今日は長男の13回目の誕生日。
3年前のわたくし、10年前を振り返って
こんなことを書いていました。
・・・・・・・・・・・・
それが、
・・・・・・・・・・・・・
自信満々に見えるのむ子さんにも、
こんな時代があったんだなって
勇気が湧く方がいるかな。
以下あらためて再掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は長男の10歳の誕生日です。
3年前のわたくし、10年前を振り返って
こんなことを書いていました。
・・・・・・・・・・・・
当時、34歳。
いい大人の女性が、
お恥ずかしいったら
ありゃしませんが、
それが、
偏差値の高い有名大学を出て、
人気の大企業で実績を積み、
キャリアウーマンの勝ち組だと
息巻いていた私の
【本当の姿】でした。
・・・・・・・・・・・・・
この、「本当の姿」・・
恥ずかしくって情けない、
ありのままの自分を
認めたところから、
認めたからこそ、
恥ずかしくって情けない、
ありのままの自分を
認めたところから、
認めたからこそ、
私の自分の神話の道、
天に使ってもらう時間が始まったんだなと思います。
こうして3年前の自分の叫びを読み直すと、
まだまだ力が入ってるなあって思うけれど、
天に使ってもらう時間が始まったんだなと思います。
こうして3年前の自分の叫びを読み直すと、
まだまだ力が入ってるなあって思うけれど、
まあそれがその時の本当の自分だから、まあいいかな。
最近は、
講座でも、こういう場でも、
この当時の話を殆どしていませんが、
この当時の私も、
そして、
勝ち組と息巻いていた・・・今の自分から見ると、少々イタい私も、
どれも全部、ありのままの自分。
その色んな私は、
その時間の真っ只中を歩いている時には、
じぐざぐと、ぐるぐると
ちっとも前に進んでいないようでいて、
こうして振り返ると
歩いて来た道は、
すべてがまっすぐ一本につながっている。
それは私だけじゃなく、
誰のどんな人生も実はおんなじ。
この人生の魔法、とも言うべき事実に気づいたら
それを信じて歩いていけばいい。
そうしているうちに、
今も、未来もいつだって大丈夫なんだなってことが
頭じゃなく、お腹の底でわかる。
その時こそいよいよ、
天に使ってもらう本番・・「大天命」の時間が始まるよ。
私の3年前の記事、最近は、
講座でも、こういう場でも、
この当時の話を殆どしていませんが、
この当時の私も、
そして、
勝ち組と息巻いていた・・・今の自分から見ると、少々イタい私も、
どれも全部、ありのままの自分。
その色んな私は、
その時間の真っ只中を歩いている時には、
じぐざぐと、ぐるぐると
ちっとも前に進んでいないようでいて、
こうして振り返ると
歩いて来た道は、
すべてがまっすぐ一本につながっている。
それは私だけじゃなく、
誰のどんな人生も実はおんなじ。
この人生の魔法、とも言うべき事実に気づいたら
それを信じて歩いていけばいい。
そうしているうちに、
今も、未来もいつだって大丈夫なんだなってことが
頭じゃなく、お腹の底でわかる。
その時こそいよいよ、
天に使ってもらう本番・・「大天命」の時間が始まるよ。
自信満々に見えるのむ子さんにも、
こんな時代があったんだなって
勇気が湧く方がいるかな。
以下あらためて再掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は長男の10歳の誕生日です。
10年前の今頃を思うと、
今、ここでこうしていることが、
信じられないし、感謝でいっぱいです。
あらためて息子のことを書かせていただきます。
10年前の今日、
長男は明け方に破水して
予定日より一か月早く生まれてきました。
当時私は、
スリランカの輸入雑貨屋をネットで立ち上げようと
大きなお腹で、
現地への買い付けに行き、
仕入れた商品の撮影だのなんだので、
頭も身体もいっぱいで。
自分の自己実現のことしか
考えていませんでした。
