
タイトルがヘビーなので、まずは緑の写真でも(笑)。
セッションルーム兼自宅から徒歩1分の公園。
息子がサッカーを始めたので、二人でよく練習(?)
インスピレーションをいただく場所でもあります。
さて、自然の流れに逆らわず、
イメージコンサルタントの資格を取ったものの、
自分の納得のいく形で提案するにはなんだか足りない気がして、
試行錯誤しながら、講師の仕事でばたばたと過ごす毎日が続きました。
その頃にちょうど、コーチングのコースも進んでいたので、
クライアントになって下さった方々にお願いして、
さまざまなことを試す時間でもあり、
そして実は、自分の内面と深く向き合う時間だったのでした。
子供の頃に母親との折り合いが悪いこと、そこから生まれた卑屈な自分。
デカイ女の子として、外見にコンプレックスがあった自分。
がんばり過ぎたディレクター時代のこと。
産後うつになって泣いてばかりいた頃のこと。
単身赴任中の夫との、距離感。
そういった、自分の内面にある、ドロドロしたものや、
その原因、さまざまな出来事、
それらを通ってたどり着いた現在の場所を、
常に思い返して考えていました。
これまでふたをしていた、
パンドラの箱を開けた気分・・・
そして、私の人生の目覚まし時計が鳴ったのは、この時でした。
※人生の目覚まし時計については、
こちらをご覧ください。
それは、コーチングのコースの中での学びでした。
自分がどうしてもともにいられないもの、に、
あえてじっくりむきあってみるような時間を持ちました。
どういう手順だったかは、記憶があいまいですが、
自分の中の汚いもの、闇の部分にむきあう時間の中で、
気がついたのは、
自分が否定させることがとにかく怖かった自分がいたこと。
本当の自分に自信が無いから、
人からどう見られるかばかりをとにかく気にしていた自分。
自分の在り方を無視して、
必死で自分を大きく見せていた自分。
そこに気がついたら、
これまで生きてきた中で、
うまくいかなかった出来事の全て合点がいきました。
ありのままの自分でいれば、
全てがうまくいくんだなあ・・・。
やたら納得感を持った瞬間があり、
その後、自分をものに例えて表現するワークがありました。
自分らしい心のありようを表現するもの・・・、
考えるというより、そこをひたすら感じるイメージ。。。
すると、アフリカの大地が浮かんできました。
草がたなびく赤茶色の世界、
野生動物が生態系に従って生きている場所。
風が吹き、雲が流れ、雨が降り、
自然の掟の中で、時間が流れていく感じがしました。
そして、そこには、
美しい景色と、残酷な自然の掟が当たり前に同居していました。
・・・
ワークのパートナーになったMさんの、話してもいいんだよ、という佇まいに安心したのか、
うまいこと言おうとか、おかしな人だと思われないかなとか、
そんなことはどこかに行ってしまい、
頭の中で浮かび上がる映像について、
ひたすら考え、言葉にしておりました。
すると、ある時、
「ああ、そういうことなんだ」
という想いが自分の中にこみあげてきたのでした。
雄大で美しい大地には、生き物の糞や屍も、当たり前に存在する。
それを無視して生きようとしていたから、
苦しかったんだろうなと。
これまでの自分は、きれいなところばっかり大切にして、
自分の中の負の部分を、必死に覆い隠して、
人から受ける負のエネルギーを、なかったことにして、
うまくやろうと思っていた
もちろん、わざわざ
うまくやろうと思っていたわけじゃなく、無意識にだけれど。
そうやって生きていたから、
それらがすべて、心のどこかに澱のように溜り、
自分らしくあることから逃げていた。
そんな気がしたのでした。
現在の私のパーソナルクレドとなった、
「全てを受け容れ育む大地」というのは、
この日に自分が宣言した自分のキャッチフレーズなのでした。
この一連のコーチングのコースを修了した時。
当たり前だけど、クレドを書こうと思って書いたわけではなく、
自分の中に湧きあがった言葉や想いを記録するために書き、
一緒に修了した仲間のみんなにシェアをした、
自分の軸となる自分の物語(私の場合は詩でしたが)
まさかそれが数年後に、
パーソナルクレドという形で
世の中に出ていくなんてことは、
その頃に自分は全く思っていませんでした。

こちらは、長谷寺の木々。
疲れ目には緑かなと・・・・。