Serendipityな出会いによって、
スリランカ雑貨屋の計画がもちあがったと昨日書きました。
実は2001年に結婚し、新婚旅行にカリブ海に行くはずでしたが、
9.11のテロによって、北米経由での旅行を断念。
父から、父の親友が駐在しているスリランカをすすめられたのでした。
内戦が続いていたからなのですが、
当時は、ネットで「スリランカ」と検索しても、
大使館くらいしか出てこないくらい情報はなく。
日本からの観光客は殆どいない状態。
情報が無いアジアの島国、確か紅茶が有名だわね・・、
というくらいスリランカへのイメージは貧困で、
全く乗り気ではなかったけれど、
お隣のモルジブのついでい行くか、ということに。
そんな程度の期待値のわりに、有給休暇があまりまくっていたこともあり、
スリランカだけでも1週間くらい滞在。
そして・・・。
恋に落ちたというべきか、はまってしまったのです。
イギリスとポルトガルの植民地時代が偲ばれる、
どことなく西欧の香りがする建物。
神聖な気持ちにならずにはいられない、
水連の咲き乱れる池や、そびえたつような菩提樹の街路樹。
悠久の歴史と人類の偉大さを感じさせる、数かすの世界遺産。
アマンが師と仰いだとされる、Bawa建築のリゾート。
・・・詳細を語りだすと、
行きたくなって気が狂いそうになるので、適当にしときますが、
期待せずに情報もなく行ったことや、日本人がほとんどいなかったことなどからも、
なんて掘り出し物なんだ!という気持ちもありました。
中でも気に入ったのが、
BAREFOOTというファブリックメーカの布やバッグ。
デザインも素敵だけど、話を聞くと、孤児院の子供に作らせているとのことで、
その取り組みとセンスの良さに卒倒しそうなくらいでした。
新婚旅行から日がたってからも、不思議とスリランカ熱は冷めやらず、
その後も何度か通うようになりました。
もちろんBAREFOOTには毎回通い・・・もちろん大人買い。
そこから、ほんのささいなきっかけで、
輸入雑貨屋をやろうかという流れになったのでした。
お店やさんになりたい、という願望は過去にも未来にも全くなく、
輸入の知識があったわけでもない。
今思うと、なぜあなたが雑貨屋を?と、昔の自分に突っ込みまくりたくなるくらい、
我ながらわけがわからない。
さらに、どちらかと言えば、途中で何かを辞めることが苦手だし、
衝動的に何かを始めるタイプではありません。
でも、やはりそれは、Serendipityとしか言いようがない。
私が積極的に営業をしたわけでもなく、
ごく自然な流れで、確信を持って、スリランカと日本をつなぐ架け橋になろう、くらいの勢いでした。
それが昨日書いた「自分にしかできないこと」に
はっきりつながっているようにも、思えないのですが、
当時は、勝手にそうだと思いこんだふしもあるかもしれません。
いずれにしても、なぜか逆らい難い不思議な流れから、
スーパーサラリーマンとして一生勤めちゃうかも、と思っていた会社を
(ちなみにリクルートの中では、そういう人は奇特です)
突然、辞めようと思い立ったのでした。
・・・・そして、雑貨屋の行方は・・・・・
それは次回のお楽しみ~。
スリランカ雑貨屋の計画がもちあがったと昨日書きました。
実は2001年に結婚し、新婚旅行にカリブ海に行くはずでしたが、
9.11のテロによって、北米経由での旅行を断念。
父から、父の親友が駐在しているスリランカをすすめられたのでした。
内戦が続いていたからなのですが、
当時は、ネットで「スリランカ」と検索しても、
大使館くらいしか出てこないくらい情報はなく。
日本からの観光客は殆どいない状態。
情報が無いアジアの島国、確か紅茶が有名だわね・・、
というくらいスリランカへのイメージは貧困で、
全く乗り気ではなかったけれど、
お隣のモルジブのついでい行くか、ということに。
そんな程度の期待値のわりに、有給休暇があまりまくっていたこともあり、
スリランカだけでも1週間くらい滞在。
そして・・・。
恋に落ちたというべきか、はまってしまったのです。
イギリスとポルトガルの植民地時代が偲ばれる、
どことなく西欧の香りがする建物。
神聖な気持ちにならずにはいられない、
水連の咲き乱れる池や、そびえたつような菩提樹の街路樹。
悠久の歴史と人類の偉大さを感じさせる、数かすの世界遺産。
アマンが師と仰いだとされる、Bawa建築のリゾート。
・・・詳細を語りだすと、
行きたくなって気が狂いそうになるので、適当にしときますが、
期待せずに情報もなく行ったことや、日本人がほとんどいなかったことなどからも、
なんて掘り出し物なんだ!という気持ちもありました。
中でも気に入ったのが、
BAREFOOTというファブリックメーカの布やバッグ。
デザインも素敵だけど、話を聞くと、孤児院の子供に作らせているとのことで、
その取り組みとセンスの良さに卒倒しそうなくらいでした。
新婚旅行から日がたってからも、不思議とスリランカ熱は冷めやらず、
その後も何度か通うようになりました。
もちろんBAREFOOTには毎回通い・・・もちろん大人買い。
そこから、ほんのささいなきっかけで、
輸入雑貨屋をやろうかという流れになったのでした。
お店やさんになりたい、という願望は過去にも未来にも全くなく、
輸入の知識があったわけでもない。
今思うと、なぜあなたが雑貨屋を?と、昔の自分に突っ込みまくりたくなるくらい、
我ながらわけがわからない。
さらに、どちらかと言えば、途中で何かを辞めることが苦手だし、
衝動的に何かを始めるタイプではありません。
でも、やはりそれは、Serendipityとしか言いようがない。
私が積極的に営業をしたわけでもなく、
ごく自然な流れで、確信を持って、スリランカと日本をつなぐ架け橋になろう、くらいの勢いでした。
それが昨日書いた「自分にしかできないこと」に
はっきりつながっているようにも、思えないのですが、
当時は、勝手にそうだと思いこんだふしもあるかもしれません。
いずれにしても、なぜか逆らい難い不思議な流れから、
スーパーサラリーマンとして一生勤めちゃうかも、と思っていた会社を
(ちなみにリクルートの中では、そういう人は奇特です)
突然、辞めようと思い立ったのでした。
・・・・そして、雑貨屋の行方は・・・・・
それは次回のお楽しみ~。