そんな私に宇宙は
息子を通じてメッセージをくださったのです。
月足らずで生まれてきた息子は、
食道裂肛ヘルニアという、
病気を持ってやってきて、
母乳を飲んでも飲んでも、
噴水のように戻してしまいました。
横にすると、
戻してしまうし、
オンブもダメ、
抱っこひももダメで
24時間素手で抱っこして、
ソファで横になって、お腹に抱えて眠り、
料理もオムツを洗うのも何もかも、
片手でした。
あの頃いったいどうやって
料理していたんだろうと思うけど、
すべて片手で、
なんとかなりました。
片手があるだけでも
ありがたいことなんですよねえ。
今ふりかえると、
長男はお腹の中にいたころ、
私と一体感を持てなかったことが
さびしかったんじゃないかな、
だから、
身体を離したくなかったじゃ
ないかな。
そして、
私に母親としての
自覚と実感を与えるために、
身体を張って訴えてくれたんですね。
けれど当時の私は、
そんなメッセージに気づくことなく、
そんな状態になっても、
ネットショップを立ち上げようと、
片手でパソコンに向かっておりました。
リクルートを退職したプライドもあったし、
協力してくれた人への負い目もあったし、
何よりも
働かない自分は価値が無いという、
恐怖にとり付かれていたんですね。
肩書や仕事を持たない自分、
ありのままの自分を
認めることができていませんでした。
そんな私に、
さらに息子は
大きな大きなメッセージをくれました。
息子と何度も入院する中で、
ビジネスをあきらめるしかなく、
その頃、夫は接待の多い部署にいたので、
帰宅は午前様で
対話どころか会話も殆どなく、
眼をあわせれば喧嘩。
その頃は、
うらみつらみばっかりで、
自分が世界で一番可哀そうで、
みんな大嫌いでした。
毎日毎日、
やっぱりリクルート辞めなきゃよかったとか、
買い付けにいかなければ、とか、
過去をふりかえってくよくよし、
また、この先自分はどうなるんだろうかと、
未来のことばっかり憂いで
毎日毎日泣いていました。
全ては夫のせいだと、
まったくもって意味不明の怒りで
身体をふるわせ、
いくら慰謝料をふんだくって離婚しようかとか、
ばかりを考え、
両親や友人が
よかれと思ってアドバイスしてくれたことに対し、
「あんたたちに私の気持ちなんかわからない」
と心のシャッターをぴしゃり閉じて・・。
当時、34歳。
いい大人の女性が、
お恥ずかしいったら
ありゃしませんが、
それが、
偏差値の高い有名大学を出て、
人気の大企業で実績を積み、
キャリアウーマンの勝ち組だと
息巻いていた私の
本当の姿でした。
でも、
その真の自分を見た時こそが、
ターニングポイント。
こんなになにもかもがうまくいかないって、
どういうことだろう?
私に何か問題があるんじゃないの?
という感覚になって、
そして、
ならばもう、どうとでもなれ、
っていう気持ちになったんですね。
今思うと、
それは運命に身を明け渡した感覚。
そうして、
目の前の赤ん坊の息子を見ていたら、
「ママ、今幸せ?」
って言ったような気がしたんです。
「幸せ」という言葉は、
私の辞書の中にはなかったみたい。
私の辞書に連なっていた言葉は、
成功とか成長とか、自己実現とか、
評価とか、世間体とか、収入とか、
プライドとか、努力とか正義とか、
根性とか気合いとか、
未来とか実績とか、正しいかどうかとか、
そんなんばっかの他人の神話にまみれた、
むちゃくちゃ上昇思考。(苦しい~)
自力の極み・・・・。
で、
長男を通じて、
突然やってきたその問いに、私は
「あたしちっとも幸せじゃないよ~」って、
ぽろぽろ泣いたんです。
で、
いま目の前の現実を生きるようにした。
目の前の子どもの顔を眺めて、
その日のその瞬間のことだけを考えて、
今日もおっぱいをちゃんと飲み終えた息子を見て、
一時間たっても戻さなかったら、
そのことに感謝し。
二時間たっても戻さなかったら、
えらいね~と感動し。
助けてくれる両親に感謝し、
