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北朝鮮の韓国への砲撃のニュースに、

心を痛めている方、多いと思います。

ひどい国だ、と思うと思います。

私もそう思いながら、

人はなぜ人を攻撃するのだろうか、という問いと向かいあった時、

私も同じことをしていたんじゃないかと思ったのです。

人と争い、相手を攻撃し自分も傷ついていた、

30歳くらい前の一番最悪な状況だっと自分を振り返って、

相手を攻撃していた理由を考えると、そこには、

自信の無さと、愛に対する不信感がありました。


自分を見てほしい、


人の注目をあびたい、

自分の存在を知ってほしい、


自分がどうしたらいいかわからない、

認めてほしい、


あるいは、

もっと優しくしてほしい、

愛されたい、

大切に扱われたい、


心の中にあるのはそんな気持ちの切れ端・・

人に認めてほしいのは、
自分を信頼できていないから、

優しくしてほしいと思うのは、
家族や周囲からの愛情を信じられない自分がいたから、

だから、それがほしくて、自分を守りたくて、

人を攻撃するしかなかった自分がいました。


以前、友人の結婚式で、教会の神父さまから、

「愛は意志であり、表現であると」いうお話を聞いた私、

自分に都合よく我が意を得たりと解釈し、

私は夫に、自分は愛情を表現するから、

あなたもそうするように、ということを伝えました。

大切に思っていることを言葉にしてほしかったんだと思います。

でも、夫は私のように饒舌に愛を押しうるタイプではないので、

もちろん愛情をあからさまに表現することはできません。

今思うと、だから愛情が無いとか、

彼が優しくないということではないのに、

私は、あなたは冷たいとか、もっと大切にしてほしいということを望み、

彼を攻撃していたのです(いまも、うっかり爆弾投下することもあります)

幼い頃には、母親に、大人になってからは夫に、

もっと愛をくれと、ちょうだいちょうだい病。

誰だって愛されたい、でも怖い。愛して愛を失うことでしょうか?
その気持ちが繁殖し、人は人を攻撃し戦いが生まれる。

でも戦いからは何も生まれないんです。

本当に満ち足りた気持ちになるためには、

他者から何かを得ようとしても得られるものはなく、

自分を信じることしかない。

自分のつたない経験からしか語れませんが、

それは真実だと思います。

自分を信じる、そして自分に向けられている愛を信じる。

そうやって満ち足りた心が得られたら
人は人を攻撃する必要ない。

心からそう信じています。

だからもし、あなたが、ついつい人を攻撃したい気持ちになってしまう時には、

自分の存在を信じてください。

心の奥底にあるさびしい気持ちや、悲しい気持ち、

言ってやりたい気持ちは・・、相手に対する愛情と、自分への愛情だと信じてください。

そして自分と相手の幸せを祈ってください。

逆に、もしもあなたが、誰かから攻撃を受けてしまったとしたら、

攻撃をしかけてきた相手はさびしい気持ちがあり、その裏には愛があるはずです。

あなたが悲しく思う気持ちと一緒にでかまわないから、

氷のつぶてを投げてきた相手の心にある愛を信じてあげてください。

すぐには伝わらないかもしれない、ひょっとしたら今生では無理かもしれない、

でも、少なくともあなたの心は穏やかになり、いつしか必ず相手にも伝わる光を放つと思います。


北朝鮮の砲撃のような大きな規模のものは、すぐに解決しないかもしれないし、

自分たちを守るために人の命を搾取していいということではありません。

でも、できるだけ早く世界中が平和になるために、今の私にできるのは、

爆撃を受けた方々の安否を祈ると同時に、

攻撃した相手の、荒れ狂う心が静まるように祈ることしかありません。

みなさんもどうぞよかったら祈ってください。

一人の祈りはただのお願いごとだけど、みんなで祈ると実現すると思うのです。

突然すみません。

心が書けといったので、自分のために

そして世界の平和のためにと思い記しておこうと思います。

今日という一日が、みなさんの心に平穏をもたらす日でありますように。

ありがとうございます。全ての方に感謝です。

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