本日お披露目するのは、
私の夫であり、パーソナルクレド舎代表である 
冨永浩志の神話です。



 いつも乾いていた水のお話です。



極東の伊都の国、健康と哲学との間に生まれたその水は、
なぜかいつも乾いていた。


山間の隙間を器用に流れる他の水を羨ましく思いつつも、
岩にぶつかっても突き進もうとはせず、


静かな泉となって周りの輝きを静かに映し出しているか、
無難に淡々と流れているかで・・


生き方や考え方に悩んでも、水は水でしかなく、
自然に従って生きるだけ、
全てはなるようにしかならないと、
つとめて涼やかだった。



ある時水は、負けん気の強い少年の涙になった。
涙を流すなんてかっこ悪いと、
水は自らが迸るのを抑えた。


ある時水は、汗になった。
苦しくとも辛くとも負けずに
必死で働く体を感じた時水は
全身から迸る自らを止めることができなかった。
汗を流してがんばることは、悪くない。密かにそう思った。


そんな想いを持って、
同じように汗となり溢れだす水と交わりながらも、


水は沈黙の中に閉じ込もったまま、
涙や想いはつとめて外に出そうとはせずに、
相変わらずたんたんと流れていた。


そうしていれば、弱さも脆さも見破られることは無いと、
岩を打ち砕く波になろうとはしなかった。


流れに流れてある時、水は大平原へ辿りついた。


なぜか居心地がよかったので、
水は大地のそばにいることにした。
乾いていた大地と水がぶつかりあうと、
地響きとともに山が生まれた。


山には水が必要なんだろう、
そう感じた水は山に入っていった。


そこには痩せこけた仙人が待っていた。


仙人は水をじっと睨みつけ、そして言った。


己の志を真に感じるために、
自らをさらけ出し、愚かさを認め、
その自分を心から受け容れなくてはならぬ。


葛藤と愛にまみれる自分を喜ぶことじゃ。


そこを避ければ、そなたは永遠に乾いた水のまま。
そこを超えれば、大いなる使命を生きることができる。


仙人の声から起きる地響きに
魂を揺さぶられながら、水は考えた。
健康について、哲学について、そして大地について、
大地によって生まれた山について、
そしてこれからの航路について・・


そして何よりも自らの命について・・・・。


どのくらいの時間がたったのか。
堅く閉ざされていた水門が開いたかのように、
さまざまな気持ちが、一気にあふれ出てきた。


ごめんなさいという気持ち、
許してくださいという気持ち
ありがとうという気持ち、そして最後に、
愛していますという気持ち・・・


たくさんの想いが湧きあがり、
やがて水は涙の洪水となり、
やがてそこには大いなる海があらわれた。
どこかから仙人の声がした。


ようやく真の姿で生きる覚悟ができたようじゃな。


そなたがそのお役目を果たす時、心得るべきことだけを言う。
二度と元に戻るでないぞ。


いいか、よく聞くのじゃ、


何度も何度も崩れてもなお、
打ち寄せる勇気を持つこと。


砕け散る波や波紋を隠さないこと。

万物を受け止め、
その生を生かすこと。


そのために大地を真剣に揺さぶり、
一人ひとりの命の鼓動とつながり合うこと。


その奥底に、剛い“気”を抱きながらも、
柔らかく平らな水平線を描きなさい。


正直に愚直に、
自然とともにありなさい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大いなる海となった水はもはや
さらさらと流れるだけの自分でいようとは思わなかった。


あらゆる命の前で海は平らかで悠々とあろうとした。


海は気がつくと、
想いをさらけ出す心地よさを知った。


本当に大切なことは、
ありのままであること・・・。


海は宇宙の流れに従って、
時に激しく、時に優しく、
ざぶんざぶんと大地を揺さぶる。


そんな海の輝きの前に、
人はその弱さも本音もさらけ出し、
生まれたままの姿で輝くようになる。




あらゆる想いを受け止め輝かせる大いなる海 
冨永浩志さん それがあなたです。


宇宙の采配により共に生きる魂を持ったことに感謝して
2012年3月31日 冨永のむ子
 
 
株式会社パーソナルクレド舎は、この7月で一周年を迎えました。

思えば3年前は、彼は単身赴任で、仙台にいました。
その前の3年間は、久留米にいました。
その前の2年間は、新潟にいました。

彼はリクルートでタウンワークの版元長や編集長をしていたからです。

社会人としての神話を生きていながらも、
そもそも自分にしかできないことしかしない、と決めている人なので、
その中では比較的自分の神話を生きていた人でした。
版元長の仕事は、一国一城の主的な仕事で、とても楽しかったようでした。 

私は私で、子育てをしながら、
自分のペースでパーソナルクレドを作っていました。

亭主元気で留守がいい状態で、お互いに好きなことをしていた。

それが、気がつくと、
お互いの神話が響き合って、夫婦の神話になって、

今は仕事も一緒、家事も育児も一緒。

退職して戻ってきた当初は、
ずっと一緒なんて耐えられるかしらと、自分たちも思ったのですが、

3年前には全く想像がつかなかった、とても幸せな今があります。
長男を生んだ当初は、いつ離婚しようかと、毎日考えていましたけれど、

今は私は何があっても、この人と一緒に生きていこうと心から思っています。

自分の神話を生きると、大切な人と繋がれる。ゆるぎない愛情で満たされた感覚になる。
これはたくさんの奇跡のような体験を経て、私が心から感じていることです。

あなたもぜひ、ゆるぎない愛情で自分を満たすために、

自分の神話を生きてくださいね。