神々の列に・・・という記事を書きましたが、

今日は、私の神様の言葉を。

ブルータス4月15日号の「今日の糸井重里」にあった言葉、

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行きたい方向を見る。

どうなりたいんだっていう目的は、「視線」が定まるから重要なんですよね。

一本橋を渡る時も、足元を見ていたら絶対に渡れないんです。

視線を遠くにしておけば渡れます。

漠然とでも、どっちに行きたいんだっていうことを、夢って名づけなくても、

僕は視線の話だと思えばいいと思う。

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今の自分がメシを食えているのは、一年前の自分のおかげだっていうことがわかった。

という前置きの後の言葉。

視線をはるか向こうにこらしながら、

その時その時の足元をしっかりふみしめていると、

一年後の自分は、思い描いたものに近づくんじゃないかと。

糸井重里さんは、私にとっては、

谷川俊太郎さんと並ぶ、言葉の神様。

「ととろのめいちゃんと五月ちゃんのお父さんという人もいそうですが・・・」

はるかかなたの、神様たちがいらっしゃる方角をむいて、

今日も足をふみしめて歩いて行きたいと思います。

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