はい。昨日に引き続き、「私の履歴書」でございます。
先輩から声をかけてもらったことで、
息子を保育園に預け、
リクルートで研修講師の仕事を
することになりました。
内容は、ディレクター時代に学んだ、
クリエイティブに関して。
よくわかっていた(つもりの)内容だったし、
社内で勉強会をよく企画していたこともあり、
密かに、楽勝~!と思っておりました。
じゃがしかし・・・、そんな自分は甘かった。
2年以上、現場はおろか、社会からも隔絶した生活をしていた私。
ビジネスの脳味噌がすっかりさびついていたのです。
これまで当たり前にできていたことが、
やたらに時間がかかる。
会議に参加しても、即座に反応ができない。
おかしい・・・、おかしいな・・・
久々にスポーツをして、
昔と同じように動いたけど、できなかった感覚と全く同じ。
こんなはずじゃないっ。
超焦りました。
スカウトして下さった先輩も、
かなーりびっくりしたはず・・。
そして、元来器用ではなく、
できないことは時間をかけてクリアするタイプだったのだけど、
子供が小さいから、時間もない。。
しかも、その年は、年俸で契約をしたので、
期待通りの成果が出せなくても、
報酬が自動的に入ってきてしまう・・・。
性格的にこれが実は、
相当なプレッシャーでした。
だんだん無口になったりもして・・・。
しかも、職場に復帰したニュースを知って、
他の方から別の仕事の依頼も舞い込むんです。
ありがたいことと感謝だけして、
本来ならきちんと事情を話して断るべきだったのだけど、
当時の私は、
またぷー太郎に戻りたくない、という不安から、
断ることもできず、引き受けてしまう。。。
結果、またしてもがんじがらめです。
しかも、サラリーマン時代と違って、
来た仕事を受ければ受けるほど、
儲かる立場になると、
セコかった私は
断るのがもったいなくもなり、
時間の奴隷だけでなく、お金の奴隷にまでなり下がりました・・。
魂のかけらも無い仕事っぷりでした。
あたしっていったいなんなんだ・・・・。
そんな私を見かねてか、
スカウトしてくれた先輩からは、
「今のあなたはお金のためだけに
仕事をしているようにしか思えない」と・・・・
・・・おっしゃる通りでした。
そう指摘され、
図星だ!やばいっと深く反省・・。
・・・・でも、でもね。
正直に告白すると、
実は、そこには彼女が知らない
別の働く意味というか、
モチベーションもあったのでした。
久々に子供と離れて社会に出て数か月、
気がついたらうつ状態はすっかり回復していました。
夫いわく、外に出たのがよかったんだね、とのことでしたが、
それだけじゃない。
何が私の気分を変えたかって、
それは服でした。
子育てだけをしていた時は、
息子の嘔吐に対応するために、
いつでもどこでも、汚れてもいい服。
ひどい時は、
上下カッパのようなものを着て過ごしてました。
もともと洋服好きだったこともあり、
無意識だったけど、好きな服が着られないことは、
そうとう堪えていたようで・・・。
なので、その反動で、復帰した一年は、
とにかく好きな服を着て外出できるだけで嬉しかったんです。
服装がこれほど人の心に影響を及ぼすなんて・・・。
稼いだ分は、殆ど服に使ってしまったくらいかも・・・。
とにかく、楽しくて楽しくて、
息子が寝た後、深夜まで、
明日は何を着ようかな~
と鏡の前でファッションショーをするくらい。
当時は、イメージコンサルタントなんていう言葉すら知らなかったけど、
この職業に近づく最初のきっかけは、
この時の自分の内面の変化が原点。
こうして、今にたどりつくまでの道のりが、
少しずつ現れて来たのですが、
まだまだ道は長いので、今日はここまで!
いつも読んでくださるみなさま、ありがとうございます。
先輩から声をかけてもらったことで、
息子を保育園に預け、
リクルートで研修講師の仕事を
することになりました。
内容は、ディレクター時代に学んだ、
クリエイティブに関して。
よくわかっていた(つもりの)内容だったし、
社内で勉強会をよく企画していたこともあり、
密かに、楽勝~!と思っておりました。
じゃがしかし・・・、そんな自分は甘かった。
2年以上、現場はおろか、社会からも隔絶した生活をしていた私。
ビジネスの脳味噌がすっかりさびついていたのです。
これまで当たり前にできていたことが、
やたらに時間がかかる。
会議に参加しても、即座に反応ができない。
おかしい・・・、おかしいな・・・
久々にスポーツをして、
昔と同じように動いたけど、できなかった感覚と全く同じ。
こんなはずじゃないっ。
超焦りました。
スカウトして下さった先輩も、
かなーりびっくりしたはず・・。
そして、元来器用ではなく、
できないことは時間をかけてクリアするタイプだったのだけど、
子供が小さいから、時間もない。。
しかも、その年は、年俸で契約をしたので、
期待通りの成果が出せなくても、
報酬が自動的に入ってきてしまう・・・。
性格的にこれが実は、
相当なプレッシャーでした。
だんだん無口になったりもして・・・。
しかも、職場に復帰したニュースを知って、
他の方から別の仕事の依頼も舞い込むんです。
ありがたいことと感謝だけして、
本来ならきちんと事情を話して断るべきだったのだけど、
当時の私は、
またぷー太郎に戻りたくない、という不安から、
断ることもできず、引き受けてしまう。。。
結果、またしてもがんじがらめです。
しかも、サラリーマン時代と違って、
来た仕事を受ければ受けるほど、
儲かる立場になると、
セコかった私は
断るのがもったいなくもなり、
時間の奴隷だけでなく、お金の奴隷にまでなり下がりました・・。
魂のかけらも無い仕事っぷりでした。
あたしっていったいなんなんだ・・・・。
そんな私を見かねてか、
スカウトしてくれた先輩からは、
「今のあなたはお金のためだけに
仕事をしているようにしか思えない」と・・・・
・・・おっしゃる通りでした。
そう指摘され、
図星だ!やばいっと深く反省・・。
・・・・でも、でもね。
正直に告白すると、
実は、そこには彼女が知らない
別の働く意味というか、
モチベーションもあったのでした。
久々に子供と離れて社会に出て数か月、
気がついたらうつ状態はすっかり回復していました。
夫いわく、外に出たのがよかったんだね、とのことでしたが、
それだけじゃない。
何が私の気分を変えたかって、
それは服でした。
子育てだけをしていた時は、
息子の嘔吐に対応するために、
いつでもどこでも、汚れてもいい服。
ひどい時は、
上下カッパのようなものを着て過ごしてました。
もともと洋服好きだったこともあり、
無意識だったけど、好きな服が着られないことは、
そうとう堪えていたようで・・・。
なので、その反動で、復帰した一年は、
とにかく好きな服を着て外出できるだけで嬉しかったんです。
服装がこれほど人の心に影響を及ぼすなんて・・・。
稼いだ分は、殆ど服に使ってしまったくらいかも・・・。
とにかく、楽しくて楽しくて、
息子が寝た後、深夜まで、
明日は何を着ようかな~
と鏡の前でファッションショーをするくらい。
当時は、イメージコンサルタントなんていう言葉すら知らなかったけど、
この職業に近づく最初のきっかけは、
この時の自分の内面の変化が原点。
こうして、今にたどりつくまでの道のりが、
少しずつ現れて来たのですが、
まだまだ道は長いので、今日はここまで!
いつも読んでくださるみなさま、ありがとうございます。