被災されてもなお、
天を恨まず、と語り、
日本中に勇気を与えてくれた、

当時中学3年生の 
梶原裕太さんの卒業式の答辞を
シェアさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 


動画はダイジェスト版になったもので
残っているのがありました。
http://p.tl/vKn3

以下は答辞全文

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ちょうど 十日前の三月十二日
春を思わせる暖かな日でした

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を
希望に胸を膨らませ 通いなれたこの学舎を
57名揃って 巣立つはずでした

前日の十一日 ひと足早く渡された思い出のたくさんつまった
アルバムを開き

十数時間後の卒業式に思いをはせた友もいたことでしょう

「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こることも
知らずに・・・・・

階上中学校といえば「防災教育」ともいわれ、
内外から高く評価され
十分な訓練もしていた 私たちでした
しかし自然の驚異の前には、
人間の力は あまりにも無力で
私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました

天が与えた試練というには、惨すぎるものでした。
つらくて、悔しくてたまりません

時計の針は 14時46分を指したままです。
でも時は確実に流れています。

生かされた者として、顔を上げ、
常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、
たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには大きすぎる代償でした。

しかし 苦境にあっても、
天を憎まず
運命に耐え 
助け合って生きていくことが
これからの私たちの使命です

私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します
どこにいても、何をしていようとも、
この地で、仲間と共有した
時を忘れず宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、
階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える
日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、
いとおしんで
ください。

先生方、親身のご指導、ありがとうございました。
先生方が、いかに私たちを思ってくださっていたか、
今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、
ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、
これから私たちが
歩んでいく姿を見守っていて下さい。
必ず、よき社会人に
なります。

私は、この階上中学校の生徒でいられたことを
誇りに思います。


最後に、本当に、
本当に、ありがとうございました。

平成二十三年 三月 二十二日

第64回卒業生代表  梶原裕太

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九州の久留米で、
経営していた町工場が火事になったことから、
自暴自棄で暮らしていた50代の男性が、

この答辞をニュースで見て、
こんなむごい目にあっても、
天を恨まずと必死で生きようとしているのに、
自分は・・・と、人生をやり直し、

経営が回復し、
その後復興支援の活動を始めたという話を聞きました。

(記憶をたどった中でなので、
事実と少し違うかもしれませんが)

日本中に勇気を与えてくれた
梶原裕太さんは、

卒業後は、理系の高等専門学校へ進み、
地震を未然に感知するシステムを
開発しようとされていると聞きました。

どんなに酷い目にあっても、

自分の身に降りかかることを、
どう変えるかは自分しだいなんだなと、
全身全霊から教えていただいた気がします。
ありがとうございます。

天に召された命と、
今なお被災地でがんばっている東北のみなさんが
一日も早く当たり前の日常に戻れる日が来ることをお祈りします。

私も今の自分ができる社会貢献のために、
命を使っていきたいと、あらためて思います。

感謝をこめて