こんにちは、冨永のむ子です。

先週は、徳島の聖地へ行ってきました、
天岩戸や、卑弥呼が祈祷した天寓岩。

言葉に尽くせない、時間を過ごさせていただきました。

帰ってからも、毎日打ち合わせやセッションで想いをシェアし、
また気づきが深まる時間を過ごさせていただいています。
感謝です。

この場で神秘体験を語っても、お役にたてる感じがしないので、

今回の旅で思い出させていただいた歌をご紹介します。

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「風に立つライオン」

作詞作曲さだまさし

突然の手紙には驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう

ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥ヶ渕で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷(ふるさと)ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です

三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね

去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます
去年は僕でした
闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川

診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい

くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最后になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています

おめでとう さよなら

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この歌のモデルは、
実在する外科執刀医
柴田紘一郎先生
(現介護老人施設 
サンヒルきよたけ施設長、元宮崎県立日南病院長)

この歌は、

小さいころにシュバイツアーに憧れ医師となった柴田先生が、
長崎大学医学部の時に海外青年協力隊として
本当にケニアに3年間巡回医療された時に

日本に残してきた恋人から届いた結婚報告の手紙に
返信する形で書かれています。
 
この歌について、
さだまさしさんが、寄せた言葉も見つけたので、
その一部もご紹介します。

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彼は極めて優秀な外科執刀医である。
故に人の生命に対して敏感である。

人々の生と死の間の戦いを共に戦うのだと彼は言う。
仮に助かってもそれは医師が助けるのではなく
神様が助けるのだと彼はまじめな顔で言う。
駄目な時もある

その度に、現代医学では絶対に無理だとわかっていても
自分以外の誰かが執刀したら、
もしかして助かったのではないかと悔やむ人なのだ。
 
もしも彼が言うように、
人が助けるのではなく神が助けるというのなら
もしかしたら、彼は天使ではないかと思うことがある。
それに彼は優しく温かい。
 
『僕はのたれ死ぬとです』
彼は酔いが回るとそうつぶやく。
生命の尊厳と常に対峙しているからこそ、
神の領域に挑む不遜さを知っている。

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いかがでしょうか。

わかったようなことは何も言えません。

ただ、私も、今を生きることに思い上がらず、
神の領域に挑む不遜さをわきまえながら、

今を大切に、私は私の神話を生きたいと、

あらためて思ったしだいです。

「風に向かって立つライオン」は、誰もが感動するはず、
こちらぜひどうぞ。




人間って素晴らしいと、女神様に出会って、
あらためて感じさせてもらえることがありがたい~。

読んでくださってありがとうございます


読んでくださるみなさんのおかげで、
私は自分の想いを確認させていただいています。

感謝をこめて