陸上400メートルハードルの為末大選手の
負けを生かす技術 より


編集や構成を手掛けた知り合いのライターさんが
FBで紹介していらして、

帯に
あった
「失敗をプロセスに組み込め」という言葉が、
いいなと思って、コメントしたら、

お返事にいただいたのは、こんな言葉でした

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アスリートは、
実はたくさん「負け」を
経験しているのです。
「勝ち」続けられる人は
いませんので。
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アスリートに限らず、人生が豊かな人は、
たくさんの負け(失敗)を経験している人。


為末選手の本には、人生を豊かにするための、
知恵がつまっていました。

「何が成功で、何が失敗なのかは、実はわからない」
という見出しで始まった第一章。

2000年に初めてのオリンピックで、
決勝出場を目標にのぞんだ22歳の為末選手は、
最初の予選でまさかの転倒。

その大きな「失敗」について書かれた箇所の
一部を紹介します。

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(転倒から)立ち上がり、
観客の哀れみの拍手を受けながら走った。
結果は、その組の8位。
日本から、メダルを期待して
応援に来てくれた人もたくさんいた。

それが、
目の前でのまさかの一次予選敗退。
取材も上の空だった。
帰国後もしばらく、気持ちの切り替えができなかった。
自分に本当に落胆した。

しかし、あのシドニーでの転倒がなかったら、
僕は後のエドモントン、
ヘルシンキの2つの世界陸上で、
銅メダルを獲ることができなかったと断言できる。

中略

シドニーは確かに失敗だった、
しかし、あれは本当の意味での失敗だったのか、
と僕は後に問い続けることになる。

何が失敗で、何が成功なのかは、
実は長い人生においては、
わからないのではないか。

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まさに、シドニーの失敗は、
為末選手に自分の神様がもたらした暗号

ちゃんと解読したからこそ、
日本人初の陸上ダブルメダリストとになったのですよね。


為末選手の本は、
アスリートとして勝つということではなく、
自分の神話を生きる奥義の宝庫でした。ぜひ読んでください!


陸上競技と違い、
人生で何が勝ちで何が負けかは、元来不明確ですが、

「勝ち」をあえて定義するなら、

「自分に勝つこと」ではないか。

恥ずかしいとか、失敗したらとか、
どうせむりとか、
そういった、「他人の神話」にまみれそうな自分や、
冨や名誉に対して際限なく押し寄せる欲望。

そんな恐れや疑いや欲と、がっつり向き合って、
受け容れることで、やがて葛藤を克服し、

自分の神様を信頼して生きていく。

ハードルの第一人者である為末選手は、
トラックの上だけでなく、
人生の失敗という名のハードルを
一つ一つ乗り越え、自分に打ち勝ちながら、
人生を豊かに創造しているんですね。

私も、目の前にやってくるハードルを軽々と飛び越えられるよう、
小さな失敗や負けをたくさん味わいながら、
心の筋肉を鍛えていきたいと思います。

自分の神話の歩き方 5月7日配信号