働いてくれている夫に感謝し
(その頃はまだ言葉では言えなかったけど)
一歩歩けたらほめたたえ・・、
10歩歩けたら抱き合って万歳し、
そうやって、日々の小さな奇蹟に感謝していたら、
奇蹟がどんどんやってきて、
人生が少しずつ動き出しました。
まず、
毎月通っていた、
子供医療センターの先生が、
身体を鍛えた方がいいから、
この子を保育園に入れなさいとおっしゃり、
こんなダメ母の私でも、そして子供が病気でも、
働いてもいいんだ、って
それだけで嬉しくて泣きました。
そうは行っても、
働く先はないし、待機児童問題もあって、
無職の私が保育園に
子供を入れる手立ては全くなかったのですが、
とりあえずハローワークに行ってみようと、
出掛けたその日の帰り道、
リクルートの先輩から、
電話がかかってきて、
「どうしてるの?保育園の書類書いてあげるから、
仕事しない?」って声をかけてもらって、
保育園問題と、
仕事先が同時に解決。
今思うと、
病気の子供を
受け容れてもらえることもすごいことで、
感謝でいっぱいです。
そうやって、
働かせてもらいながら、
働けること自体、
そしてお金をもらえることに
嬉しくてうかれた気分になったことも
あったのですが、
病気の子供を預けているんだから、
お金のためだけでなく、
意味のある働き方をしなくては、と思い、
自分を少しずつ棚卸していたら、
以前、お伝えしたような
大地のビジョンを受け取り、
※まだの方、こちらをどうぞ。
そこから先、
本当に大きな大きな見えざる手に導かれるようにして、
今に至ります。
息子は、何年もの間、
多い時には、
一日10回くらい戻していて、
治療法はなく、
対処として手術するかどうか、
見極めるために通院していたのですが、
私が、自分の在り方を整え、
夫婦で自分たちの生き方を見直していく中、
保育園の先生をはじめとする
周囲の方々のおかげで、
息子も少しずつ体力がつき、
一生つきあっていく病気で、
ドッジボールも、
鉄棒もできないかもしれないと
言われていたのに、
3年前の11月に、
先生から完治と告げられ、
小学4年生になった今は
サッカー少年になりました。
ここまでのこの話は、
苦労したと言わんばかりに
聞こえるかもしれませんが、
あの24時間抱っこしていた時間は、
私たち夫婦が
生き方に軌道修正をはかるための
メッセージで、
実は、苦労でもなんでもなくて、
世の中にはもっともっと
すさまじい苦労がたくさんある。
両腕があれば、
抱っこして家事ができるし、
当たり前に健康で家があって、仕事があって、
家族がいて、
そういったことが、どれだけありがたいことか。
私はあの経験で知ることができました。
そして、
そういう一つ一つの
小さな幸せへの感謝の積み重ねが、
奇蹟を呼び起こすこともわかった。
だから、あの時間は
何よりも大切なギフトだったのです。
私たち夫婦は、
たくさんの奇蹟を体験し、
今こうやって、
幸運の流れに乗るためのサポートをしていて、
シンクロや引き寄せをおこすための、
テクニックや、
霊的成長を促す方法は
もちろんたくさんあるけれど、
短期的な欲望を満たす
結果を引き寄せるのではなく、
本当に天に使ってもらいながら、
魂のミッションを果たし続けるために、
何よりも効果的で、
一番大切なことは、
当たり前のことに感謝して、
今できることを一つ一つ積み重ねていくことなんだと、
誰にでもできて、
だからこそ難しく、
素晴らしい魔法。
それが感謝です。
今日は、運動会の振替休日で、
これから二人で遊園地に行きます。
天がくれた平日のお休みの誕生日に感謝して、
今日というよき日を心から感謝し、
楽しんでまいります。
みなさんのもとにも、
たくさんの宇宙の恩寵が舞い降りてきますように。
今日は、いつにもまして、
長くなってしまいましたが、
ここまで読んで下さったこと、
本当にありがとうございます。
感謝をこめて
天から与えられた使命を生きる
天から与えられた使命を生きる