく動かされた人は

たくさんいらっしゃることと思います。

 

いや、正確に言うと、

直接的に運命を動かされた自覚がある方々だけでなく

 

 

実は私たちの誰もが、

目に見えない部分で・・・、

自分が気づかないところで、

あの事件によって(というか、あの事件によってだけでなく、

日々起きるあらゆるできごとによってなのだけれど)

大きく動かされているんだと思います。

 

 

その自覚があってもなくても

関係ないと言えばないのだけれど、

 

自分が生かされている、導かれている自覚があると、

感謝が湧きやすくなる、という意味では、

自覚できることは、それだけで、

とてもありがたいことなのかもしれません。

 

 

16年前の今日。

2001年の911の事件で、

間接的に・・・けれども、

とてつもなく大きく動かされた自覚がある一人として、

そう感じています。

 

 

その年の11月に結婚した私たちは、

 

年末に予定していたニューヨーク経由、

カリブ海への新婚旅行を

断念することを余儀なくされました。

 

 

カリブにかわって渡航先となったのはスリランカでした。

 

 

当時、情報が皆無に近く、

私から見たら地味でぱっとしない国にしか

見えなかったスリランカに行くことになったのは、

 

 

たまたま

父の親友夫妻がそこに駐在したからであり、

 

たまたまモルディブ経由だったからであり

 

仕事の繁忙期で、忙しすぎて、

手配に時間を割くのに嫌気がさしていたから。

 

・・・なのですが、

 

今思うとそれらもすべてはからわれていた。

偶然はやっぱり必然で・・・

 

 

その滞在によって

私の人生は大きく軌道修正されることになりました。

 

 

・・・・なんて書くと、多くの方は、

スリランカで何かドラマティックなメッセージを

受け取ったんじゃないかとか、

そういうことを期待するかもしれないんだけど、

 

 

残念ながら、

期待されるような「啓示」が

あったわけではありません。

 

それは、私のような凡人には、

ってことかもしれないけれど、

 

 

多分、導かれる際のできごとは、

後から振り返って気づくんであって、

 

あからさまな啓示の形でやってくるんじゃない気がします。

 

 

だって、そうしたら

それは神様からの命令になっちゃう・・・

 

でも神様は絶対に命令しない。

あくまで自分の意志を尊重してくれるから。。

 

 

・・話をもとに戻します。

 

 

 

私のもとにやってきたのは、

 

雑貨輸入のビジネスをやろうかな、

っていうアイデアでした。

 

 

輸入の知識は皆無で、

英語だってろくすっぽ話せないくせに、

よくぞと今は思うけれど、

 

 

仕事に疲れ果て、

先が見えない閉塞感をどこかで抱えていた私は、

 

そのアイデアにすがりつき、

リクルートを辞めた。

 

でも、

そのアイデアは魂のミッションじゃなく、

今にいたるための通過点にすぎなかったみたいで・・・。

 

 

挫折し無職となりました。

 

 

顔向けできないほど、多大な方々に迷惑をかけ、

ふりまわし・・・

 

ものすごい時間やお金を使い、

 

いったいなんで会社を辞めたんだろう。

 

無職になった時は、

高給取りだった分、

その後悔は果てしなく・・・・・。

 

 

でも、それも今ではすべてプロセス・

 

 

その後については、

あちこちに書き散らかしていますが、

 

出産や子供の病気、

そしてその事業の挫折、

さらには夫の怪我などなど・・・

 

自分なりの泥沼や紆余曲折を経ながら、

 

 

今こうして天に使ってもらう

魂のミッションを生きている。

 

 

振り返れるようになった今は、

そのすべてが大切でありがたく

愛おしく思える紆余曲折のスタート地点が、

スリランカであり、

 

 

そこに私を向かわたきっかけが

16年前の今日の事件だったのです。

 

 

あの事件がなかったら。。。は考えても意味がないし、

あの事件のおかげ・・と言うには

あまりにも悲惨なできごと。

 

 

でもだからこそ

あの事件によって失われた多くの命に

私は生かされ、活かされていることを、

しっかりと自覚したいと思う。

 

 

きっと誰もが少なからず、

あの事件に何らかの影響・・(自分の顕在意識上では全く自覚できないくらい微細な影響の場合もあるけれど)を受けて、

生かされ、活かされているんだと思う。

 

 

失われた命が戻ることはないし、

その命に寄り添って

今なお癒されない想いを抱えて

生きている方もたくさんいらっしゃるんだと思う。

 

 

そんな中、私にできることは、

あの時の事件をきっかけに

導かれたことを感謝し、

 

自分の命を大切にしながら、目の前を大切に、

与えられたお役目を果たしながら、

 

 

こうして当たり前の日常を暮らせること自体が、

どれほど奇跡に近いことなのか、

本当にありがたいことか、

感謝しながら生きていくことだと思う。

 

 

あらためて、このタイミングで、

生かされ、活かされていることを感謝しつつ、

自分を差し出していきたい。

 

 

お読みくださってありがとうございます。

 

 

というわけで、また。

 

感謝をこめて